雪景色で見る太宰治のお墓

 東京に雪が降った。実に16年ぶりの大雪らしい。私は東京に来てまだ3年も経っていないことと、東北出身であることもあって、大雪と言われてもさほど驚きはしなかった。しかし、東京はほんの少しの積雪が交通網に大きな影響を与えてしまう。
 前日のニュースで、大雪が降るため外出は極力控えるようにと、どこのニュース番組でも放送されていた。私はニヤリとし、そして興奮した。この時を待っていたのだ。太宰治のお墓の雪景色をいつか撮ろうと思って、チャンスを待っていたのだ。しかも、16年ぶりの大雪である。たとえ、電車の本数が減らされようとも、ダイヤが乱れようとも、雪にも負けず、風にも負けず、絶対に雪景色のお墓を拝みに、写真を撮りに行こうと強固な決意を胸に床に入った。

 翌日、朝起きると窓の外は真っ白な銀世界である。しかし、積雪の多さの珍しさより、久しぶりに見る雪に懐かしさを感じた。今日は、ダイヤ乱れ、遅れが発生するはずである。早めに出ようと、朝食を済ませ身支度を整え、8時半には家を出た。
 朝は特に何の影響もなく三鷹にたどり着くことができた。
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 三鷹には以前も来たことがあり、お墓に行った時の記事も書いている。雪の降りしきる中では、写真も上手く撮れず、見にくいことと、雪のない晴れた日にじっくり散策し、記事にしたいと思っているので、今回は詳しく書かず、あくまで三鷹の太宰ゆかりの地の雪景色バージョンを楽しんでもらえたらと思っています。ご了承ください。
 
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 最初に太宰治文学サロンに寄った。実は、前日に三鷹の太宰ゆかりの地が書いてある地図をコピーしておいたのだが、忘れてきてしまったのだ。相変わらずドジである。そのため、文学サロンでマップを購入(100円)。ここは元々、伊勢元酒店があり、太宰一家が利用していたそうです。現在は文学サロン。
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 文学サロンから僅か徒歩10秒ほどの場所には、美登里家鮨跡で太宰馴染みのお寿司屋さんがあったが、現在はマンションになっています。
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 他にも文学サロンがある通りには、野川家跡、千草跡があり、野川家は山崎富江の下宿先で、親しくなった1947年(昭和22年)9月頃から、2階を仕事場にしていました。太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へと向かいます。現在は、永塚葬儀社になっています。千草は小料理屋で、こちらも同年7月から仕事場にしていました。現在はビルになっています。
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 三鷹から文学サロンに向かう途中には、太宰横丁と呼ばれる通りがあり、小さな飲食店が並んでいて、太宰が通ったことで通称ができたそうです。太宰横丁の脇には田辺肉店離れ跡があり、1947年(昭和22年)4月から、「斜陽」を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借りていました。現在は三鷹の森書店となっています。
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 さらに太宰横丁の近くには、うなぎ若松屋跡があり、太宰が編集者との打ち合わせ場所にしていたそうです。現在はさくら通りになっています。ちなみに、若松屋は場所を移転し、現在は国分寺にあります。先月、2代目がお亡くなりになったそうで、息子さんが3代目として受け継ぐそうです。
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 若松屋跡から三鷹駅沿いにある陸橋へと向かう途中には、中鉢家跡ある。1946年(昭和21年)11月、疎開から戻った太宰は、ここで「ヴィヨンの妻」などを執筆。斜め向かいは郵便局があります。中鉢家跡は現在マンションになっている。郵便局は今も同じ場所にあります。
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 陸橋は1929年(昭和4年)に竣工され今も殆ど当時の姿のままで残っています。殆どの場所が面影もなくなっているなか、陸橋は当時の姿のままで残っているので、太宰の聖地巡りでは貴重な場所と言えよう。しかも、太宰はこの陸橋を気に入っていて、何度も訪れたようです。
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 太宰が入水したと言われるポイント地点付近には、玉鹿石の石碑があります。
雪の積もる玉川上水もまた、違う顔があってなかなか見ごたえがありました。雪の影響もあってか、水量も若干多いようです。
 途中、公園のトイレに寄ったのですが、ホームレスのおじさんがいて「寒くないのですか」と聞くと、「東京に来て43年。寒さには慣れたが、流石に今日は風が冷たい」と言っていました。この男性にマップを見せて、「今、現在地はどこか分かりますか」と聞くと、丁寧に教えてくれた。おじさんに挨拶をして再び散策に戻った。
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 太宰と富江が発見されたのは、この新橋付近と言われています。現在の橋は当時と違って造り直されています。近くで学生たちが元気に雪合戦をしていました。私は、あまりの寒さに、だんだんカメラのボタンが押せなくなってきました。自分の吐く息でなんとか温めながら、雪に苦戦しながらどしどし進みます。
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 この郵便局のすぐ横にあるホンダカーズの場所に、連雀湯がありました。太宰一家で銭湯に入りに来たようです。それにしても寒い、ここに今も銭湯が残っていたら、迷わず入っていたのにと思わず考えてしまった。
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 お次は、井心亭(百日紅)で市の和風文化施設です。百日紅が植えられています。すぐ近くには、太宰治旧宅跡あるのですが、自分の勘違いから違う場所を撮ってしまいました。折角寒い中、苦労して来たのに残念であった。

 最後はいよいよ太宰の眠る禅林寺である。まずは雪の降るなかでの正門。
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 正門を通って中に入ると、まだ誰も来ていないようで、足跡は一つもなかった。私が一番乗りのようで、少し嬉しい。
 しかし、前回と同じで太宰のお墓がどこか分からず少しウロウロしてしまった。何の成長もしてません。見つけていよいよ、「太宰治のお墓・雪景色」とご対面。
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 お墓には、花が手向けられているのですが、雪が積もってしまっていました。雪に覆われた太宰のお墓は少し寂しく感じました。豪雪地域の青森で育った太宰には、今日の東京の雪はどのように感じたのでしょうか。じっとお墓を見つめながら、寒そうに火鉢にあたる太宰の姿を想像してしまいました。
「太宰さん、寒くないですか」と心の中で聞いてみた。すると、一瞬くしゃみが聞こえたような気がした。気のせいだったのでしょうか。周りを見ても誰もいません。
 私は、上に積もった雪を払い除け、太宰が吸っていたと言われる煙草「ゴールデンバット」をお線香の代わりに置いて、お墓を後にしました。


 今日は、16年ぶりの大雪ということで、あえて三鷹の太宰のお墓参りに行ってきました。東京での雪の降る中での聖地巡りは、貴重な資料になると思ったことと、またお墓に限らず、違った景色を楽しめると思ったため決行しました。
 実は、記事には書いていませんが、途中、何度も何度も寒さに耐えられず、屋根のある場所で休み、自分の息で手の指先を温めました。最後の方になると、薬指と小指が冷たく動かなくなり、衣服の中に手を入れて温めたりと大変でした。
 しかし、それでも今回は貴重な雪景色を見ることができ、お陰様で写真も無事に撮ることができて思い出深い体験となりました。
 今回はあくまで太宰ゆかりの地を雪景色で撮ってみただけですので、後でじっくり三鷹の太宰聖地巡りをしたいと思います。
by dazaiosamuh | 2014-02-08 22:39 | 太宰治 | Comments(0)