2014年 04月 12日
太宰治が師事した佐藤春夫のお墓
私は後楽園には殆ど降りたことがなかった。伝通院へと向かう出口を出ると、噴水のある公園があった。噴水があるとは思っても見なかった。夏は涼しげでいいかもしれない。この日は強風で、やたらと目に砂が入ったが、それでも小学生や親子が楽しそうに遊んでいた。日が暮れないうちに行こうと思い、歩を進めた。
お墓には何もお供え物もお花もなかった。少し寂しい感じだった。しかも、私が訪れた時間も夕方4時半を過ぎていたため、一層寂しい印象を受けた。ただ名前の書かれた銀色のプレートだけは陽の光を反射して目立っているようだった。このプレートが無ければ、私はきっと探すのに相当手間取ったに違いない。
太宰治は、船橋時代に佐藤春夫を師事するようになった。芥川賞のために、太宰の作品を推薦してくれていたのも佐藤春夫だ。『道化の華』を評価してくれたり、太宰の身体を心配して、芝済生会病院を紹介してくれたりと、太宰をかわいがった。
佐藤春夫 1892(明治52)4月9日~1964(昭和39)5月6日
『彼の死は信州の山中にあって知った。何れはそんな最期をしなければならない運命にある彼のような気がして、折角幾度も企てて失敗している事を今度は成し遂げさせたいような妙に非人情に虚無的な考えになっていた自分は、他人ごとならず重荷をおろしたような気軽るなそれでいて腹立たしい気がしたのを得忘れない。』佐藤春夫(『稀有の天才』より)
私にも、風にも負けず元気に外で遊んだ日があったものだと、しみじみ思いながら、子供たちの明日にも響く元気な声を背に、電車に乗り込んだ。