遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 千畳敷駅を下車してすぐに太宰治の文学碑があり、その背後には日本海と駅名に由来する数えきれない岩石が展開している。
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この辺の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいうものだそうで、その海蝕を受けて平坦になった斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、数百人の宴会を海浜に於いて催す事が出来るほどのお座敷になったので、これを千畳敷と名付け……
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 でこぼことした岩石が露出している。なるほど、言われてみればお座敷に見えなくもない。ここで数百人で酒を飲めたら、たしかに楽しそうだ。この千畳敷海岸を歩くことを事前に分かっていたのに、この旅行で私が履いてきた靴は、通気性を良くするために、底に数カ所の穴のあいたランニングシューズであった。おかげで海水のしみ込んだ砂地を歩くときに、その穴からじわりじわりと海水が入ってきて、靴下がびしょびしょになってしまい、靴のなかは海水臭くなってしまった。なんてドジなんだろうと思いながら千畳敷の岩盤の上から遠く日本海を眺めていました。
 この岩盤は、1792年(寛政4年)に地震で隆起したと伝えられている。藩政時代は殿様専用の避暑地で、庶民は近づけなかったという。

またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛え、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼と称するのだそうだけれど、直径一尺から二尺くらいのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よっぽどの大酒飲みが名附けたものに違いない。
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 たしかに海水をなみなみと注いだような丸い窪みがある箇所があった。これをお酒をなみなみと注いだ大盃と見るのは、太宰の言うとおりよほどの大酒飲みである。それにしても、とても綺麗な丸い窪みだ。ほんとうに自然にできたのかと思って見入ってしまった。

 大宴会の開かれたとされる千畳敷であるが、太宰からすると、この辺から、津軽ではないと言っている。
外ヶ浜北端の海浜のような異様な物凄さは無く、謂わば全国至るところにある普通の「風景」になってしまっていて、津軽独得の詰屈とでもいうような他国の者にとって特に難解の雰囲気は無い。つまり、ひらけているのである。人に眼に、舐められて、明るく馴れてしまっているのである…(中略)…私などただ旅の風来坊の無責任な直感だけで言うのだが、やはり、この辺から、何だか、津軽ではないような気がするのである。津軽の不幸は宿命は、ここには無い。あの、津軽特有の「要領の悪さ」は、もはやこの辺には無い。山水を眺めただけでも、わかるような気がするのである。すべて、充分に聡明である。所謂、文化的である。ばかな傲慢な心は持っていない。

 津軽特有の『要領の悪さ』というのが、何だか分かるような分からないような。風土の違いを太宰は敏感に感じ取り指摘している。津軽出身の人からすると、太宰のこの見解をどう思うのだろうか。

 この後、靴の中がびっしょりの状態で再び列車に乗り込み、深浦へ向かいました。


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# by dazaiosamuh | 2017-09-09 20:32 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)