遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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太宰治 愛着深き船橋時代 №2 旧宅跡までの道

『私は院長の指図で、千葉県船橋町に転地した。海岸である。町はずれに、新築の家を借りて住んだ。転地保養の意味であったのだが、ここも、私の為に悪かった。地獄の大動乱がはじまった。』(東京八景)

 太宰が書いた葉書の案内図は非常に分かり難い。そのため、他の書籍なども活用し道筋を辿って行くことにした。
 案内図をよく見ると、船橋駅と京成船橋線の間を左折するようだ。左折する角には、「タナカ薬局」と書かれている。
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 しかし、現在はタナカ薬局は無くなっているようです。当時とは全く違うお店が並んでいます。案内図には左折する道は一本しかないが、現在も一本しかないためここであっているはずです。早速左折して進んでゆくのですが、ここからが大変です。図には何も目安がありません。どこで右折すればいいのか分かりません。右折した先を見ると、京成線を越えた先に、どうやら小学校があるようです。とりあえず小学校を目指します。
 ある程度進み、京成線を越えてみるも小学校は見当たりません。住宅地に入ってしまいました。毎度のことですが道に迷ったようです。小学校のように大きい建物ならすぐに見つかりそうだと思っていたのですが、中々見つけられません。やむを得ずスマホの地図で確かめることに……。
 スマホの地図で、自分が来た道を目で追い現在地を確かめると、小学校はすぐ近くにあるようです。地図を見ながら慎重に進んで行くとようやく見つけられました。
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 ここが案内図に載っている小学校だと思います。見にくいですが船橋小学校です。どうりですぐに見つけられないなと思ったら、私が来た時は改装中(工事かな?)でした。場所は当時のままだと思います。
 小学校を西に進んで行ったのですが、また道に迷ってしまいました。この時、昭和を感じさせる古い旅館を発見しました。
 
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 どうやら現在は使われていないようです。今でも船橋では、こういった取り壊されていないレトロな建物が、まるでそこだけ時間が止まってしまっているかのように残っている場所があるようです。太宰も利用したことがあるのかな、なんて思わず考えてしまいますね。
 
 書籍やスマホ等で調べ、道を抜け出た私は、どうにか海老川まで来ることができました。ここまで来れば、あともう少しの辛抱です。太宰の旧宅跡ももうすぐだと思います。ここまでで、およそ30分程掛かってしまいました。道に迷ったり、スマホで調べたりもしたので、本来なら10分も掛からないのではないでしょうか。
 太宰がいた当時は、海がもっと近かったようですが、埋め立てられています。
 太宰の『黄金風景』では、『ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅の夾竹桃の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。』と書かれています。
 
 毎年、夏は気温が上昇し異常気象だと言われていますが、太宰が過ごした夏も『寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい』中々暑かったようです。いくら夏の気温が昔より上がっているとはいえ、太宰がいた時代はクーラーなどなかったのですから、さぞ大変だったと思います。
 次は、いよいよ橋を渡って太宰の旧宅跡に向かいます。
 

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by dazaiosamuh | 2014-02-28 20:34 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)