遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 弘前城を後にした私は、弘前公園のすぐ横にある洋館等を周ることにしました。まず最初に向かったのは、洋館の中でも一際目を引く左右両端に八角形のドーム型双塔を持つ、旧弘前市立図書館である。明治39年(1906)に建設された木造の洋館で、造りはルネサンス様式の三階建て。窓枠などにあしらわれた緑色や赤い屋根が非常に印象的であった。
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 中は、普通閲覧室として使用されていた部屋があり、現在は地元の出版物が展示されていた。しかし、普通閲覧室とは別に、塔の一階部分の奥には、女性専用の閲覧室というのがあった。当時の時代背景をちらと思わす一室である。窓が多くて明るく、暖かい日差しの中、当時の女性たちが利用する姿が目に浮かんだ。
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 昭和6年(1931)までは、市立図書館として利用され、かつては下宿屋や喫茶店としても使われていたようだ。

 続いて向かったのは、明治33年(1900)に建設された、見た目の愛らしい東奥義塾外人教師館です。青森県内初の私学校である東奥義塾に招聘された外国人教師の住居として使われていました。家具の置かれた書斎は、壁紙がピンク色だったり、2階のベランダには子供用のブランコがあったりと、外国人一家が子ども達と楽しく過ごしたのでしょう。
 
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 一階は現在『サロン・ド・カフェ・アンジュという喫茶店があります。私は最初、まさかこの教師館の中に喫茶店があるなど知らなかったもので、引き戸を開けたら店員さんが出てきたため驚きました。ですが、ちょうど時計の針もお昼を過ぎていたためここで昼食を取ることに。
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 このカフェには、藩士の珈琲(525円)があるのですが、幕末の珈琲を再現したものだそうです。私は、お腹が空いていたためリンゴ入りのカレーライスを注文。ちなみに、客は私一人だけで、この時の教師館は外観を改装中であったため、少しばかり外の光が遮られて暗い印象を受けました。

 お昼を済ませ、教師館のすぐ横にあるミニチュア建造物群を見ようと思ったところ、こちらも改装中。通路は一応通れるのですが、写真を撮るとどうしても工事の鉄筋などが一緒に写ってしまうため、少し味気なくがっかりしました。
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 青森県内初の銀行の本店、青森銀行記念館に足を運んだのですが、残念ながら冬季(12月~3月)は休館でした。こちらは明治37年(1904)に旧第五十九国立銀行の本店として建設。ルネサンス風の外観に日本の土蔵造りの構造を取り入れた和洋折衷スタイルが特徴。天井一面は金唐革紙で造られており、当初の姿で残っているのは全国でも小樽の日本郵船とここだけらしいです。それもあって、入れなかったのは残念でした。
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 弘前には、なぜ洋館が多いのかというと、北前船が寄港していた当時、藩の中心が置かれていた弘前は、昔から外来文化になじみが深く、幕末の頃より英語教育に尽力し、いち早く外国人教師を招聘。また、洋風建築で有名な弘前出身の大工・堀江佐吉の影響もあり、洋館が多数建築されたそうです。
 ちなみに、途中で分かったのですが、旧弘前市立図書館や青森銀行記念館などを建設した堀江佐吉はなんと、現在記念館になっている太宰治の実家、『斜陽館も手掛けていたのです。どうりで旧弘前市立図書館の赤い屋根は、『斜陽館のそれを思わせるはずです。
 きっと、太宰の父・源右衛門は、堀江佐吉の腕を見込んで建築を依頼したのでしょうね。
 
 
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# by dazaiosamuh | 2013-12-21 21:19 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)