遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 太宰が鰺ヶ沢のことを『山を背負い、片方はすぐ海の、おそろしくひょろ長い町である。』と書いているが、訪れてみると全くその通りで、町の中心がどこなのかもよくわからない。太宰も『それにしても、この町は長い。海岸に沿うた一本街で、どこ迄行っても、同じような家並みが何の変化もなく、だらだらと続いているのである。私は、一里歩いたような気がした。やっと町のはずれに出て、また引返した。町の中心とうものが無いのである。たいていの町には、その町の中心勢力が、ある箇所にかたまり、町の重しになっていて、その町を素通りする旅人にも、ああ、この辺がクライマックスだな、と感じさせるように出来ているものだが、鯵ヶ沢にはそれが無い。扇のかなめがこわれて、ばらばらに、ほどけている感じだ。
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 私も海岸に沿ってはじまで歩いてみたが、とくに何かあるわけでも無く、ぼーっと海を眺めてすぐに引き返しました。たしか太宰がここにもコモヒがあると書いていたことを思い出し、町中を歩いてみましたが、どこにも見当たりません。
木造町のように、ここにも長い「コモヒ」があるけれども、少し崩れかかっている。木造町のコモヒのような涼しさが無い。その日も、ひどくいい天気だったが、日ざしを避けて、コモヒを歩いていても、へんに息づまるような気持がする。』とたしかに書いています。
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 町中をなんどもうろうろしていると、神社のよこにあるお店の年配のご主人が気さくに話しかけてきてくれたので、この町に昔コモヒがあったはずですがと尋ねると、「そうだったかな、いや、俺は一度もコモヒを見た事もないし、コモヒがあった話も聞いた事がない」とのことであった。太宰が訪れた時にはすでに『少し崩れかかっている』ような状態であったから、もしかしたら太宰が訪れた後に、数年のうちに取り壊されてしまったのかもしれない。また、『木造町のコモヒのような涼しさが無い…(略)…へんに息づまるような気がする。』とあり、コモヒがあってもあまり利用価値がなかったのかもしれない。だから、人々にあまり印象に残らず、記憶からも薄れて、世代にもコモヒがあった話が伝わっていかなかったのかもしれない。

 太宰は鰺ヶ沢でお蕎麦を食べていく。
飲食店が多いようである。昔は、ここは所謂銘酒屋のようなものが、すいぶん発達したところではあるまいかと思われる。今でも、そのなごりか、おそばやが四、五軒、軒をつらねて、今の時代には珍しく「やすんで行きせえ」などと言って道を通る人に呼びかけている。ちょうどお昼だったので、私は、そのおそばやの一軒にはいって、休ませてもらった。おそばに、焼ざかなが二皿ついて、四十銭であった。おそばのおつゆも、まずくなかった。
 私は、その気さくなご主人に、そういえば蕎麦屋を見かけないがどこにありますかと聞くと、なんと、もう一軒も無いという。
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 かろうじて看板のあるお蕎麦屋があるが、すでに廃業している。店もなんだか崩れかかっている。
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 この通りに昔、蕎麦屋がたくさんあったそうだが、今は一軒もない。
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 真ん中の茶色い建物も蕎麦屋だったそうだが、蕎麦屋だけでなく両隣の店も閉店している。町中も人通りがなく、廃れてしまっている。「やすんで行きせえ」などと道行く人々に声をかけて賑わっていたころなど想像できない。蕎麦屋の一軒くらいあるだろうと安易に考えていた私が愚かであった。蕎麦は私の大好物なのだが、仕方がない。

 太宰は『深浦といい鰺ヶ沢といい、これでも私の好きな友人なんかがいて、ああよく来てくれた、と言ってよろこんで迎えてくれて、あちこち案内し説明などしてくれたならば、私はまた、たわいなく、自分の直感を捨て、深浦、鯵ヶ沢こと、津軽の粋である、と感激の筆致でもって書きかねまいものでもないのだから、実際、旅の印象記などあてにならないものである。深浦、鯵ヶ沢の人は、もしこの私の本を読んでも、だから軽く笑って見のがしてほしい。私の印象記は、決して本質的に、君たちの故土を汚すほどの権威も何も持っていないのだから。』と鰺ヶ沢での話を締めくくって町を引きあげ、五所川原へと向かう。

 鰺ヶ沢をみた私の印象は、正直あまりよくない。よくないというより、印象に残らない町であった。太宰の見たもの、食べたものをなるべく共感したいと思って歩いているが、コモヒの跡すらなく、蕎麦屋にいたっては現在一軒も残っていない。ハタハタを食べれる時期に訪れていればまた違った感想を持てたのだろうが、なんだかあまり印象に残らなかった。廃れてしまって寂しい限りであった。

 これで、『津軽』の『五 西海岸』編は終了になります。


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by dazaiosamuh | 2017-11-30 12:07 | 太宰治 | Comments(0)
 だいぶ深浦の記事から間があいてしまいましたが、気を取り直して書いていきます。
 太宰は深浦で兄たちの勢力を思い知った後、ぼんやりと汽車に乗り、鰺ヶ沢へとやってきました。

鰺ヶ沢。私は、深浦からの帰りに、この古い港町に立寄った。この町あたりが、津軽の西海岸の中心で、江戸時代には、ずいぶん栄えた港らしく、津軽の米の大部分はここから積出され、また大阪廻りの和船の発着所でもあったようだし、水産物も豊富で…(中略)…けれども、いまは、人口も四千五百くらい、木造、深浦よりも少ないような具合で、往年の隆々たる勢力を失いかけているようだ。
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 現在の鰺ヶ沢駅。太宰の『津軽』を読むと、あまり派手な町ではないような印象を受ける。駅周辺も殺風景というのか、さっぱりとしている。ただ、私が訪れた時はアジアからの外国人旅行者が大勢いた。観光地として賑わうのは大いに嬉しいことだが、できれば国内の人たちで賑わってほしいものだ。

 ところで、誰でも駅名である鰺ヶ沢と聞くと、鰺が有名なのかなと思うが、太宰もこれに触れている。
鰺ヶ沢というからには、きっと昔の或る時期には、見事な鰺がたくさんとれたところかとも思われるが、私たちの幼年時代には、ここの鰺の話はちっとも聞かず、ただ、ハタハタだけが有名であった。ハタハタは、このごろ東京にも時たま配給されるようであるから、読者もご存じの事と思うが、鰰、または鱩などという字を書いて、鱗の無い五、六寸くらいのさかなで、まあ、海の鮎とでも思っていただいたら大過ないのではあるまいか。

 なるほど、海の鮎だと思えばたしかに分かりやすく想像しやすい。妻・津島美知子が『太宰は箸の使い方が大変上手な人だった。長い指で長い箸のさきだけ使って、ことに魚の食べ方がきれいだった。』と述べていることから、小さい頃から魚に親しみ、また魚を大事に食べる人だったことが分かる。
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西海岸の特産で、秋田地方がむしろ本場のようである。』と書いている通り、秋田でよく獲れる魚で、時期は11月から12月にかけてである。私がここを訪れたのは6月であったから、ハタハタは食べることができなかった。
東京の人たちは、あれを油っこくていやだと言っているようだけれど、私たちには非常に淡泊な味のものに感ぜられる。津軽では、あたらしいハタハタを、そのまま薄醤油で煮て片端から食べて、二十匹、三十匹を平気でたいらげる人は決して珍しくない。ハタハタの会などがあって、一ばん多く食べた人には賞品、などという話もしばしば聞いた。東京へ来るハタハタは古くなっているし、それに料理法も知らないだろうから、ことさらまずいものに感ぜられるのであろう…(中略)…いずれにもせよ、このハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つであるという事には間違いない。私は、そのハタハタに依って、幼年時代から鰺ヶ沢の名を知ってはいたのだが、その町を見るのは、いまがはじめてであった。

 鰺ヶ沢の話の半分がハタハタである。なぜここまでハタハタにこだわるのかと思ったが、『ハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つである』とあるから、津軽の暮し、津軽の風土を理解するうえで、ハタハタはなくてはならないもののようだ。二十匹、三十匹を平気でたいらげる人も珍しくないというが、太宰も魚にうるさく、魚が好きな人であったから、大いにたくさん食べて親しんだことだろう。
 ハタハタは、ちょうど今が時期のようだから、売っているのをみかけたら食べてみようと思います。



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by dazaiosamuh | 2017-11-20 16:15 | 太宰治 | Comments(0)
 知っている人は知っていると思うが、先月、新潮社の関係者宅から太宰治『斜陽』や島崎藤村の小説原稿、石川啄木や菊池寛の手紙など約30点が見つかった。
 太宰治の有名作品『斜陽』は、それまで6枚の所在が不明であったが、そのうちの4枚が今回発見された。『斜陽』は『新潮』で1947年7月号から10月号まで掲載され、今回発見された直筆原稿は、9月号と10月号の冒頭の2枚ずつであった。発見された冒頭原稿は、乱れのない几帳面な字で書かれていたと新聞記事に書かれていた。太田静子から借りた日記をもとに太宰独自の脚色を加え、大事に作品を造り上げたことがうかがえる。残る原稿は2枚。貴重な冒頭の原稿が発見されて何よりだが、残り2枚はたしてどこにあるのだろうか。無事にすべて揃えばいいのだが。
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 資料の一部は、先月新潮社から発売された「『文豪とアルケミスト』文学全集」に掲載されているとのことだ。

 この『斜陽』の直筆原稿が発見されたことは先月のうちに知っていたのだが、この新聞の切り抜きを私の両親がわざわざ実家から送ってきてくれたので、せっかくなので記事に載せることにしました。

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by dazaiosamuh | 2017-11-15 20:36 | 太宰治 | Comments(2)
 先月、ホラー漫画家の伊藤潤二がビックコミックオリジナルで連載している、太宰治原作『人間失格』の単行本の記念すべき第1巻が発売された。
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 以前にも記事で書いたが、非常に原作の雰囲気が出ている。しかし、作者の独特の解釈、アレンジが加えられているため、全くの原作通りではない。正直、私はなるべく原作通りに描いてほしかった。ネタバレになるが、例えば、原作と違って、主人公・大庭葉蔵のせいで竹一が自殺したり、また下宿先の姉妹が殺し合いをしたりなど…。原因は葉蔵の言動によるもので、これだと葉蔵は間接的ではあるがただの殺人者でしかなく、そうなると、原作の人間との付き合いで苦悩する葉蔵とは全く違くなってしまう。しかも、この漫画では、自分のせいで竹一が自殺したのに、それに対する罪悪や後悔もなく、それどころか『どうにも抑えきれない解放感と…かつて感じた事のない喜び』などと思っている有様で、原作の繊細で『綿でも怪我をする』葉蔵ではないと思います。

 まだまだ続くため完結まで読んでみないと分かりません。原作とは別物として考えて読めば、純粋に楽しめるとは思いますが……。

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by dazaiosamuh | 2017-11-09 20:49 | 太宰治 | Comments(2)
 先月10月27日は読書の日。その読書の日に合わせて、コーヒー豆専門店のやなか珈琲が、なんと、名作文学の『読後感』が味わえるコーヒーとして文学珈琲『飲める文庫』を出した。

 なんでも、やなか珈琲店のカップテスター(コーヒー豆品質の見極め、味を検査する専門職)と、NECの人工知能AIが共同開発し、文学作品に関する1万件以上のレビューをコーヒーの味覚指標(苦味・甘味・余韻・クリア感・飲みごたえ)に変換し、この学習データをもとに分析、作成。対象とした文学作品の読後感をコーヒーの味わいで再現したとのことだ。
そしてその対象の文学作品というのが、島崎藤村「若菜集」、太宰治「人間失格」、夏目漱石「吾輩は猫である」「こころ」「三四郎」、森鴎外「舞姫」の6作品になる。
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 私は当然『人間失格』を購入。パッケージ裏には、『人を理解することができず、ついに自らに「人間失格」の烙印を押してしまう主人公の物語をコーヒーに。高地産アラビカ種などをベースに、スムーズな飲み口のペルー、スッキリとした苦味のブラジルをブレンド。淡々と語られる人間の弱みを、滑らかな口当たりで飲み易く、質の高い豊かな苦味で表現しました。』と商品説明が記載されていた。

 あの名作『人間失格』の読後感がコーヒーで味わえるとは、よく考えたものだ。しかし、コーヒー通でもなければコーヒーの味にうるさいわけでもない、たいして味の違いの分からない私に、果たして読後感が味わえるのか…、やや緊張の面持ちで飲んでみた。

 うーん、分からない…。美味しいことは言うまでもない。しかし分からない。大庭葉蔵の苦悩が伝わってくるようなこないような…。『人間失格』を読んでいるときの、あの何ともいえない暗澹たる思いも…。

 それにしても、6作品のうち3つは夏目漱石の作品なのはなぜだ。どうせならそれぞれ違う6人の作家から作品をチョイスすれば良かったのに。
 ちなみに、この『飲める文庫』は期間限定で、10月27日~11月30日までとなっており、しかも無くなり次第終了となるので、飲んでみたい方は早めの購入をおすすめします。


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by dazaiosamuh | 2017-11-05 12:24 | 太宰治 | Comments(2)
 深浦の秋田屋旅館に泊まった翌日の昭和20年7月31日、太宰一家は駅の発車時間まで間があったので、海での団欒を楽しんだ。その時のことが『回想の太宰治』に書かれている。
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翌日は、晴天で、窓をあけてみると空地に網や漁具が干してあって、漁港に泊ったことを実感した。宿に頼んでワカメを土産用に買って駅に向かった。…(中略)…夕方までに金木へ着けばよいので、のんびりした気持で駅で発車の時間をたしかめてから、足はしぜんに海べに向かった。
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朝の海は凪いでいて大小様々の岩が点在し、磯遊びには絶好であった。四つの長女はまだ海を見たことがない。一家で子供中心の行楽の旅に出たこともなかったから、私たちははしゃいで、しばらく海べでのまどいを楽しんだ。
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 太宰一家が訪れた当時は、広く大きな砂浜が広がっていたが、今はないようだ。せっかくの楽しい一家団欒のひとときであったのに、太宰はこれを題材に金木で「海」というコントを書いている。それに対しての不満を、妻・美知子が書いている。
海を指して教えても川と海の区別ができない子、居眠りしながら子の言葉にうなずく母
 
 海というと私に浮ぶのは、あの深浦の楽しかった家庭団欒のひとときである。「浦島さんの海だよ、ほら小さいお魚が泳いでいるよ」とはしゃいだのはだれだろう。太宰自信ではないか。なぜ家庭団欒を書いてはいいけないのか…私は「海」を読んでやり切れない気持であった。

 せっかく家族で楽しい時間を過ごしたのに、それとは正反対のことを書かれた妻からすれば当然不満であることはたしかである。しかも一番はしゃいでいたのは太宰である。がしかし、これが作家というものなのだろう。太宰も妻子と海辺で楽しい時間を過ごしたことは間違いないのだから、大目に見てほしい。

 深浦の記事はこれで最後になります。


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by dazaiosamuh | 2017-11-01 10:18 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)