太宰も参加した阿佐ヶ谷「ピノチオ」での懇話会

 太宰のゆかりの地で、阿佐ヶ谷はあまり関係ないと思っていたが、実は太宰に限らず、多くの文士達の溜まり場だったようだ。その阿佐ヶ谷では、井伏鱒二をはじめ、多くの文士たちが集まる懇話会が開かれていた。そして、会場となったのは阿佐ヶ谷駅前の「ピノチオ」というお店である。

 太宰治の年譜によれば、昭和15年12月6日、阿佐ヶ谷駅北口通りの「ピノチオ」で、文藝懇談会の第1回会合が開催され、太宰も出席した。出席者は、坪田譲治、井伏鱒二、田畑修一郎、木山捷平、小田嶽夫、外村繁、浅見淵、中谷孝雄、中村地平、亀井勝一郎、上林暁、そして太宰治の計12名。会の後、「ピノチオ」の表で二次会があり、太宰は夜半帰宅とのこと。以後、この会にはよく出席した。
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 上の写真は、阿佐ヶ谷駅北口のロータリーで詳細は分からないが西友の前あたりに「ピノチオ」があったとされている。
 さらに、阿佐ヶ谷将棋会などもあり、これにもまた太宰はよく参加した。書籍等を見ると、昭和15年に井伏鱒二の自宅にて、太宰と井伏が縁側で将棋を指す姿がよく載っている。果たして、太宰の将棋の実力は如何なものだったのでしょうか。この時代の盤上での遊戯といったら、将棋、囲碁、チェスくらいでしょうか。

 この「ピノチオ」では何かと会合が開かれていますが、何だかんだ言っても飲み会なのでしょう。他にも、翌年の昭和16年7月16日、「ピノチオ」での第1回「水曜会」というのも開かれ、上林暁、小田嶽夫、木山捷平、外村繁、亀井勝一郎、青柳瑞穂、井伏鱒二、田畑修一郎、浜野修、そしてやはり太宰治も参加した。以後、毎週水曜日夜、「ピノチオ」でこの会が開催された。
 また、徴集を受けた小田嶽夫、中村地平、井伏鱒二の為に、同年11月20日に「ピノチオ」にて送別会が行われた。

「ピノチオ」は中華料理屋だったみたいです。文士たちがよく集まったらしいのですが、つまり、ツケがきいたのではないでしょうか。この時代の作家たちが喜んで常連になる店といったら、値段が手ごろ、そしてツケがきくことだと思われます。現在の阿佐ヶ谷駅周辺を見渡すと、新しいお店ばかりで当時の面影はほとんどないようです。
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 そういえば、実を言うと私も将棋はよく小さい頃やっていました。小学生の頃、教室に将棋の道具が一式そろっており、雨の日等、外で遊べないときはよく友達とお昼休みに将棋を指したものです。(ほとんど負け戦でしたが)
 太宰はどんな戦法で戦っていたのか気になります。文士達の将棋は強そうな印象を持ってしまうのは、私だけでしょうか。
 久々に、将棋を打ちたくなる、そんなある日のことでした。
by dazaiosamuh | 2014-04-16 09:45 | 太宰治 | Comments(0)