遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 碧雲荘は当時、1階が母屋で2階がアパートとして使用されていた。写真の左の玄関が母屋用で、右がアパート用の玄関であった。ここを訪れた際、興奮して当時から使用されている扉や梁などをベタベタさわったりしたが、太宰治と小山初代は主に2階のアパートの一室を使っていたので、母家の方へはあまり来ることはなかったのではと思います。
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 こちらはアパート用の玄関です。太宰治も当然ながら、小山初代や太宰の友人、知人も使った。私がこの玄関で一番目を引いたのは、写真中央上にあるステンドグラスであった。
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 このステンドグラスは私の中である印象が残っていた。昨年の6月頃、碧雲荘の解体が終了し更地となった碧雲荘の跡地を空虚な気持ちで眺め、その後いつも荻窪へ来るたびに寄っていた軽食屋へ行くと、マスターがある雑誌を渡してきた。
 それは朝日新聞出版の6月19日号の週刊朝日であった。マスターが碧雲荘が載ってるよと教えてくれて、中を見ると、少しだけであるが碧雲荘の内部の写真がカラーで載っていた。玄関のステンドグラスが掲載されていたのである。移築を知ったときは、衝撃を受け、日本民家再生協会や碧雲荘の持ち主に直接、中の見学を交渉したが断られてしまったこともあり、碧雲荘の中を写真を撮れなくてもいいから拝見させてもらいたかったと、羨む目でじーっといつまでもこの写真を眺めた記憶がある。そのためにやけに印象に残っていたので、この度、お目に掛かることができて感無量であったのだ。太宰治は100%このステンドグラスを見ているのである。何といっても玄関なのだ、嫌でも目にする。太宰だけではない、太宰の友人知人もみな見ているのだ。楽しかった日も悲しかった日も、晴れの日も雨の日も風の日も。ステンドグラスもまた、太宰治を覚えているのである。

 訪れた方には、是非、このステンドグラスもじっくり見てほしい。


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by dazaiosamuh | 2017-05-12 12:03 | 太宰治 | Comments(2)
 前回、『碧雲荘』の1階にあるグッズコーナー、輪廻転読コーナーを載せたが、他にもギャラリースペースがあり、太宰治の荻窪時代について知ることができる。
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 ギャラリースペースへ向かう途中の廊下から中庭を眺めると大きな岩が、3つある。この岩は荻窪に碧雲荘があった時に庭にあったもので、なんでも、ピースの又吉がこちらに贈ってくれたそうです。太っ腹ですね。苔を付け、綺麗に手入れがされています。太宰も目にしたことがあるかもしれません。
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 こちらがギャラリースペースです。
 昭和11年11月15日、太宰は杉並区天沼1丁目238番地碧雲荘へと移った。武蔵野病院退院後のことである。碧雲荘で太宰は後の有名作品となる『人間失格』の原型といえる『HUMAN LOST』を執筆する。さらに翌12年3月、太宰は小舘善四郎から小山初代との過ちを告白される。手洗いで一緒に用をたしているときであった。その後、初代に厳しく追及し過失を告白させている。太宰に限らず、誰だって他の男から自分の女との過失を突然告白されたら何と言っていいのか、どう反応していいいのか困惑するだろう、それが繊細な心の持ち主である太宰治ならなおの事であろうと思われる。
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 こういう廊下が私は大好きです。思わず写真を撮ってしまいます。ちなみに写真左の扉も当時のままのものです。
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 奥へ行くと脱衣所とお風呂場がありました。いずれは宿泊もできるようにしたいとスタッフが話していました。まさか宿泊までできるようにする計画まで出ていたとは、これほど嬉しく興奮する話はありません!!

 建物の約8割はそのままの材料を使っているとのことで、中を歩き回りながら、「ここを太宰が触ったかもしれない! あっ! ここももしかしたら触ったことがあるかもしれない!」とべたべたと手で触っては、1人でニヤニヤしてしまいます。そこら中が私の指紋だらけかもしれません(特に2階が…)

 まだまだ続きます!!

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by dazaiosamuh | 2017-05-09 20:39 | 太宰治 | Comments(0)

 太宰治原作の『人間失格』の漫画が、今月5月2日発売のビックコミックオリジナル10号から連載がスタートしていることを最近知った。

 なんでもホラー漫画を主に描く伊藤潤二という漫画家とのこと。私は普段漫画は読まないため(太宰治原作の漫画だけは読む)、知っている漫画家はあまりおらず、そのためどんな作品を描いているかも皆目わからなかったが、漫画家・伊藤潤二について、どんな漫画を描いている人物なのか調べたところ、これがまた、なかなかインパクトのある描写を描く漫画家であることを知りました。私のように初めての人間が彼の漫画を見ると(ネットで漫画の画像を見ただけですが)、ちょっと抵抗を感じてしまうのではと思います。


 漫画化についての説明に「独自の解釈でマンガにしていく」とある。漫画化されるとなると、描く人の個性が現われるため、雰囲気などがガラリと変る。そして原作に忠実に描かれているのか、オリジナル的要素が含まれているのかによってもまた全くの別物になってしまうが、伊藤潤二によって『人間失格』がどのように描かれるのか非常に楽しみだ。


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by dazaiosamuh | 2017-05-06 09:44 | 太宰治 | Comments(2)
『碧雲荘』の入り口へ、ドキドキしながら足を踏み入れると、優しそうなスタッフが出迎えてくれた。料金は700円。入場券をもらうと、その券と引き換えにドリンクを飲むことができ、いつでも好きなタイミングで交換することができる。上がってすぐの部屋に入ると、太宰グッズが目に飛び込んできた。
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 写真の右奥が玄関口です。中央に太宰グッズ。マグカップ、ファイル、メモ帳、ボールペン、手ぬぐい、缶バッチ、筆入れ、巾着、Tシャツなど、来たばかりだというのに思わず、どれを買って帰ろうかな、などと足をとめてしまう。
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 グッズのすぐ横の本棚には本がたくさん並んでおり、自由に手に取って読書することができる。
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 奥の部屋(ギャラリースペース)へと続く廊下にも様々な本が並んでおり、すぐ横の椅子に腰掛け、時には庭の景色を眺めながら読書を楽しむことができる。
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 こちらも読書スペースとして、またコーヒーを頂きながらゆっくりと寛ぐことができる。太宰グッズがある部屋のすぐ横にある。私が訪れたときには女性のお客が数名おり、庭の景色を眺めながら、「いやあ来てよかったわね。ゆっくりできて良かった。気持ちが落ち着く。」などと談話を楽しんでいた。
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『輪廻転読』
 この本棚にある本は、自分が持って来た本と交換することができる。自分が今まで読んだ本で、どうしても人に読んでもらいたい!! 自信をもって人に勧めたい!! と思う本をここにある本と交換することができるのだ。逆を言えば、ここを訪れた、どうしても読んでほしい!! との思いから置いていった他の人の本と交換し、そのおすすめの本を読むことができる。※本の交換には「読書カルテ」の記入が必須
 写真は見づらいですが、本棚の上に『輪廻転読』と書かれています。一部抜粋させていただきます。
『本は情報だけでなく、人の記憶、思い出もつないでいくもの。だからこそ本を買って、誰かに売るというその行為に常に誠実さを持っていたい。誰かの手を経てきた本を、また誰かへと届ける。そんな「思いをつなげていく」読書のあり方そのものが、コミュニケーションのひとつの形と考えています。』
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 こちらが『読書カルテ』です。おすすめ度やおススメした人、心に残るセリフ、感想などを書き込み、このカルテと一緒に本を交換する。カルテを書くことによって自分自身も、改めて自分はどこに感動を覚えたのか、なぜこの本を好きになったのかを振り返ることもできる。思わぬ発見をすることもあるかもしれない。それもまた思わぬ楽しみの一つとなるかもしれない。

 自分が置いていった本を誰かが手に取り読んでくれる。また、ここを訪れた本好きの人どうしの出会いにも繋がる、人との輪が広がる。なんて素敵なことだろう。これからどんどん沢山の人が訪れて、人と人との輪が広がっていければと思う。
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 ちなみに、入場券は下部を切り取り、それと引き換えにドリンクと交換することができるのだが…。
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 ドリンクと交換した後は本のしおりとして使うことができ、なかなか凝っている。

 記事はまだまだ続きます。

 

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by dazaiosamuh | 2017-05-05 14:41 | 太宰治 | Comments(2)
 先月末、私は大分県湯布院へ旅に出た。東京・荻窪にあった『碧雲荘』が大分県湯布院町に移築されることが決まり、解体されてから早1年。先月16日に『ゆふいん文学の森』として生まれ変わった。行かないわけにはいかない。GW前に連休を取り、期待を胸に向かったのであった。実は九州を訪れるのは初めてのことだ。行く機会などないだろうなと思っていたが、まさか『碧雲荘』が縁で九州の土地を踏むことができるとは思ってもみなかった。しかし、慣れない飛行機での旅であった。視界不良により十数分到着が遅れ、大分空港から湯布院駅へ向かうバスの時刻ギリギリに文字通り飛び乗り、ようやくバスの中で呼吸を整えることができた。乗客は私と年配の紳士だけであった。車窓から自然豊かな景色を眺めていたが、慌ただしく乗り込んだこともあり、景色を写真に収めることをすっかり忘れていた。大分空港から湯布院駅まではバスで約60分かかったが景色を楽しむことができたため長くは感じなかった。
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 湯布院へ到着し、まずは駅の観光案内所で地図を貰い腹ごしらえをすることにした。駅もそうだが町中が中国人の観光客でやたらと溢れかえっていた。日本人を見つけることの方が難しく、つまり外国人観光客がいなければ、そんなに賑いが無いのかと思えば私は閉口せずにはいられなかった。

 駅前で適当な蕎麦屋を見つけて入り(なぜか昼時であったのに客がいなかった)、わんこそばでも食べるかのようにさっと食べてさっと店を出た。駅でタクシーに乗り、この旅の目的である『ゆふいん文学の森』を告げ向かった。白髪の運転手に、やたら中国人の観光客が多いですが毎日こんな感じなのですか、と尋ねると、はいそうです、8割は中国人です、と答える。賑わうのは多いに結構だが、もっと国内の観光客に訪れてもらいたいと切実に思った(そういう私も九州を訪れるのは初めてですが)
『ゆふいん文学の森』はタクシーで約10分ぐらいで着く、徒歩だと、まあ30分ぐらいかなと教えてくれた。運転手に、今月半ばにオープンしたばかりなのに知っているのですね、と訊くと、そりゃ知ってますともタクシー運転手ですからと答えた。そんな話をしながら言っていた通り、10分もしないで到着した。
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 木に隠れてまだはっきりと見えない。まったく焦らすなんて、嬉しくも憎い建物だ。しかしタクシーで到着してドアを開けた瞬間にご対面というのもびっくりする。入口に向かって一歩一歩、今まで待ち望んだ想いをかみしめ、高まる興奮を抑えつつ、再び出会える感動と期待に胸を弾ませ進んで行く。
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 生まれ変わった『碧雲荘』があった。この正面の景色を東京の荻窪で何度見た事か。再び会えたことにただ感謝、感激するのみです。すぐに中に入ることがもったいなくてできない、しばらく私はぼーっと眺めていました。荻窪にまだ『碧雲荘』があり、湯布院に移築が決まって、持ち主の田中さんが中の物を整理していた時、私はどうしても中を拝見してみたくて交渉したことがあったが、NGであった。湯布院に移築された『碧雲荘』を目の前にして、やはり移築前の『碧雲荘』の建物内を見てみたかったなと思ってしまった。外観は見比べることはできるが、中は見比べることができない。しかし逆に考えてみれば、比べる必要がないからこそ新鮮な気持ちで見つめることができるとも言える。そう思えばいいじゃないかと自分に言い、新しい土地、大分県湯布院で生まれ変わった『碧雲荘』の入り口へと入っていきました。

 青森・浅虫温泉の記事が途中ですが、せっかく先月オープンした『ゆふいん文学の森』へ行ってきたので、こちらを少しづつ紹介しながら書いていこうと思います。浅虫温泉の記事はその後になります。



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by dazaiosamuh | 2017-05-02 23:15 | 太宰治 | Comments(2)
 太宰治が投宿していた宿であるが、今回、私が宿を取ったのは椿館という旅館である。なぜ選んだかというと、HPに『棟方志功画伯も椿館を愛してやまなかったお一人ですが、実は他にも、ここ、椿館を愛していた作家はおりました。皆様もよくご存知の文豪太宰治です。太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治をしておりました。』と記載されていたからだ。しかし、書籍などをみると、どちらかというと『鶴の湯』の方が有力な気がする。
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 いつからなのか、現在は『鶴の湯』から平仮名で『つるの湯』となっている。
 では、『太宰治と青森のまち』から抜き取ってみようと思います。重要なので長文になります。
『青雲の街と、その文脈』の題で松村慎三という方が、太宰の短編『思い出』に書かれている『汽車で三十分ぐらいかかって行ける海岸の温泉地へ…』の部分に対して、『海岸の温泉地とは、浅虫温泉(鶴の湯)である』と記載している。あっさりとしか触れていない。しかし、工藤英寿という方は、『鶴の湯と汽車通学』の題で、『私は浅虫から青中の後身である青高へ汽車通学した。しかも太宰が寝泊りしたのは鶴の湯で、私が住んだ椿館別館とは目と鼻の先なのである。(中略)太宰の浅虫からの汽車通学を教えてくれたの「思い出」とともに小野隆祥著「太宰治青春賦」とうい本である。小野隆祥氏は太宰より一歳年下だが、青中と旧制弘高で、太宰の一年先輩だった方で、小野正文氏の令兄である。(中略)「太宰治青春賦」は小野氏の遺稿集で昭和六十二年六月、盛岡・キリン書房から出版された。私は追悼の意を込めて購って読んだのであるが、その本で、青中、弘高時代の太宰についての認識を新たにし、浅虫から太宰が青中へ汽車通学したことも知ったのである。(中略)読んで行って納得が行ったが、ここにもう一人の知人が登場する。それは柴田治三郎氏という東北大学名誉教授である。小野氏は旧友の柴田氏に太宰の浅虫時代のことを問い合わせ、柴田氏の手紙を手がかりに話を進めているのである。柴田氏の手紙の一部を引用させていただくと《津島のことで、ご参考にならないと思いますが、また一つ思い出しました。私が中学三年で休学した年、春の終りから冬の始めにかけて、浅虫で静養していました。私の宿は、”柳の湯„といって、海岸の本通りから山の方へ(小学校のある方へ)曲り、ガードをくぐって、しばらく行き右手にある橋を渡って一寸引っ込んだ所にあります。(中略)ところで私が”柳の湯„に逗留していた年の夏休みに津島修治が姉さん(?)と一緒に”柳の湯„よりも少し山寄りのたしか”鶴の湯„という宿に、しばらく来ていました》
 柴田氏は、さらに続けて書いている。《”鶴の湯„は道路に面していて、主屋の右に、主屋に続いて長屋風につながった数軒の貸部屋が、やはり道路添いにあり、一つ一つ戸口と格子窓がついていました。津島姉弟はそのうちの一軒にいたのです。大金持でも割につましい暮らし方をするものだな、と当時子供心にも感じた記憶があります》《散歩の途上で何度か会ったことはありますが、私は病人でもあり、互いに訪問することはありませんでした。そのころ津島は金木の連中で(?)同人雑誌を出していました。何という標題だったか、思い出せそうで思い出せません……》

 数人の人間が太宰治は『鶴の湯』に泊っていたと証言しています。他の書籍を見ても『椿館』に泊ったとは書かれていないように思います。書籍によっては年譜にも『鶴の湯』に宿泊と書かれていました。もしかしたら私の見落としがあるかもしれませんが。
 それなら『つるの湯』でゆっくり身体を癒しながら、直接聞いてみようと思いました。
 中に入り、さっそく浴場へ行くと先客が2名いましたが、ほぼ私とすれ違いで出て行きました。思っていたほど広くはありませんでしたが、身体の汗をきれいさっぱり洗い流し、湯に浸かりました。洗い場は4カ所だけです。湯船もあまり広くありませんでしたが、40分ほどのんびり身体を癒し、湯を出て、宿の主人に、「ここは太宰治が昔、宿泊したそうですね。」と訊くと、「はあ、どうでしょう。」と曖昧な返事であった。「本に『鶴の湯』に泊っていたと書かれていました」と言うと「はあ、そのようですね…」と面倒くさそうに曖昧な返事をするだけでした。
 何だか少々がっかりであった。せっかく書籍に『鶴の湯』に泊っていたと書かれているなら、もっと堂々と「そうです」と言ってもいいようなものである。口ぶりを見る限り、太宰治のことなどどうでもいいような感じであった。事実、そうなのかもしれない。私のような人間が勝手に、「ここに太宰が泊まったのか!!そうなのか!!」と一人で興奮しているだけなのだろう。そうなると、『椿館』はどうなのだろう。意外にこちらの方がはっきりと、『そうです』と言いそうである。結局よくわからない結果に終わりそうである。
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 そとに出るとまた雪が降っていた。『つるの湯』がある通りには、足湯もあり、『つるの湯』を訪れた時には、親子が足湯に浸かりながら、談話を楽しんでいた。私が『つるの湯』を出た時には、足湯はおろか通りには誰一人として歩いていなかった。寒く寂しい感じがした。
 この日の夜に『椿館』に泊る予定となっているから、『椿館』で同じように訊いてみるしかない。

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by dazaiosamuh | 2017-04-30 20:36 | 太宰治 | Comments(0)
 浅虫温泉で太宰の母親、姉が湯治しまた太宰も寝泊りした宿がどこなのか、事前に調べたところ昭和63年発行の『太宰治と青森のまち』に詳細に書かれていた。しかし、不思議なことに『太宰治と青森のまち』に記載されていた太宰治が泊まったであろう宿とは別に、私が宿をとった旅館がHPで、『太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治しておりました。』と載せていた。一体どういうことなのだろうか。どちらが本当なのだろうか。もしかしたら複数の場所に泊ったことがあるということなのだろうか。これは訪ねて訊いてみるしかない。しかし、時間に余裕があったため、一先ず町中をぶらぶら歩いてみることにした。
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 雪が降ったり止んだりを繰り返している。視界が悪く、写真も撮り難い。歩いていたら、八幡宮を発見した。
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 観光案内図の説明に『1282年勧請と伝えられる八幡宮で、大陸文化興隆の御神徳と母子神を本願とし、地元はもとより青森各地から参詣者が訪れます。現在の本殿は大正4年に建設されました。』とある。本殿は後ろにあったのだが、横に回り込んでも見る事ができない。
 青森各地から参詣者が訪れるほどであるから、湯治しに浅虫温泉を訪れた太宰治の母親や姉も、手を合わせに来たにちがいない。太宰治もまた、『私はずっとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。私は秀才とういぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。』(思い出)とあるから、ここへ何度も足を運んでお祈りしたのではないだろうか。そういう私も、高校受験をまじかに、家から一番近い神社に何度も足を運び、一生に一度のお願いです、と人生のすべてがかかっているかのように興奮、大げさに手を合わせたものだ。
 この八幡宮は、早朝ウォーキングコースにもなっており、八幡宮のさらに上へと登っていく道がある。途中、むつ湾展望台、浅虫高野山を経て、浅虫温泉駅へと続く約1時間のコースだ。少し登ってみたが雪が積り、しかも足跡さえない。地元の人ですら冬季は歩かないようだから、やめておいたほうが無難のようだ。案内図に『浅虫高野山 八十八カ所石仏願掛めぐり』と書かれている。御利益がありそうだ。暖かい季節に歩くのがいいかもしれない。

 身体も冷えてきたところで、そろそろ本に記載の宿へ向かうことにした。


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by dazaiosamuh | 2017-04-24 11:32 | 太宰治 | Comments(0)
 青森県近代文学館を出て急いで青森駅へ向かい、青い森鉄道に飛び乗った。平日の昼間だったため、てっきり空いているかと思いきやかなりの混みようであった。特に学生が多く、なぜこんな昼間にいるのか不思議でしょうがなかった。どうにか空いている席に腰をおろすことができ、浅虫温泉駅までのんびり向かうことができた。
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秋になって、私はその都会から汽車で三十分ぐらいかかって行ける海岸の温泉地へ、弟をつれて出掛けた。そこには、私の母と病後の姉とが家を借りて湯治していたのだ。私はずっとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。私は秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいってみせなければならなかったのである。』(思い出)

 短編『思い出』にある、太宰の母と姉が湯治し、そして太宰が寝泊りした宿がどこなのか、それを知りたく浅虫温泉へやってきた。浅虫温泉駅で観光案内図をもらい、歩く順番の目星をつけた。その前にぶらぶら駅周辺などを見ることにしたのだが、すぐ駅横に足湯があった。雪の積もる時期ではあるが、誰一人として足湯を利用している人はいなかった。
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 橋の上からの浅虫温泉駅。雪が積もっていることもあり、若干寂しい印象を受ける。
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 こちらも橋の上からの写真。水平線の向こうは青森市街であるが、不安定な天気のため全く見えない。雪はまだこのとき降ってはいなかった。のんびり歩き廻って写真を撮りたいが、雪がいつ降るのか分からないため、気持ち早めに歩くことにした。
 ここ浅虫温泉は、太宰治が青森で贔屓にした芸妓・小山初代が住んでいたことのある土地でもある。
 昭和12年7月頃、太宰治と離別した小山初代は、『やがて青森市郊外浅虫温泉にいた実母小山キミ、実弟小山誠一方に身を寄せたと推定される。そのあと、初代は、じばらく弟誠一の魚屋の仕事を手伝っていたが、やがて北海道に渡り、さらに中国に渡って、転々とする』ことになった。
 小山初代が手伝った魚屋などはどこにあったのか。いくら調べても出てこなかった。この浅虫温泉のどこかにあったのはたしかなのだが、いまでは分からない。弘前にある小山初代の墓は斜めに傾き、いまでは無縁仏となっている。時間とともに忘れ去られようとしている。少しでも小山初代の生きた土地で肌で『ああ、ここで生活していたのだな』と感じてあげたいが、なかなか難しいかもしれない。何はともあれ歩いてみるしかない。


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by dazaiosamuh | 2017-04-15 20:49 | 太宰治 | Comments(0)

太宰治の文具

 つい最近、会社の友人からノート、メモパッド、付箋を貰った。その友人は、私が太宰治が好きなことを知っていたため、太宰のイラストが描かれたノート、メモパッド、付箋を選んでくれたようだ。
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 太宰治の顔に吹き出しがついた表紙のノート。太宰治の写真の中でも特に有名な頬杖ポーズ。思わずこちらも溜息が漏れそうになり、日々の暗澹たる想いをノートにしたためたくなる。
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 太宰治のメモパッド。このメモパッドは表紙は太宰治となっているが、中身は、太宰治、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治の4人がおり、好きな作家のメモパッドを使うことができ、飽きさせない工夫となっている。
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 太宰治の付箋。ノート、メモパッド、付箋はどれも同じポーズとなっている。表情をよく見ると、写真による実物の太宰治よりも若干クールな印象を受けた。メモとして使うのもいいが、面白い台詞を考えて、吹き出しに書いてみるのも楽しいかもしれない。また、吹き出しに太宰の作品のタイトルを書いたりして、その本のしおりに使うのもいい。
 どれも使うのが勿体ない。まさかこういうのもあるとは知らなかった。貰って感激した。雑貨店であるそうだが、少しマニアックなため、どこでも扱っているわけではないようだ。大切に使おうと思う。

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by dazaiosamuh | 2017-04-03 20:24 | 太宰治 | Comments(2)

 かつて荻窪にあり、太宰治が下宿先として使用し、『人間失格』の元となった『HUMAN LOST』などを執筆した建物『碧雲荘』が、いよいよ大分県由布市湯布院町に来月4月16日オープンする。

 文学に親しむ施設として建てられ、名前は『ゆふいん文学の森』とのこと。熊本地震から約1年、大変な苦難だったと思います。湯布院町『ゆふいん文学の森』に行った際に、余裕があったら熊本にも寄りたいです。東日本大震災から早6年、故郷の岩手県に全国から多くのボランティアや義援金などが送られました。私ができるせめてもの恩返しは、熊本、大分などの土地を訪ね、観光の力になってあげることだと思います。






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by dazaiosamuh | 2017-03-17 18:50 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)