太宰治が敬愛した芥川龍之介のお墓

 今日に於いて芥川龍之介を知らない日本人は殆どいないと思いますが、芥川の眠るお墓の場所を知らない人は多いのではないでしょうか。
 
 芥川のお墓は、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺にあります。徒歩で10分以内で着けると思います(私は歩くのが早いためあてにならないですが)。広大な面積の墓地の間にある道筋を通り、ようやく慈眼寺に到着。
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 看板には、芥川龍之介の名前も書かれていました。しかし、場所が分らないので探すことになったのですが、何せ有名人ですから発見するのにあまり時間はかからなかった。

 芥川は、1892年(明治25年)3月1日に東京市京橋区入船町8丁目(現・中央区明石町)に生まれました。1913年には東京帝国大学文科大学英文科へ進学しています。太宰も同じく帝大に進学していますね。在学中の1914年(大正3年)2には、第一高等学校からの友人・菊池寛たちと同人誌『新思潮』を刊行しています。この友人である菊池寛は、芥川の死後、芥川龍之介賞を創設する人物です。
 1927年(昭和2年)4月前後、芥川の秘書を勤めていた平松麻素子と帝国ホテルで心中未遂事件を起こしています。そういえば、太宰の小説にも帝国ホテルで男女が心中を図る描写が書かれていましたが、まさか何か関係でもあるのでしょうか。
 同年7月24日未明、田端の自室で服毒自殺を図り、社会に衝撃を与えた。
 妻・文だけでなく、菊池寛にも宛てた遺書もあった。自殺の動機とされている、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」は有名だが、自殺直前に書かれた「河童」を初めとする晩年の作品群などからの厭世観や病的な心境から、完全な自殺の動機とは言えない。芥川の命日は、小説『河童』から取って河童忌と名づけられた。
 また、菊池寛は友人総代として弔辞を読んでいる。お墓には、すでに多くの花が。流石ですね。
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 太宰は芥川の自殺に強い衝撃を受けた。太宰が芥川に憧れていたことを、高校時代に一緒に過ごした大高勝次郎が「太宰治の思い出」に書いている。
『津島と井伏氏との密接な関係は人の知るところであるが、高校時代の津島の口から、一番多く出るのは、芥川龍之介の名であった。芥川の病的な鋭い神経、懐疑、革命の風潮に対する恐れを含んだ関心、自殺癖、等に対して、津島は深い共感を感じていたように思われる。幼いときから津島は身体が弱く不眠症に苦しみ、睡眠剤を用い、鋭利な神経や感受性をもて余していた。人間や世間に対する深い懐疑の点においても、津島は少年にしてすでに芥川と同じ道を歩いていたように思われる。だが、彼等の異常に鋭敏な感受性、狂的なまでに繊細な神経や体質は、当時の私には理解に苦しむものであった。』

 上記に書かれているように、どうやら太宰は芥川と非常に共感できる部分があり、それもあって好きになったのかもしれません。
 太宰は、咽喉から手が出るほど手に入れたかった芥川賞は取れませんでしたが、死後、まさか自分の賞「太宰治賞」ができるとは思ってもみなかったと思います。


 芥川龍之介
 1892年(明治25年)3月1日~1927年(昭和2年)7月24日
 代表作 「地獄変」「歯車」「今昔物語集」「藪の中」「芋粥」等


by dazaiosamuh | 2014-05-10 22:15 | 太宰治 | Comments(0)