遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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太宰治 篠原病院で手術

 昭和10年3月、太宰は新聞社試験失敗、そして鎌倉での<縊死>自殺未遂事件などを起していた。その翌月の4月4日には、原因不明の腹痛を訴え、東京市杉並区阿佐ヶ谷四丁目九百番地の外科、篠原病院に行き診察を受け、急性盲腸炎と診断され入院。
 翌日4月5日、手術を受けたが、少し手遅れで腹膜炎を併発して重態に陥るが、一命はとりとめる。しかし、入院中、患部の苦痛を訴え、パビナール(麻薬性鎮静剤、正式名日本薬局複方ヒコデノン注射液)注射を受け、次第に習慣化していく。太宰のパビナール中毒の原因は、この時の手術後の腹膜炎による患部の苦痛であった。
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 阿佐ヶ谷の篠原病院跡は、駅からそう遠くない徒歩3、4分の場所にあった。すでに篠原病院自体は無くなっており、別の建物に変わっていた。
 下の写真中央が、当時篠原病院があったとされる場所だ。今は全く面影を残していないようだ。
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 太宰は自身の当時を「東京八景」に、
『私は劇烈な腹痛に襲われたのである。私は一昼夜眠らずに怺えた。湯たんぽで腹部を温めた。気が遠くなりかけて、医者を呼んだ。私は蒲団のままで寝台車に乗せられ、阿佐ヶ谷の外科病院に運ばれた。すぐに手術された。盲腸炎である。医者に見せるのが遅かった上に、湯たんぽで温めたのが悪かった。腹膜に膿が流出していて、困難な手術になった。手術して二日目に、咽喉から血塊がいくらでも出た。前からの胸部の病気が、急に表面にあらわれて来たのであった。私は、虫の息になった。医者にさえはっきり見放されたけれども、悪業の深い私は、少しずつ恢復して来た。一箇月たって腹部の傷口だけは癒着した。』と書いている。

 書籍を見比べると、殆どが「急性盲腸炎」と書いているが、ある年譜には「急性虫様突起炎」と記載されていた。私は違いが分らなかったので調べたところ、一般的には「盲腸」というのは、医学的には急性虫垂炎が正式な病名らしい。大腸の盲腸という部位の下端に突出した虫垂突起の炎症で、これが「盲腸」といわれるゆえんだそうです。そして、「虫様突起炎」というのは、「虫垂炎」の昔の旧名のようです。

 当時は、今のように医学が進んでいたわけではないため、治るのにも時間が掛かったと思います。毎日注射などしなくても飲み薬でどうとでもなると思いますから、太宰も大変だったことでしょう。

 この後、静養を兼ねて長兄文治の友人が院長を務めている病院『経堂病院』に移ることになる。
 『経堂病院』については、また後ほど書きます。



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# by dazaiosamuh | 2014-05-01 21:04 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)