太宰治 愛着深き船橋時代 №3 本のレリーフ

 海老川へ出ることのできた私は、この海老川に架かる橋『九重橋』を渡りました。道順としては、太宰旧宅跡から最も近い橋は、この『九重橋』です。太宰が生前の時からあったなら、この橋を渡っているはずです。ですが、たとえ昔からあっても造り直されていますね。
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 歩き疲れたため、この橋の上から川を眺めながら少し休憩しようと思い、橋の欄干に近づくと、そこにはなんと、太宰治の『走れメロス』の文学碑が本の形をしたレリーフとして造られていました。
 この橋に文学碑があるということは、やはり太宰が通ったことのある橋だと思われます。この橋の近隣に住む住民は、少なからず太宰に親しみながら生活しているということでしょうか。しかし、欄干に近づかないと中々気づくことができない。太宰がいた当時は、ここからの景色はどうだったのでしょうか。現在は、私の見る限りでは、この川を眺めて癒されるとは正直言い難い。太宰が書いた葉書の案内図には、「空き地」と数か所書かれているので、当時の見晴らしはいまよりは幾分良かったのかもしれない。
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 文学碑のレリーフを見ると、太宰の顔も彫られているが(造った人に失礼ですが)あまりカッコよくないような気が……。
 ちなみに、「走れメロス」は「新潮」昭和15年5月号に発表された作品で、ギリシャのダーモンとフィジアスという古伝説によったシラーの『担保』という詩から題材をとっているらしいです。小中学校で、国語や道徳の教科書にも載っていましたね。内容は覚えていなくても、作品名は知らない人はいないはず。有名作品ではありますが、折角ならここ船橋で書いた作品をレリーフにすれば良かったのでは、と思いました。これだと太宰が船橋に住んでいた時に「走れメロス」を書いたと誤解する人もいるのではないでしょうか。

 そういえば前回の記事で、「次回は、いよいよ太宰治旧宅跡へと向かいます。」と書いておきながら、結局今回の記事でもまだ書いてません。

「メロスは激怒した」「走れメロス」ならぬ「読者は激怒した」「走れ黒森富治大」

 次回は必ず、太宰治旧宅跡を書きます。

by dazaiosamuh | 2014-03-04 22:33 | 太宰治 | Comments(0)