遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 太宰治「思い出」の蔵へようやく入ることができました。写真は閉まっているときのものです。
 「思い出」の蔵ということで、中へ入ると、思い出を偲ぶ貴重な資料などの展示物があったのですが、初めて目にするもので蓄音器や黒い大きな金庫がありました。
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 立派な蓄音器ですね。これは津島家から中畑家へ贈られたもののようです。太宰は短編「思い出」のなかでレコードに耳を傾け心酔した描写があるが、その時の蓄音器の可能性があるとのこと。これは貴重ですね。
 蔵の中を見ていると、スタッフの人が、壁に貼ってある太宰と親戚が集まった写真について説明してくれて、「写真に写っているこの人は津島廉造さんというのですが、すぐそこの津島歯科医院をやっていますよ」と言ったので、私が「いやあ、是非会いたいなあ」というと、「じゃ電話してみましょうか」と言い、すぐに電話を掛け、「大丈夫のようです。会えますよ」と言ってくれました。まさか本当に会わせてもらえるなんて思ってもみませんでした。ただの太宰の一ファン、一読者に過ぎない私のためになんて親切なのだ。
 しかし、中畑けいさんの自宅へ行く時間がすでに迫っていたので、けいさんとお会いしてから廉造さんの自宅へ向かいますと言い残し、とりあえず急いで中畑けいさん宅へ向かいました。
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 ここの付近に中畑さんの自宅があります。ちなみに大きな黄色い建物はパチンコ店で昔、旭座がありました。「思い出」の蔵にも説明があり、『太宰もしばしば通い、芝居や映画を楽しみました。旭座は大正11年(1922)9月30日、太宰が13歳の時に焼失しました。』と書いてありました。現在はこのパチンコ店と住宅が建ち並び当時の面影は全く残っていません。

 ちょうど1時間弱経っていたので、再度中畑さんの自宅へ向かうと、けいさんもちょうど起きて来たみたいで快く中へお邪魔させてくれました。
 訪れる前に、けいさんは今年で95歳になると聞いていたので身体具合等が心配だったのですが、杖なども使わず、腰は少し曲がっていましたがまだまだ自力で歩ける様子でした。私が初めましてと言うと、けいさんも丁寧にお辞儀して返事を返してくれて、そこから色々話を聞かせてもらうことができたので、ほんの少し書きたいと思います。

 誰が見てもそうですが、けいさんから見ても太宰は「和服の似合う人」だったそうで、「背が高くカッコよかった」そうだ。しかし、太宰作品はよく読んだのですかと尋ねると「いやあ、全く読みませんでした。新刊がいつも家に届いたけども、ぜんぜんさっぱり読みませんでした」と言ったので、でもお父さん(中畑慶吉)は読んだのですよねと言うと「私も父も全く読みませんでした。それどころか、父は吉川英治の宮本武蔵が好きでそればかり読んでいました。」と笑いながら言うので、思わず私も笑ってしまいました。実は私も吉川英治の宮本武蔵はとても好きなので、内心、お父さんがもしご存命ならきっと気が合っただろうなと思ってしまいました。
 それでもけいさんの父は、たとえ文学が分からなくとも太宰のことをいつも心配し可愛がり、いつでも連絡がくればすぐに出かけられるように、常に旅行バックを部屋に準備していたそうです。

 太宰は『津軽』の中で『中畑さんの事は、私も最近、「帰去来」「故郷」など一聯の作品によく書いて置いた筈であるから、ここにはくどく繰り返さないが、私の二十代に於けるかずかずの不仕鱈の後仕末を、少しもいやな顔せず引受けてくれた恩人である。』と書いている。頭が上がらない大恩人なのだ。けいさんのお父さんのおかげで当時の太宰は生活をつないでいくことができたと言ってもいい。太宰作品を読んでいなくとも、中畑慶吉自身が太宰の作品に少なからず影響を与えたと言っても過言ではない。

 けいさんの家族の方が、せっかくなのであれを見て行ってくださいというので隣の部屋へ案内されると、そこには掛け軸があり、よく見ると、太宰と関係のあった方々、妻・津島美知子をはじめ、師・井伏鱒二など数十人の錚々たる名前が直筆で書かれてありました。その掛け軸は、太宰生誕祭のある時期にしか掛けないと言っており、直筆で書かれている事も含めてとても貴重で、中畑さん宅を訪れない限り見る事はできないのでよい体験になりました。

 中畑さんの自宅を訪れたのが午後16時半頃で、すでに17時を過ぎており、長居するのは迷惑なので、お礼を述べ家を出ました。

 けいさんに会えた喜びに興奮しましたが、この喜びのまま、次は津島廉造さんに会いに津島歯科医院のほうへ向かいました。


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by dazaiosamuh | 2016-06-30 11:00 | 太宰治 | Comments(0)
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 乾橋から7,8分ほどのところに『招魂堂』はありました。私は方向音痴なところがあるので、他の人ならもっと早く着けると思います。

あれが、こんど出来た招魂堂です」けいちゃんは、川の上流のほうを指差して教えて、「父の自慢の招魂堂」と笑いながら小声で言い添えた。』(津軽

 ここを訪れた時、『永福神社』とあり、『津軽』では『招魂堂』と出ているだけで『永福神社』の名は出てこなかったので後で調べてみたら、『元は津軽地方出身の英霊を祀る慰霊の為の招魂堂だったが、アメリカ進駐軍に廃社されるのを恐れ、菅原道真を祀る「永福神社」とした』とありました。
 ちなみに、その菅原道真(すがわらのみちざね)とは、『平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家であり類まれなる才能の持ち主。学問をもって朝廷に仕え、官位は従二位・右大臣にまでなった。しかし、左大臣『藤原時平』に陥され、左遷先の大宰府で没した。死後、天満天神として信仰の対象となるが、現在は学問の神として親しまれる』
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なかなか立派な建築物のように見えた。中畑さんは在郷軍人の幹部なのである。この招魂堂改築に就いても、れいの侠気を発揮して大いに奔走したに違いない。橋を渡りつくしたので、私たちは橋の袂に立って、しばらく話をした。』(津軽

『れいの侠気を発揮して…』とあるが、太宰は昔から中畑慶吉に助けられ、身に染みて分かっているからこその台詞だろう。太宰の小説に何度も登場する。その中畑慶吉も太宰をとても可愛がってきたのだ。

 時間がなかったのでほんの少し見て『思い出』の蔵へ向かいました。


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by dazaiosamuh | 2016-06-26 11:05 | 太宰治 | Comments(0)
中畑さんの事は、私も最近、「帰去来」「故郷」など一聯の作品によく書いて置いた筈であるから、ここにはくどく繰り返さないが、私の二十代に於けるかずかずの不仕鱈の後始末を、少しもいやな顔をせず引受けてくれた恩人である。』(津軽

 太宰治を何かと気にかけ、幾度となく救ってくれた恩人というのが中畑慶吉で、私がお会いしたい人物というのは『津軽』にも登場する娘の中畑けいさんだ。
 
 突然の訪問は迷惑かつ無礼だと思いつつも、中畑けいさんの居る自宅へ向かい(自宅付近の写真は控えさせてもらいます)、どうか外出してませんようにと心の中でお祈りしながらチャイムをならすと、家族の女性が出て、事情を話し、どうか一目中畑けいさんとお会いしたい、と熱を入れて訴えると、「今お昼寝中で、あと1時間ぐらいで起きると思いますので、1時間後ぐらいなら大丈夫です。」と言ってくれました。
 私は「はい、是非!! 1時間後にまた来ます!」と言い、その場を後にしました。

 会える!!会えるぞ!! いや、間違いなく会えるわけではないが、一応、約束を取り付けることができた。とりあえずお会いできる目途が立ち時間を有効に使うため、『津軽』でけいさんが太宰を案内した乾橋と岩木川を見に行くことにしました。

中畑さんのひとり娘のけいちゃんと一緒に中畑さんの家を出て、
「僕は岩木川を、ちょっと見たいんだけどな。ここから遠いか」
 すぐそこだという。
「それじゃ、連れてって」
 けいちゃんの案内で五分も歩いたかと思うと、もう大川である。子供の頃、叔母に連れられて、この河原に何度も来た記憶があるが、もっと町から遠かったように覚えている。子供の足には、これくらいの道のりでも、ひどく遠く感ぜられたののであろう。それに私は、家の中にばかりいて、外へ出るのがおっかなくて、外出の時には目まいするほど緊張していたものだから、なおさら遠く思われたのだろう。橋がある。これは、記憶とそんなに違わず、いま見てもやっぱり同じ様に、長い橋だ。』(津軽
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 こちらがその『いま見てもやっぱり同じ様に、長い橋』の『乾橋』です。
いぬいばし、と言ったかしら」
「ええ、そう」
「いぬい、って、どんな字だったかしら。方角の乾だったかな?」
「さあ、そうでしょう」笑っている。
「自身無し、か。どうでもいいや。渡ってみよう」津軽

 橋は五所川原駅からそれほど遠くなく、7、8分ほどで着きます。写真の通り、しっかり『乾橋』とあります。渡ってみると、確かに結構な距離があります。
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私は片手で欄干を撫でながらゆっくり橋を渡って行った。いい景色だ。東京近郊の川では、荒川放水路が一ばん似ている。河原一面の緑の草から陽炎がのぼって、何だか眼がくるめくようだ。そうして岩木川が、両岸のその緑の草を舐めながら、白く光って流れている。』(津軽

 橋は造り直されていますが、同じ場所です。天気が良くてよかったです。岩木川はゆるやかに流れていました。ほのぼのしますね。『そうして岩木川が、両岸のその緑の草を舐めながら、白く光って流れている』、まさにそんな感じです。
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夏には、ここへみんな夕涼みにまいります。他に行くところもないし」
 五所川原の人たちは遊び好きだから、それはずいぶん賑わう事だろうと思った。』(津軽

 私が『津軽』を読んだときの『乾橋』の印象は、交通量がすくなくひっそりとしているものだと想像していたのですが、とても車の数が多く(土曜日だったからかもしれません)、車がなるべく写らないように写真を撮るのが大変でした。

 橋を渡りながら、「あと少しで中畑けいさんに会える、中畑けいさんに会えるのだ!」という思いで興奮し、何だかんだ落ち着かない様子で岩木川を眺めていました。この後、まだ時間に余裕があったので、『津軽』に登場する『招魂堂』を見、時間がちょうど16時を過ぎたのでもう一度、『思い出』の蔵へ向かいました。


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by dazaiosamuh | 2016-06-23 18:07 | 太宰治 | Comments(0)
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 太宰治の誕生日で生誕祭である6月19日の前日、私は五所川原にいた。五所川原には2年半ほど前に訪れたことがあるが、その時はとくに太宰のゆかりの地を歩いたわけではなかった。しかし、今回はこの五所川原でどうしてもお会いしたい方がおり、翌日は生誕祭もあることだしせっかくなら会っておこうと、この機会を逃したら一生会えないであろうと自分に言い聞かせてここ五所川原に来たのでした。
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 五所川原駅をまっすぐ進み、まずは太宰治「思い出」の蔵のある、まちなか「思い出」パークへ行きました。
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 外に太宰治検定の看板が出ていました。検定がこの日あるなど全く知りませんでしたが、受けるつもりもないので写真だけ撮って素通りし、太宰治「思い出」の蔵へと向かいました。
 すると、時間帯的に開いているはずなのになぜか蔵は閉ざされており、「16時まで留守にしております」と書かれてありました。なんと運が悪いのだろうと思い、そこら辺をうろうろしていると、年配の女性が「蔵を見に来たの? スタッフは今、太宰治検定の係員をやっているから、検定が終わるまで無理よ。何ならあなたも受けてみれば?」と言い、私が躊躇っているとさらに、「そうよ、せっかく来たんだし、蔵が開くまで暇なら、費用はちょっと高くて3千円するけど……、私の友だちも太宰好きで検定を今から受けるところだから、ね。」
 ということで、半ば強制的に受ける羽目になってしまいました。
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 受付を済ませ、いざ会場に入ると受験者たちは机上に向かい、ある者は太宰治検定のテキストを開き、またある者は太宰の小説に目を通し、最後の最終チェックをしていました。その気迫に圧倒され、しかも専用テキストもなければ小説も持参していない、当然勉強もしていない私はただ茫然とその受験者たちを見ては戦意喪失していくだけなのでした。
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 うわあ!! 100問もある!!試験時間は90分!長い!!予想していたよりも本格的な試験だ。
 いざ試験が始まると周りの受験者たちは素早く鉛筆を走らせ次々とページを開く音が聞えてくる。まるで出る問題が分かっていたかのようだ。早く終わった人は答案用紙を裏返し会場を出て行きますが、その早いこと早いこと…。
 私も一応全問解きましたが、分からない問題はいくら考えても分からないので、終了時間になるまえに私は会場を出ました。
 まさか太宰治の生誕祭前日に検定を受ける羽目になるなど思ってもみませんでした。会場を出ると、先ほどの女性がいました。
「どうだった?」
「ダメでした、ボロボロです。こんな本格的とは思ってもみませんでした。100問もあるのですね。」
 どうやらその女性の友人はまだ試験中のようでしたが、そんなことどうでもよく、しかし結果はどうあれいい経験になったと思いました。

 試験でぼろぼろになった私ですが、気を取り直して中畑けいさんの自宅へ向かいました。


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by dazaiosamuh | 2016-06-20 17:40 | 太宰治 | Comments(2)
『太宰治の生き方と言葉』というタイトルで先月、ムック本が出ていると友人Sさんが教えてくれた。
 私は太宰治に関してあまり最近の新しい書籍などは見ることはなく、専ら古本ばかりだ。そのためこういった最新の太宰に関する本に目を通すことがあまりなく、それはつまり、新情報とういうものがないからで、それと毎年決まってこの時期になると、太宰の命日、生誕記念日が近いために特集本が出版されるので、またか、という思いなのでした。
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 本のタイトル『太宰治の生き方と言葉』とあるように、太宰の作品から名言などが、太宰の誕生から亡くなるまでの人生を順に紹介しつつ書かれており、全部はまだ読んでいないが、ある程度網羅されているので太宰について興味があり、実際の人物像や人生など『太宰治』という人間について、1冊で簡単におおまかに知りたいなという人におすすめです。
 2009年に生誕100年記念で、平凡社から出された『別冊太陽 太宰治』はフルカラーで見やすくこちらもおすすめです。

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by dazaiosamuh | 2016-06-16 17:33 | 太宰治 | Comments(0)
 いよいよ今年も太宰治生誕記念日が近づいてきましたが、どうやら当日の6月19日に、『太宰治疎開の家』で、フリーアナウンサーで朗読家の原きよさんによる朗読会があるとのこと。
 タイトルは『太宰治の書斎で聴く、生誕日記念朗読会』。日時は、前文で書いたが、『太宰治疎開の家』で時間は16時からだ。
 しかし、せっかくなら参加したいが、私は13時から斜陽館で『太宰歌留多大会』に出なければならず、それが一体どれくらい時間がかかるのかが皆目分からない。まさか3時間も4時間も掛るわけはないと思うが、それに、その日のうちに新幹線で東京に帰らなければならないため、時間の都合上、朗読は聴けない可能性がある。他の理由にも、ゆっくり金木の町を写真を撮りながら歩きたいとも思っているので、当日に実際に行ってみて判断するしかあるまい。
 ちなみに定員は30名と記載されていたが、さて、どのくらいの太宰ファンが集まるものなのだろうか、少し覗くぐらいならいいはず、ちょっと様子をみてみようと思います。

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by dazaiosamuh | 2016-06-12 20:46 | 太宰治 | Comments(0)
 前に同僚が、知り合いの女性が自身の声で録音した『人間失格』の朗読を聴かされたという話をしていた。それを思い出し、太宰治に限らず文豪の朗読CDは必ずあるだろうと書店やCDショップへ行くと、やはりあった。
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 こちらは、新潮社版の『人間失格』の朗読CDです。他にも新潮社からは、『ヴィヨンの妻』や『走れメロス』『富嶽百景』が出されている。出しているメーカーによって、全編収録のものと短縮されたものとあるので、注意が必要になる。新潮社版は余す事なく全編収録され、上巻、下巻と分かれており、それぞれ2枚組で一つ三千円する。上下巻で六千円だ。総時間は上下合わせて約255分(正確に言うと255分26秒だ)。
 太宰以外の作家の朗読CDもかなりの種類が出ているので、好きな作家のCDを探して、たまには『読む』のではなく『聴く』のもいいかもしれません。
 そして一番気になるのは、やはり朗読者で、その声や、言い方などが自分の好みに合うかどうかが重要だと思います。『人間失格』の朗読者は、仲代達矢という方でとても落ち着いた語りかたをする人です。私は聴いていて心地よく(人間失格を聴いて心地よいというのもおかしく思われますが)、約4時間におよぶ朗読も全く苦にならず、あっという間でした。通勤電車で片道40分ほどかかるので、3,4日聴いていればあっさり終わります。
 そして聴いていて面白いのが、自分ならここを強調して言うだろうなと思ったり、またここは声を変えて言ったほうがいいなと思うところと、朗読者のそれが違ったりして、また違う趣向がある。なかなか朗読も馬鹿にできない。
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 通勤途中の電車の中で『人間失格』の朗読を聴きながら仕事に向かうのもどうかと思われるが、しかし、私が太宰治を好きになったきっかけの作品なだけに落ち着くのである。
 雨の日など外に出掛けるのが億劫な日は、たまには部屋で酒でも飲みながらまったりと朗読を聴くのもいいかもしれません。


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by dazaiosamuh | 2016-06-09 03:23 | 太宰治 | Comments(0)
 6月19日、太宰治の生誕記念に『太宰歌留多大会』が行われる。すでに今年で第5回目のようだ。私が前に書いた太宰治の歌留多の記事にコメントをくださった方がいて、それがきっかけでこのような大会の存在を初めて知り、しかもひょんなことから参加することとなった。歌留多を購入した時は、初めはコレクションのつもりであったし、やるとしたら正月に帰省した際に家族とできればいいかなと思っていたのだが、まさかこのような機会が訪れるとは思ってもみませんでした。
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 場所は、東京から遠く離れた太宰の故郷でしかも太宰が生れ育った元実家の現在は太宰治記念館となっている『斜陽館』!!
 申し込みの電話をした際、住んでいる地域を聞かれ、東京ですと答えるとなぜか驚いていた。関東地方からの参加はあまりいないのでしょうか。毎年6月19日は必ず有休を取り、どこかしらの太宰ゆかりの地を巡るようにしているが、青森は初です(と言っても、太宰の聖地巡りを初めてまだ2年ちょっとですが…)。
 しかしながら、歌留多は小学校に入ってからやった記憶が皆無です。さてどうしようか。ぶっつけ本番でやるしかないようです。友人に相談もしましたが、仕事や家庭の都合で中々難しそうです。
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 これは前に書いた歌留多の記事に載せた写真と同じです。そういえば、つい最近の映画で『ちはやふる』という歌留多の映画がありましたが、これも何かの縁だと思い前編だけ観に行き、想像以上に面白かったのですが、まるでスポーツのように汗だくになり神経を研ぎ澄まして行う様は見ていて迫力があり、こんなの私にはできないと怖気づいてしまいました。太宰歌留多大会はもっと和気あいあいとしたものなのかもしれませんが、映画『ちはやふる』が脳裏に焼き付いてしまったので、ちょっと不安な気持ちがあります。
 下手したら1枚も取れずに惨めに終わるかもしれません。

 いまのうちに『太宰治歌留多大会惨敗』の記事を考えておいたほうがいいかもしれません。


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by dazaiosamuh | 2016-06-03 11:27 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)