遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 天下茶屋は、外川政雄によって昭和9年12月、旧御坂道のトンネル脇に建てられた。標高は1297m、富士と河口湖を一望できる。この「天下茶屋」という名は、徳富蘇峰が新聞に紹介したことがきっかけで、定着したものと言われている。
 太宰はこの天下茶屋に、1938年(昭和13年)の9月13日に訪れている。

昭和13年の初秋、思いあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た
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 実は先に、師である井伏鱒二が7月30日頃からここに滞在していて、それを知って太宰はここへ来たのだ。2階の端にある部屋で、荒い棒縞の宿のどてらに角帯を締めて机に向かい、主に「火の鳥」を書き進めた。ここでは今も、井伏鱒二や太宰治が使った机や火鉢があり、じかに触れることもできる。他にも数は少ないが資料なども展示されている。
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 この3日後の9月16日に、井伏の仕事も一段落し、三ツ峠に登ることになった。
「富嶽百景」にも書いているのだが、嘘か本当か、自分の師である井伏鱒二が放屁したことを書いている。

井伏氏は、ちゃんと登山服着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。茶屋のドテラは短く、私の毛臑は、1尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶店の壁にかかっていた古い麦藁帽をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟いて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなそうであった

 自分の師を使い、「放屁なされた」と書いた太宰は流石である。井伏はこれに反論するが、長部日出雄著「富士には月見草」によると、太宰は「いえ、たしかになさいました」といい、さらに、「一つだけでなく、二つなさいました」と言い張ったそうである。
「放屁さないました」なんて、ユーモアがあり読み手には面白いが、むきになって抗議するところを見ると、流石の井伏も恥ずかしかったのだろうか。


 ・井伏鱒二 1898年 広島県出身 早大中退 「鯉」「山椒魚」でデビュー

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# by dazaiosamuh | 2014-01-18 22:16 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)