遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 太宰治が投宿していた宿であるが、今回、私が宿を取ったのは椿館という旅館である。なぜ選んだかというと、HPに『棟方志功画伯も椿館を愛してやまなかったお一人ですが、実は他にも、ここ、椿館を愛していた作家はおりました。皆様もよくご存知の文豪太宰治です。太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治をしておりました。』と記載されていたからだ。しかし、書籍などをみると、どちらかというと『鶴の湯』の方が有力な気がする。
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 いつからなのか、現在は『鶴の湯』から平仮名で『つるの湯』となっている。
 では、『太宰治と青森のまち』から抜き取ってみようと思います。重要なので長文になります。
『青雲の街と、その文脈』の題で松村慎三という方が、太宰の短編『思い出』に書かれている『汽車で三十分ぐらいかかって行ける海岸の温泉地へ…』の部分に対して、『海岸の温泉地とは、浅虫温泉(鶴の湯)である』と記載している。あっさりとしか触れていない。しかし、工藤英寿という方は、『鶴の湯と汽車通学』の題で、『私は浅虫から青中の後身である青高へ汽車通学した。しかも太宰が寝泊りしたのは鶴の湯で、私が住んだ椿館別館とは目と鼻の先なのである。(中略)太宰の浅虫からの汽車通学を教えてくれたの「思い出」とともに小野隆祥著「太宰治青春賦」とうい本である。小野隆祥氏は太宰より一歳年下だが、青中と旧制弘高で、太宰の一年先輩だった方で、小野正文氏の令兄である。(中略)「太宰治青春賦」は小野氏の遺稿集で昭和六十二年六月、盛岡・キリン書房から出版された。私は追悼の意を込めて購って読んだのであるが、その本で、青中、弘高時代の太宰についての認識を新たにし、浅虫から太宰が青中へ汽車通学したことも知ったのである。(中略)読んで行って納得が行ったが、ここにもう一人の知人が登場する。それは柴田治三郎氏という東北大学名誉教授である。小野氏は旧友の柴田氏に太宰の浅虫時代のことを問い合わせ、柴田氏の手紙を手がかりに話を進めているのである。柴田氏の手紙の一部を引用させていただくと《津島のことで、ご参考にならないと思いますが、また一つ思い出しました。私が中学三年で休学した年、春の終りから冬の始めにかけて、浅虫で静養していました。私の宿は、”柳の湯„といって、海岸の本通りから山の方へ(小学校のある方へ)曲り、ガードをくぐって、しばらく行き右手にある橋を渡って一寸引っ込んだ所にあります。(中略)ところで私が”柳の湯„に逗留していた年の夏休みに津島修治が姉さん(?)と一緒に”柳の湯„よりも少し山寄りのたしか”鶴の湯„という宿に、しばらく来ていました》
 柴田氏は、さらに続けて書いている。《”鶴の湯„は道路に面していて、主屋の右に、主屋に続いて長屋風につながった数軒の貸部屋が、やはり道路添いにあり、一つ一つ戸口と格子窓がついていました。津島姉弟はそのうちの一軒にいたのです。大金持でも割につましい暮らし方をするものだな、と当時子供心にも感じた記憶があります》《散歩の途上で何度か会ったことはありますが、私は病人でもあり、互いに訪問することはありませんでした。そのころ津島は金木の連中で(?)同人雑誌を出していました。何という標題だったか、思い出せそうで思い出せません……》

 数人の人間が太宰治は『鶴の湯』に泊っていたと証言しています。他の書籍を見ても『椿館』に泊ったとは書かれていないように思います。書籍によっては年譜にも『鶴の湯』に宿泊と書かれていました。もしかしたら私の見落としがあるかもしれませんが。
 それなら『つるの湯』でゆっくり身体を癒しながら、直接聞いてみようと思いました。
 中に入り、さっそく浴場へ行くと先客が2名いましたが、ほぼ私とすれ違いで出て行きました。思っていたほど広くはありませんでしたが、身体の汗をきれいさっぱり洗い流し、湯に浸かりました。洗い場は4カ所だけです。湯船もあまり広くありませんでしたが、40分ほどのんびり身体を癒し、湯を出て、宿の主人に、「ここは太宰治が昔、宿泊したそうですね。」と訊くと、「はあ、どうでしょう。」と曖昧な返事であった。「本に『鶴の湯』に泊っていたと書かれていました」と言うと「はあ、そのようですね…」と面倒くさそうに曖昧な返事をするだけでした。
 何だか少々がっかりであった。せっかく書籍に『鶴の湯』に泊っていたと書かれているなら、もっと堂々と「そうです」と言ってもいいようなものである。口ぶりを見る限り、太宰治のことなどどうでもいいような感じであった。事実、そうなのかもしれない。私のような人間が勝手に、「ここに太宰が泊まったのか!!そうなのか!!」と一人で興奮しているだけなのだろう。そうなると、『椿館』はどうなのだろう。意外にこちらの方がはっきりと、『そうです』と言いそうである。結局よくわからない結果に終わりそうである。
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 そとに出るとまた雪が降っていた。『つるの湯』がある通りには、足湯もあり、『つるの湯』を訪れた時には、親子が足湯に浸かりながら、談話を楽しんでいた。私が『つるの湯』を出た時には、足湯はおろか通りには誰一人として歩いていなかった。寒く寂しい感じがした。
 この日の夜に『椿館』に泊る予定となっているから、『椿館』で同じように訊いてみるしかない。

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by dazaiosamuh | 2017-04-30 20:36 | 太宰治 | Comments(0)
 浅虫温泉で太宰の母親、姉が湯治しまた太宰も寝泊りした宿がどこなのか、事前に調べたところ昭和63年発行の『太宰治と青森のまち』に詳細に書かれていた。しかし、不思議なことに『太宰治と青森のまち』に記載されていた太宰治が泊まったであろう宿とは別に、私が宿をとった旅館がHPで、『太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治しておりました。』と載せていた。一体どういうことなのだろうか。どちらが本当なのだろうか。もしかしたら複数の場所に泊ったことがあるということなのだろうか。これは訪ねて訊いてみるしかない。しかし、時間に余裕があったため、一先ず町中をぶらぶら歩いてみることにした。
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 雪が降ったり止んだりを繰り返している。視界が悪く、写真も撮り難い。歩いていたら、八幡宮を発見した。
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 観光案内図の説明に『1282年勧請と伝えられる八幡宮で、大陸文化興隆の御神徳と母子神を本願とし、地元はもとより青森各地から参詣者が訪れます。現在の本殿は大正4年に建設されました。』とある。本殿は後ろにあったのだが、横に回り込んでも見る事ができない。
 青森各地から参詣者が訪れるほどであるから、湯治しに浅虫温泉を訪れた太宰治の母親や姉も、手を合わせに来たにちがいない。太宰治もまた、『私はずっとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。私は秀才とういぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。』(思い出)とあるから、ここへ何度も足を運んでお祈りしたのではないだろうか。そういう私も、高校受験をまじかに、家から一番近い神社に何度も足を運び、一生に一度のお願いです、と人生のすべてがかかっているかのように興奮、大げさに手を合わせたものだ。
 この八幡宮は、早朝ウォーキングコースにもなっており、八幡宮のさらに上へと登っていく道がある。途中、むつ湾展望台、浅虫高野山を経て、浅虫温泉駅へと続く約1時間のコースだ。少し登ってみたが雪が積り、しかも足跡さえない。地元の人ですら冬季は歩かないようだから、やめておいたほうが無難のようだ。案内図に『浅虫高野山 八十八カ所石仏願掛めぐり』と書かれている。御利益がありそうだ。暖かい季節に歩くのがいいかもしれない。

 身体も冷えてきたところで、そろそろ本に記載の宿へ向かうことにした。


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by dazaiosamuh | 2017-04-24 11:32 | 太宰治 | Comments(0)
 昨日、4月16日に遂に『ゆふいん文学の森』がオープンした。熊本地震から1年。復興の力になればいいとの想いから今月オープンへと漕ぎつけたようだ。入館料はドリンク付きで700円とのこと。
 荻窪『碧雲荘』が、無くなるのでは、との話が出た時はショックで落ち着かない日々を過ごしたが、こうしてはるばる大分という土地で復活できて喜ばしい限りだ。
 はやく訪れて、復活した姿をこの眼で見てみたい。

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by dazaiosamuh | 2017-04-17 20:16 | 太宰治 | Comments(0)
 青森県近代文学館を出て急いで青森駅へ向かい、青い森鉄道に飛び乗った。平日の昼間だったため、てっきり空いているかと思いきやかなりの混みようであった。特に学生が多く、なぜこんな昼間にいるのか不思議でしょうがなかった。どうにか空いている席に腰をおろすことができ、浅虫温泉駅までのんびり向かうことができた。
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秋になって、私はその都会から汽車で三十分ぐらいかかって行ける海岸の温泉地へ、弟をつれて出掛けた。そこには、私の母と病後の姉とが家を借りて湯治していたのだ。私はずっとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。私は秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいってみせなければならなかったのである。』(思い出)

 短編『思い出』にある、太宰の母と姉が湯治し、そして太宰が寝泊りした宿がどこなのか、それを知りたく浅虫温泉へやってきた。浅虫温泉駅で観光案内図をもらい、歩く順番の目星をつけた。その前にぶらぶら駅周辺などを見ることにしたのだが、すぐ駅横に足湯があった。雪の積もる時期ではあるが、誰一人として足湯を利用している人はいなかった。
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 橋の上からの浅虫温泉駅。雪が積もっていることもあり、若干寂しい印象を受ける。
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 こちらも橋の上からの写真。水平線の向こうは青森市街であるが、不安定な天気のため全く見えない。雪はまだこのとき降ってはいなかった。のんびり歩き廻って写真を撮りたいが、雪がいつ降るのか分からないため、気持ち早めに歩くことにした。
 ここ浅虫温泉は、太宰治が青森で贔屓にした芸妓・小山初代が住んでいたことのある土地でもある。
 昭和12年7月頃、太宰治と離別した小山初代は、『やがて青森市郊外浅虫温泉にいた実母小山キミ、実弟小山誠一方に身を寄せたと推定される。そのあと、初代は、じばらく弟誠一の魚屋の仕事を手伝っていたが、やがて北海道に渡り、さらに中国に渡って、転々とする』ことになった。
 小山初代が手伝った魚屋などはどこにあったのか。いくら調べても出てこなかった。この浅虫温泉のどこかにあったのはたしかなのだが、いまでは分からない。弘前にある小山初代の墓は斜めに傾き、いまでは無縁仏となっている。時間とともに忘れ去られようとしている。少しでも小山初代の生きた土地で肌で『ああ、ここで生活していたのだな』と感じてあげたいが、なかなか難しいかもしれない。何はともあれ歩いてみるしかない。


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by dazaiosamuh | 2017-04-15 20:49 | 太宰治 | Comments(0)
 2月の中旬、青森を訪ねた。太宰治と太宰の家族が湯治したことのある浅虫温泉へ行くためだ。初日はまず青森県近代文学館へ行き、太宰のコーナーをゆっくり見て、午後に浅虫温泉へ行こうと考えていた。
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 時期が時期なだけに大雪を覚悟して、しかもむしろそれを期待し、出発の数日前に、はりきってスノーブーツを買って履いてきたのだが、思っていた以上に雪がなく少しばかり落胆してしまった。折角なら雪の積もった道をスノーブーツでざっくざっく歩きたかったのである。行き交う人たちをみると、普通のスニーカーなどで歩いている人たちのなんと多いことか、スノーブーツ代が勿体なかったなあ、などと考えながら観光案内所へ、近代文学館方面へ行くバスの発車時刻を確認しに雪のない歩道をすたすた歩いて向かった。尋ねてみると、バスの発車まで1時間以上の間があった。中途半端に待つのは時間が勿体ないと思い、仕方がなくタクシーに乗った。年配の愛想のよい運転手で、行先を告げると、文学好きなのか? 小説家でも目指しているのか? 俺も小説は結構読んでいる、何せ退屈な時は新聞か雑誌か本を読むぐらいしかできないからなあ、そういや俺の息子はいつも本屋で大量に本を買って読んでいる、何も買わなくても図書館に行けばいいのになあ、お客さんもそう思わないかい、などと色々話しかけてきて、私は適当に相槌をうって話を聞いていました。積雪量にがっかりしていた私は、雪があまり降らなかったのかと訊くと、今年は去年の4分の1ぐらいしか降らなかったねえと答えました。走りやすくていいですねと言うと、笑ってました。話をしているうちに到着しました。2千円近く掛かりました。
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 2階にある文学館は、誰も客はおらず私1人の貸し切り状態であった。太宰のコーナーには、太宰が晩年に執筆メモとして使った手帳があり、作品の構想が細かく記されており、これに実際に太宰がペンでメモしていたのかと思うと、生々しさを感じた。貴重な資料である。青森県を代表する13人の作家と各ジャンルで活躍した33人の作家の展示品などがあるため、それぞれのコーナーはそれほど大きくはなかった。私としては物足りなさを感じた。太宰治に関する刊行物を購入し、文学館を出ました。

 帰りはバスに乗ったのだが、青森駅までは行かないため途中で降り、青森駅があると思う方角へ適当に歩いていたら、どうも違うような気がして、通行人の優しそうなおじさんに道を尋ねると、やはり私は青森駅とは真逆に進んでいました。見た目通り優しいおじさんが途中まで道案内をしてくれました。駅までどれぐらいかと訊くと、徒歩30分はかかると言われ、浅虫温泉行の出発時刻が迫っていたこともあり、慣れぬスノーブーツで全力で青森駅まで走りました。駅で膝に両手をついて呼吸を整えていると、ブーツがびしょびしょに濡れていることに気が付き、やはり普通のシューズではなくスノーブーツを買って良かったなとつくづく思い、丁度電車の発車時刻3分前ぐらいで、ほっとして乗り込みました。
 背中がじんわりと汗をかいていました。どうせ浅虫温泉でさっぱり綺麗になるのだから、むしろ心地よい汗をかいたもんだ、と温泉への期待を膨らませながら浅虫温泉へと向かいました。

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by dazaiosamuh | 2017-04-09 21:46 | 太宰治 | Comments(2)

太宰治の文具

 つい最近、会社の友人からノート、メモパッド、付箋を貰った。その友人は、私が太宰治が好きなことを知っていたため、太宰のイラストが描かれたノート、メモパッド、付箋を選んでくれたようだ。
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 太宰治の顔に吹き出しがついた表紙のノート。太宰治の写真の中でも特に有名な頬杖ポーズ。思わずこちらも溜息が漏れそうになり、日々の暗澹たる想いをノートにしたためたくなる。
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 太宰治のメモパッド。このメモパッドは表紙は太宰治となっているが、中身は、太宰治、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治の4人がおり、好きな作家のメモパッドを使うことができ、飽きさせない工夫となっている。
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 太宰治の付箋。ノート、メモパッド、付箋はどれも同じポーズとなっている。表情をよく見ると、写真による実物の太宰治よりも若干クールな印象を受けた。メモとして使うのもいいが、面白い台詞を考えて、吹き出しに書いてみるのも楽しいかもしれない。また、吹き出しに太宰の作品のタイトルを書いたりして、その本のしおりに使うのもいい。
 どれも使うのが勿体ない。まさかこういうのもあるとは知らなかった。貰って感激した。雑貨店であるそうだが、少しマニアックなため、どこでも扱っているわけではないようだ。大切に使おうと思う。

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by dazaiosamuh | 2017-04-03 20:24 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)