太宰治の住んだ町 荻窪紀行 №1 照山荘アパート

 太宰は昭和8年2月頃から昭和13年9月中旬ごろまでを杉並区で生活している。といっても、途中、病院に入院したり船橋で療養生活などをしているため、厳密には昭和8年から昭和13年までの5年間をずっと杉並区で生活していたわけではない。
 
 途中の船橋時代は、処女創作集『晩年』の出版やパビナール中毒、病院での手術、入院等、波乱の時期であり、杉並にまた戻って来た後は、初妻・小山初代との生活に終止符を打つなど、太宰の人生を語る上では外せない時期である。
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 荻窪は、太宰の師である井伏鱒二の住んだ町として有名だ。井伏自身も愛着があり、思い出深い町だったようで、「荻窪風土記」も残している。
 私は荻窪駅を出て、まずは太宰が昭和11年に住んだ「照山荘アパート跡」を探すことにした。
 前もって言っておくが、太宰が生活した時系列順通りに地を周ったわけではなく、少しでも効率良くまわるために、駅から近い順に散策したことをまず一言いっておく。
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 太宰が住んだとされる「照山荘アパート」は、光明院裏手にあったらしい。太宰は昭和11年の11月に板橋区の武蔵野病院を退院後、小山初代と井伏の夫人・節代が探しておいてくれた「照山荘アパート」に移り住んだ。初代と井伏節代がアパートを見つけたのが、11月12日のこと。この日の午後1時20分に退院した。
 武蔵野病院に太宰が入院中、主治医を務めた中野嘉一が書いた「太宰治 主治医の記録」に、『初代はほかへ転居した。退院後、杉並区天沼の白山神社うらの照山荘アパートに移り……』と書かれてる。
 さらに、年譜には『病院から、秋晴れの中を、初代とともに車で井伏鱒二宅に向かったあと、杉並区天沼の白山神社裏手の光明院裏の照山荘アパートに荷物を運んだ。四時頃、荻窪駅を発つ長兄文治を見送ったあと、初代と照山荘アパートに帰った。』と書かれていた。
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 上の写真の左が光明院です。ここら辺でしょうか。光明院は今もあるので、この近くであったことは確かなようです。太宰は、「照山荘アパート」のことは何も残していないため、他の人の証言や年譜でしか分かりません。荻窪駅から徒歩で5、6分ほどの場所にありました。
 
 ちなみに、太宰はこのアパートが気に入らず、僅か3日ほどで引っ越しています。11月13日に、初代と井伏節代が「貸間さがし」に行き、14日に「天沼に八畳の貸間」を見つけ、15日に引っ越しています。
 病院に入院しまわりに迷惑を掛けたり、折角、妻や井伏夫人が住居をさがしてくれたのに、気に入らないとは贅沢ですね。

 現在は全く面影を残していませんので、写真を見てもあまり面白くないと思いますが、荻窪紀行を少しずつ書き進めたいと思います。



by dazaiosamuh | 2014-05-17 22:40 | 太宰治 | Comments(0)