遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 ゆふいん文学の森で、お土産(太宰グッズ)はどれを買おうか迷ったが、我慢できず殆どを購入してしまった。
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【ファイル】
 そういえばお土産を買う際、ファイルは大抵迷わず購入しているような気がする。日常で使いやすい雑貨だからかな。
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【ペンケース】
 使うのが勿体ない。色が白いだけに汚れやすく、なおさらだ。ああ、保管用にもう一つ買っておけば…。
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【巾着】
 これは旅行に行く時に使おうと思ってます。ちょうど巾着が欲しかったところでした。
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【缶バッジ】
 可愛いが、三十路近い男が鞄やリュックにこれをつけるのはちょっと抵抗が…。学生時代なら迷わず付けたはず。全部で5種類。
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【マグカップ】
 家で使うもよし!! 会社で使うもよし!! 私は家かな。
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【オリジナルTシャツ】
 Tシャツの色はblackとwhiteの2種類。サイズはS、M、L。私はblackを購入。ほとんどの人がblackを選ぶと思います。本当はwhiteも欲しかったのですが、お金が…。
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【かぼすピール】
 ビールのつまみにGood。大分県産のカボスの皮を使用。酒好きの友人のお土産にも買いました。
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【オリジナル紅茶】
 ルイボスティー、金時生姜、ハニーブッシュ、ローズヒップ、よもぎ茶をブレンドしたもの。確か2日目に引換券と交換して飲んだ紅茶です。美味しかった。これも友人へのお土産に買いました。オリジナル紅茶はほかにも数種類がたしかありました。
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【かりんとう】
 3種類あります。たしか、右からよもぎ、ゴマ、牛乳だったような…。美味しかったことは記憶にあるのですが…。ちゃんとメモしておけばよかった。
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 お土産を入れる紙袋にも太宰治のイラストが大きく載っている。もったいないので捨てないでおこうと思っていたのに、部屋でこの写真を撮った後、コーヒーをこぼしてしまい、やむを得ず処分しました。

 色々載せましたが他にも、ボールペン、手ぬぐい、手帖、トートバックなどがありました。手帖とトートバックを買おうと思ったら、太宰治のイラストが入っていなかったのでやめました。
  私は2日目にカップの甘酒アイスを食べましたが、夏には甘酒のソフトクリームをやる予定だと言っていました。お土産は今後もどんどん増えそうですね。次回訪れたときは、残りのお土産を購入して、全部制覇しようと思います。

 湯布院で生まれ変わった『碧雲荘』の記事は、一応今回で終了になります。次回訪れたときにまた色々載せたいと思います。記事を読んで興味を持ってくれた方は是非、大分県湯布院にある、『ゆふいん文学の森』に足を運んでみてください。


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by dazaiosamuh | 2017-05-30 03:37 | 太宰治 | Comments(0)
 ゆふいん文学の森は1日だけにして、2日目は別の場所をゆっくり観光しようと最初は考えていたが、いざ生まれ変わった碧雲荘に来てみたところ、なかなか来れるところではないので、他の観光は中止し、ひたすら碧雲荘に甘えることにしたのであった。
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 2日目は前日見なかった細部に目を凝らし、撮っていなかった箇所を写真に収め、例によって引換券とドリンクを交換し、ゆっくり寛いだ。2日目にゆふいん文学の森の館長さんにお会いすることができ、色々と話をすることができた。
 ゆふいん文学の森をただ見せるだけではなく、何かイベント等ができればいいのだが、何か良いアイディアはないだろうかと訊かれた。私はその場で思いつくことを何個か候補に挙げた。真先に思いつくといったら、やはり朗読会だろう。あとは太宰治の故郷・金木で去年開催された太宰治歌留多大会にならって、同じく太宰治歌留多大会はどうか、その他に、将棋大会はどうだろう。太宰はよく将棋も指しており作家仲間と共に阿佐ヶ谷将棋会に出席しているし、また書籍などにも師匠である井伏鱒二と将棋を指している写真が残っている。館長さんはコスプレ大会みたいなのをやるのもいいんじゃないかと言っていた。それも面白いかもしれない。今後どんな碧雲荘へと変っていくのか楽しみだ。
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 ここでは1人でゆっくり読書したい方のために部屋を貸し出している。誰にも邪魔されずに読書をしたい場合、スタッフに申し出れば、『読書中』と記載された札を貰い、それを入口の扉に掛けて、誰にも邪魔されずに1人のの空間を味わうことができるのだ。私もせっかく来たので部屋を借りることにしました。すでに先客が『斜陽』の部屋を借りていたので、お隣の由布岳が絶妙に見渡せる『富嶽百景』の部屋を借りました。その時、どうにも1階で気になっていた『甘酒アイス』を註文しました。
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 パッケージが可愛い。そして美味い!!甘酒アイスは初めて食べましたが、大好きな甘酒と大好きなアイスが同時に食べられる幸せ。至福の時間とはこのことかと大袈裟に考えながら味わいました。
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『富嶽百景』の部屋だけにテレビがあり、朗読家・原きよさんによる、ゆふいん文学の森での太宰作品『富嶽百景』の朗読を甘酒アイスをむしゃむしゃ食べながら見ました。その時、突然うしろの扉が開いたので振り向くと、お隣の部屋を借りていた女性でした。どうやら部屋を間違えたようで、「すみません、失礼しました」と言い、慌てて扉を閉めていきました。私も何と返事していいのか、突然のことで動揺し、「え? はい?」などと言って顔を赤らめてしまいました。
 その後、部屋を辞し1階でまた本棚などを漁って見ていたら、女性スタッフが、「先ほど、お隣の女性が部屋を間違えませんでしたか? その女性が、トイレから部屋に戻る際、部屋を間違えたが、その部屋の男性の雰囲気が太宰治に似ていたと言っていましたよ」と教えてくれました。照れ臭かった。たとえお世辞だと分かっていても、嬉しかった。その女性はいつの間にか私より先に部屋を出て、すでに帰った後であった。
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 あっという間の滞在であった。この後はお土産を買い、スタッフに別れの挨拶をして帰路につきました。2日目は青空だったため、晴々とした清々しい別れでした。

 1日目のゆふいん文学の森を見た後、夕方、私は豊後森駅へ向かいました。人気のない、何だか寂しい駅と町並みでした。ここには駅近くに、旧国鉄豊後森機関庫があります。あまり興味がなかったのですが、銀座のバー・ルパンのマスターが「夜のライトアップが綺麗だから、行って見るといいよ」と言っていたので夜の時刻になるのを見計らって向かったのでした。
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 寂しそうに蒸気機関車(9600型 29612号)がそこにいました。この機関車は、福岡県志免町から譲渡されたもので、『大正8年1月より昭和49年12月まで半世紀以上にわたり長崎本線および唐津線で活躍。原爆投下直後には、大勢の重傷被爆者たちを搬送するなど、その後の救援、復旧に走り回りました。その終身走行距離は2,667,675.6kmに及んでいます。これは地球を実に66周、また地球から月まで3回以上往復したことになります。』とパンフレットに記載されていました。すごい距離ですね。
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 この機関庫は終戦直前に米軍機の機銃掃射に遭い、死者3名を出す惨事があり機関庫の外壁には今も弾痕が生々しく残っているとのことだ。しかし、だからこそ歴史的建造物として価値がある。
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 繁栄と衰退。かつて鉄道の町として栄、最盛期には1日の利用者が5,800人を超えた。多くの人の思い出、昭和の歴史がこの豊後森機関庫に詰まっており、役目を終えた現在は、眺める者たちに静かに語る役に徹している。
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 後方から撮影した、沈む夕陽を真正面から受ける蒸気機関車。豊後森駅を下車し、ここに向かう際、関係者に話を聞いたところ、私が訪れた日は夜のライトアップはないとのことであった。そのため、せめてもと思い夕陽を浴びる機関車を撮ったのだ。夜のライトアップが無いのであれば、ただ真っ暗闇なだけである。夜まで残る意味が無い。たぶんここへはもう来ないであろう、私はそそくさと駅へと向かいました。

 記事は次回で終わりです(と言っても、お土産を載せるつもりなので今回で終了のようなものですが)


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by dazaiosamuh | 2017-05-26 00:14 | 太宰治 | Comments(2)
 最後の部屋は文豪・太宰治が約7カ月間生活した、東京の荻窪にあったときから一番見たかった部屋になります。部屋の名前は『HUMAN LOST』。
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 太宰治の部屋だけは、入るのに胸がどきどきする。「こんにちは~、太宰先生いますか~」なんて言いながら扉を開ければ、「ん、何だね」なんて返事が返ってきそうです。
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 入ってすぐに物置があります。太宰はほとんど家財道具などは持たず質素な生活をする人だったようなので、あまり使わなかったかもしれません。昭和11年11月15日、照山荘アパートから杉並区天沼の碧雲荘に移り、翌年12年6月頃までここで生活した。太宰が碧雲荘で執筆した『HUMAN LOST』は、昭和11年10月13日から11月12日まで入院した東京武蔵野病院での生活を書いたもので、その後、有名作品となる『人間失格』へ集約されている。パビナール中毒の治療のために精神病院に入院させられたことに太宰は非常に精神的ショックを受け、それは生涯、引きずることとなる。退院後、小山初代の過ちを知り、さらに精神的に動揺したことだろう。太宰にとって、碧雲荘での生活は辛いものであったと思う。
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 8畳の角部屋で2階にある部屋の中で一番広く開放的な印象がある。窓を開けると外からの清々しい風が通り抜けいく。
 武蔵野病院を退院してすぐに碧雲荘に移り住んだとき、友人の山岸外史が碧雲荘を訪れたときのエピソードが『人間太宰治』(山岸外史著)に載っている。
この碧雲荘の太宰は、ぼくがいったとき病人のように寝床に横になっていたが、いつか話に興奮しはじめて、床の上におきなおった。太宰がこれほど能弁だったことはないが、「君だけには、ぜひとも話をしたかったのだ」といったり、「昨日退院したばかりだ」ともいったが、じつは二日経っていたのじゃないかと思う。傍には初代さんが黙って太宰の喋るのを聞いていたが、このとき、「いいえ、山岸さん、今日で二日目よ」といったことをおぼえている。太宰がちょいと狼狽したので、初代さんの方が正直なのだ、とぼくは思った。この日の太宰には、そんなところがあった。まちがえたのにちがいない。
 山岸外史によれば、この日ほど太宰が興奮した日はなかったという。法律的な用語も出て、「人権蹂躙」という言葉なども使い、太宰の話す人権について耳を傾けた。
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 小山初代との離別が決まった後、太宰の留守中に小山初代が山岸外史に立会人になってもらい、碧雲荘に荷物を取にいった。
この鏡台、いただいてまいりますワ。よろしいでしょうか」
 そういわれてぼくがふと眼をあげてみると、例の、見馴れている赤塗の卵型の鏡台であった。初代さんは、それを隣りの物置からとりだしてきて室の中央に立って両手にもっていた。鏡台は埃りに塗れていた。そこにも月日があったのである。(中略)初代さんは、その埃りをかぶっていた鏡台を、しきりに布巾で拭いて掃除をしているようだったが、そこにまたあの色っぽい初代さんがいたのである。卵形の朱塗の鏡台の塵を丁寧に拭いている初代さんは、いかにもあの初代さんであった。ぼくは、なにか、アブナイようなアワレサさえ感じたものである。
 こういったエピソードを読んでから太宰の部屋を見ると、一層その時の場景が眼前に展開されるようであった。離別し荷物をまとめ、太宰と一緒に生活していたときに使っていた思い出の鏡台を懸命に拭く小山初代の寂しい姿も想像される。
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 部屋の柱などには釘や画鋲の跡があり、太宰がいた当時からの木材がそのまま使われていることをこの目で見て実感できる。跡は太宰が残したものもあるのでしょうか。ほとんどはその後に住まれた住人のものかもしれません。
 小山初代と離別後、碧雲荘で友人3人での微笑ましいエピソードもある。
碧雲荘で、初代さんが去ってからまもない頃のことであった。太宰、檀、ぼく(山岸)の三人で、夕飯の作り方の腕くらべをしたことがある。(中略)太宰は、この種のことはなにもできなかった。釘ひとつ打つにも不器用だったが、ただ台所をうろうろするばかりであった。「沢庵くらいならば切れるだろう」「箸と茶碗ぐらいなら、並べられるだろう」ということで、そういう役目になった。しかしやがて一同が食卓にむかってみると実際に味噌汁も上出来だったし、飯もよく炊けていて、みなが大いに食った。
「しかし沢庵切りや走り使いというのは、いかにも芸のない仕事だねえ」と太宰がいった。一座大笑いになった。太宰は小説でも書いているとおりに、自分を笑い者にしながら、ひとを笑わせることはほんとうに巧かった。「しかし、女手がないと不自由なものだネ」太宰がふといった。
 檀一雄が米磨ぎから炊くまで、山岸外史が葱の味噌汁作りをした。そんな中、太宰は手提げを持って葱や沢庵の使い走りをし、「箸と茶碗ぐらいなら、並べられるだろう」である。幼稚園児でもできそうなものである。こういう所が、女性がかまってあげたくなるのだろう。
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『HUMAN LOST』から見た由布岳。なかなか悪くないが、スタッフが言っていたように『富嶽百景』の部屋から見た由布岳が一番いいかもしれない。ちなみに各部屋の調度品はすべて当時のものではないとのこと。この部屋でポーズを取りスタッフに写真を撮ってもらったが、恥ずかしいので載せるのを止めました。

 太宰は小山初代と離別後、同じく杉並区天沼の鎌滝富方に単身移転する。その際、蒲団、机、電気スタンドと行李ひとつで移った。
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 ひととおり見てまわり、1階の庭に面したテーブルで珈琲を頂きました。いつまでも時間の許す限りここに居たいと思ってしまう。結局、1泊2日の旅行で翌日も碧雲荘を訪れました。

 記事はあと少しだけ続きます。


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by dazaiosamuh | 2017-05-22 18:05 | 太宰治 | Comments(2)
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 2階には便所と部屋が5つある。上の通路の写真も、ステンドグラスと同じく荻窪時代の碧雲荘の写真が週刊朝日に載っていたので、今回見る事ができて良かった。通路の一番奥の左の部屋が、太宰治が昔住んだことのある部屋になります。手前から順番に部屋を見ていきます。
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 手前すぐ左から入ります。部屋の入口の上部に『富嶽百景』と書かれています。どうやら部屋に名前が付いているようで、スタッフが一生懸命考えて名付けたみたいです。
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 写真が見づらくて申し訳ありません。『富嶽百景』の部屋になります。太宰の聖地めぐりを初めてから何千枚と写真を撮ってきたのに全く上達しません。カメラが備えている機能を未だに使いこなすことができずにいます。部屋は木のフローリング、小さい机にテレビ、座布団とシンプル。
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 押入れは当時のものです。太宰が住んだ部屋ではないので触ってはいないかな。
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『富嶽百景』からから眺めた由布岳です。初日に訪れた時は曇り空でしたが、2日目は青空でした。この『ゆふいん文学の森』のスタッフの1人が、「私はこの『富嶽百景』から眺める由布岳が、一番好きです」と言っていました。
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 続いて通路を挟んで反対、右側の『走れメロス』の部屋です。
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 この部屋だけ唯一ベットがあります。激怒したメロスも思わず寛ぎたくなる。私も横になってみましたが、まるで自分の部屋にいるみたいです。
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 今度は先ほどの『富嶽百景』のお隣の部屋。『斜陽』です。
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 絨毯が敷かれ、ソファーがありました。没落貴族を描いた作品であるから、絨毯にソファーということでしょうか。それぞれ作品のイメージをさり気なく部屋に盛り込んでいるような…。
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 一番奥の部屋は『グッド・バイ』。こちらは畳ですね。そういえば太宰がいた当時から、フローリングと畳の部屋とそれぞれあったのか、スタッフに尋ねるのを忘れていました。未完ながら非常に評価の高い『グッド・バイ』。完成せずに終わってしまったのが惜しまれます。

 ここまで来れば太宰治が住んだ部屋の名前が何の作品名を使っているかは、当時、太宰がこの部屋で執筆した作品を思い出せば、大体想像が付きますね。
 太宰治の部屋は次回、載せたいと思います。


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by dazaiosamuh | 2017-05-19 20:46 | 太宰治 | Comments(0)
 1階をひととおりまわったので、今度は2階へ進む階段を一段一段ゆっくり上がっていきます。
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 陽の差し込む階段。木の温もりが心地よい。長身の太宰は床を軋ませながら2階へ上がったことだろう。
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 上りきると、眼の前に便所があった。瞬間、私は富嶽百景の、あの場面を思い出した。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のほうに、肩が傾いて心細く、船尾のほうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似ている。三年まえの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立って、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆し、おう、けさは、やけに富士がはっきり見えるじゃねえか、めっぽう寒いや、など呟きのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思いは、二度と繰りかえしたくない。
 富嶽百景のなかで印象に残る場面の一つである。
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 金網は無いが、今でもその便所の四角い窓は健在である。私もついでに用を足しながら景色を眺めましたが、自然豊かな景色が広がっており、違う意味で感嘆の溜息が出た。来てよかったと立小便しながらしみじみ思った。私もここから見た景色を、決して忘れない。
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 便所の扉も当時のままで、内鍵も太宰のいた当時からのものだそうです。私の世代だと初めてみる木製の鍵です。これも閂の一種でしょうか。木だけで造られており、何とも心細い。もし用を足している時に、誰かが急いで駆け込んできて、勢いよく開けようとしたらあっさり壊れるんじゃないかと不安になる。そのときのお互いの気まずさと照れくささを思わず想像し、1人で苦笑してしまった。
 太宰がいた当時からあるということは、当然太宰も触ったのだ。触らないわけにはいかない。
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 べたべた触る。ひたすら触りまくる。たとえ太宰が碧雲荘を出てから数えきれない人たちが後から触っていようとも。太宰が触れた場所に触れることに、意味がある。

 今ままで生きてきて、これほど便所に興奮、感激したのはこれが初めてであった。便所を見れただけでも大分を訪れて良かったとさえ思った。
 私は幸せ者だなあとつくづく感じた。


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by dazaiosamuh | 2017-05-17 08:44 | 太宰治 | Comments(2)
 昨日、4月16日に遂に『ゆふいん文学の森』がオープンした。熊本地震から1年。復興の力になればいいとの想いから今月オープンへと漕ぎつけたようだ。入館料はドリンク付きで700円とのこと。
 荻窪『碧雲荘』が、無くなるのでは、との話が出た時はショックで落ち着かない日々を過ごしたが、こうしてはるばる大分という土地で復活できて喜ばしい限りだ。
 はやく訪れて、復活した姿をこの眼で見てみたい。

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by dazaiosamuh | 2017-04-17 20:16 | 太宰治 | Comments(0)
 太宰治が住んだ碧雲荘は解体が終了し空き地になったと聞き、今日、その空き地を見に行った。
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 本当にきれいさっぱり、無くなっている。2年程前、初めてここを訪れ、碧雲荘をこの目で見た時は非常に感激した思い出がある。太宰がここで、小山初代と生活し『HUMANLOST』を執筆していたのかと思うと、ドライアイの私が瞬きすることも忘れて太宰が住んだ2階の角部屋をじーっと眺めたものだ。気がつけば無心にカメラを持っている自分がいた。
 しかし、今日は2年前と違い、寂しい気持で1枚撮っては眺め、また1枚撮っては眺めを繰り返した(デジカメをうっかり忘れて、やむをえず携帯で撮りました)
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 今まで太宰のゆかりの地を色々と歩いてきたが、『現存する場所』から『跡地』に変わる姿を目の当たりにするのは、今回が初めてであった。ゆかりの地を周ると、大抵、『あるか』『ないか』のどちらかであった。
 碧雲荘に住んだことのある方々、碧雲荘に友人、知人がいて遊びに行った思い出のある方々は、さぞ寂しい思いに駆られることだろう。せめて人々から忘れられないよう、石碑を必ず建ててもらいたい。

 太宰は昭和11年11月15日、照山荘アパートから杉並区天沼1丁目238番地碧雲荘へ移りました。ここで有名な『人間失格』の原型となる『HUMANLOST』などを執筆。
 昭和12年3月、小山初代とともに水上村谷川温泉川久保屋に1泊。翌日、谷川岳山麓でカルモチン心中を図るも未遂に終わったとされている。6月上旬から中旬に小山初代と離別。同年6月21日、杉並区天沼1丁目213番地鎌滝富方に単身移転。
 太宰が住んだ期間は僅か8ヶ月間程であったが、日本国民の殆んどの人が題名だけは聞いた事のあるであろう『人間失格』の原型となる作品『HUMANLOST』を執筆した貴重な場所だ。
 無くなって寂しいが、大分県でどのように生まれ変わるのか、楽しみでもある。
 今後は『碧雲荘』から『碧雲荘跡』と呼ぶことになるが、致し方ない。

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by dazaiosamuh | 2016-04-23 18:31 | 太宰治 | Comments(0)

碧雲荘の解体途中経過

 今月16日に、西荻窪『アロマフレッシュ』『風紋』に行ってきたが、途中、碧雲荘の様子をついでに見て来た。解体はどうやら順調に進んでいるようで、ほぼ9割は解体され、碧雲荘の面影はすでに皆無となっている。
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 ほぼ解体され積み上がった材木。工事現場の作業員は、ひたすら淡々、無心に碧雲荘を解体するのみ。(平成28年3月16日の時点)
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 解体された柱など、建物の大事な要となる材木は丁寧に保存され、丁重に扱われ、大分県にお引越しとなる。新たな場所で、文学館として生まれ変わるのだ。
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 もしや、この階段は碧雲荘の2階へ通じる階段ではないでしょうか。太宰が上り下りしたかもしれない貴重な階段だ。大分でこの階段を上り下りできる日が待ち遠しい。

 16日の時点でほぼ解体は終了間際であったので、今は大分県へ向けてのお引越しにかかると思います。更地となったら、区は何かしらの石碑を建ててくれるのでしょうか。
 碧雲荘を見に訪れるたびに、寂しい気持になりますね。

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by dazaiosamuh | 2016-03-19 19:24 | 太宰治 | Comments(0)
 ついさっきネットを見たら、『太宰治の碧雲荘が大分・湯布院へ』の見出しが目に飛び込んできた。どうやら移築が決定したようだ。

 太宰治がかつて暮したことのある碧雲荘は、取り壊しが噂されていた。しかし、このたび温泉地で知られる大分県由布市湯布院町に移築されることが17日までに決定したとのことだ。
 その湯布院で旅館を経営する橋本律子さんが解体・移築費用を負担し、交流施設「文学の森」(仮称)として活用するとのこと。

 ほっとした。とりあえずほっとした! まさか大分県に移築されるとは思っていなかった。
 実は前から大分県に移築されるのではないかという情報はすでに入っていたが、半信半疑どころか、私は可能性に入れていなかった。ただの解体ならまだしも、移築となると莫大な費用が掛かる。ポンとお金を出せるものではない。私は正直諦めていた。取り壊される前に見納めしておこうと思い、今月、すでに数回訪れた。いやあ良かった。荻窪にそのまま残すことはできなかったが、今度は新しい土地・大分県で、太宰治の聖地・碧雲荘は生き続けるのだ!!
 少し残念でもあるが、また一つの楽しみができた。大分県に移築されたら、必ず足を運びたいものだ!!

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by dazaiosamuh | 2016-02-17 18:18 | 太宰治 | Comments(2)
 今日、6月13日は太宰治の命日になります。佐渡ヶ島の記事がまだ途中ですが、太宰の命日なので、載せることにしました。
 太宰は昭和23年6月13日の午後11時過ぎ、山崎富栄と共に三鷹・玉川上水に入水しました。実際の正確な死亡時刻は分かっていませんが、13日の夜半に家を出て玉川上水へと向かっているので、13日に入水したのではと言われているので、一応、6月13日が命日になっています。
 桜桃忌も近いこともあり、それに合わせて本日6月13日(土)から6月28日(日)まで、三鷹市美術ギャラリー第三展示室で「津島家寄託」太宰治資料展が催されています。
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 今日は仕事で疲れていたのですが、何でもない日に行くよりは、やはり、太宰の命日に行かないわけにはいかぬ、と自分に言い聞かせて観に行ってきました。
 展示スペースは思っていたほど広くなく、展示品の数もそれほど多くはありませんでしたし、何度も見たことがあったりなど、それほど目新しいものはありませんでしたが、それでも太宰が実際に使用していたアドレス帳や油絵で描いた自画像などは、何度見ても感慨深いものがありますね。
 開館時間が午前10時から午後18時までなので、大抵の方は仕事帰りに寄るのは大変かもしれません。しかし、一見の価値はあるので太宰好きならば休日を使って見るべきです。

 太宰治資料展を見た後、私はついでに荻窪の碧雲荘の様子を見に行きました。相変わらず昭和初期の雰囲気を醸し出していて、つくづくこの建物は残すべきだと改めて思いました。近くの軽食屋さんに寄ったところ、マスターが「碧雲荘のことが週刊朝日に載っているよ」と見せてくれました。
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 今週6月9日(火)に発売された週刊朝日に、碧雲荘の記事がカラー写真と共に載っていました。内容はあまり濃く書かれてはいませんが、内部の写真が数点あり、初めて見ました。記事の内容を少し抜粋させてもらいます。

太宰治が暮らした東京都杉並区の「碧雲荘」は、名作『人間失格』の原形となった作品を執筆した場所とも言われる。
 昭和初期、所有者の田中利枝子さんの祖父が建てた。だが相続が難しく、来春、敷地は区に引き渡される予定だ。
「今のままでは、家屋は取り壊すしかありません」(田中さん)
 いずれの家も、地元では保存や移築を模索する。佇めば、文豪の息遣いを感じる家。失われてゆくのは、あまりに寂しい。


 保存を呼びかける動きもどんどん出て来てはいるみたいですが、このまま良い案も出なければ、来春には取り壊されてしまうみたいです。
 どうなってしまうのでしょうか。どうにか区の力で保存に向けて話を進めてもらいたいです。ただ黙って見守るしかないのでしょうか。

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by dazaiosamuh | 2015-06-13 23:22 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)