遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 最後の部屋は文豪・太宰治が約7カ月間生活した、東京の荻窪にあったときから一番見たかった部屋になります。部屋の名前は『HUMAN LOST』。
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 太宰治の部屋だけは、入るのに胸がどきどきする。「こんにちは~、太宰先生いますか~」なんて言いながら扉を開ければ、「ん、何だね」なんて返事が返ってきそうです。
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 入ってすぐに物置があります。太宰はほとんど家財道具などは持たず質素な生活をする人だったようなので、あまり使わなかったかもしれません。昭和11年11月15日、照山荘アパートから杉並区天沼の碧雲荘に移り、翌年12年6月頃までここで生活した。太宰が碧雲荘で執筆した『HUMAN LOST』は、昭和11年10月13日から11月12日まで入院した東京武蔵野病院での生活を書いたもので、その後、有名作品となる『人間失格』へ集約されている。パビナール中毒の治療のために精神病院に入院させられたことに太宰は非常に精神的ショックを受け、それは生涯、引きずることとなる。退院後、小山初代の過ちを知り、さらに精神的に動揺したことだろう。太宰にとって、碧雲荘での生活は辛いものであったと思う。
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 8畳の角部屋で2階にある部屋の中で一番広く開放的な印象がある。窓を開けると外からの清々しい風が通り抜けいく。
 武蔵野病院を退院してすぐに碧雲荘に移り住んだとき、友人の山岸外史が碧雲荘を訪れたときのエピソードが『人間太宰治』(山岸外史著)に載っている。
この碧雲荘の太宰は、ぼくがいったとき病人のように寝床に横になっていたが、いつか話に興奮しはじめて、床の上におきなおった。太宰がこれほど能弁だったことはないが、「君だけには、ぜひとも話をしたかったのだ」といったり、「昨日退院したばかりだ」ともいったが、じつは二日経っていたのじゃないかと思う。傍には初代さんが黙って太宰の喋るのを聞いていたが、このとき、「いいえ、山岸さん、今日で二日目よ」といったことをおぼえている。太宰がちょいと狼狽したので、初代さんの方が正直なのだ、とぼくは思った。この日の太宰には、そんなところがあった。まちがえたのにちがいない。
 山岸外史によれば、この日ほど太宰が興奮した日はなかったという。法律的な用語も出て、「人権蹂躙」という言葉なども使い、太宰の話す人権について耳を傾けた。
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 小山初代との離別が決まった後、太宰の留守中に小山初代が山岸外史に立会人になってもらい、碧雲荘に荷物を取にいった。
この鏡台、いただいてまいりますワ。よろしいでしょうか」
 そういわれてぼくがふと眼をあげてみると、例の、見馴れている赤塗の卵型の鏡台であった。初代さんは、それを隣りの物置からとりだしてきて室の中央に立って両手にもっていた。鏡台は埃りに塗れていた。そこにも月日があったのである。(中略)初代さんは、その埃りをかぶっていた鏡台を、しきりに布巾で拭いて掃除をしているようだったが、そこにまたあの色っぽい初代さんがいたのである。卵形の朱塗の鏡台の塵を丁寧に拭いている初代さんは、いかにもあの初代さんであった。ぼくは、なにか、アブナイようなアワレサさえ感じたものである。
 こういったエピソードを読んでから太宰の部屋を見ると、一層その時の場景が眼前に展開されるようであった。離別し荷物をまとめ、太宰と一緒に生活していたときに使っていた思い出の鏡台を懸命に拭く小山初代の寂しい姿も想像される。
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 部屋の柱などには釘や画鋲の跡があり、太宰がいた当時からの木材がそのまま使われていることをこの目で見て実感できる。跡は太宰が残したものもあるのでしょうか。ほとんどはその後に住まれた住人のものかもしれません。
 小山初代と離別後、碧雲荘で友人3人での微笑ましいエピソードもある。
碧雲荘で、初代さんが去ってからまもない頃のことであった。太宰、檀、ぼく(山岸)の三人で、夕飯の作り方の腕くらべをしたことがある。(中略)太宰は、この種のことはなにもできなかった。釘ひとつ打つにも不器用だったが、ただ台所をうろうろするばかりであった。「沢庵くらいならば切れるだろう」「箸と茶碗ぐらいなら、並べられるだろう」ということで、そういう役目になった。しかしやがて一同が食卓にむかってみると実際に味噌汁も上出来だったし、飯もよく炊けていて、みなが大いに食った。
「しかし沢庵切りや走り使いというのは、いかにも芸のない仕事だねえ」と太宰がいった。一座大笑いになった。太宰は小説でも書いているとおりに、自分を笑い者にしながら、ひとを笑わせることはほんとうに巧かった。「しかし、女手がないと不自由なものだネ」太宰がふといった。
 檀一雄が米磨ぎから炊くまで、山岸外史が葱の味噌汁作りをした。そんな中、太宰は手提げを持って葱や沢庵の使い走りをし、「箸と茶碗ぐらいなら、並べられるだろう」である。幼稚園児でもできそうなものである。こういう所が、女性がかまってあげたくなるのだろう。
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『HUMAN LOST』から見た由布岳。なかなか悪くないが、スタッフが言っていたように『富嶽百景』の部屋から見た由布岳が一番いいかもしれない。ちなみに各部屋の調度品はすべて当時のものではないとのこと。この部屋でポーズを取りスタッフに写真を撮ってもらったが、恥ずかしいので載せるのを止めました。

 太宰は小山初代と離別後、同じく杉並区天沼の鎌滝富方に単身移転する。その際、蒲団、机、電気スタンドと行李ひとつで移った。
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 ひととおり見てまわり、1階の庭に面したテーブルで珈琲を頂きました。いつまでも時間の許す限りここに居たいと思ってしまう。結局、1泊2日の旅行で翌日も碧雲荘を訪れました。

 記事はあと少しだけ続きます。


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# by dazaiosamuh | 2017-05-22 18:05 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)