遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 数カ月前、太宰治関係の本を漁りに神保町へぶらっと足を運んだ。いつも回る店は決まっていて、それ以外の店は素通りだ。しかし、何気なく書泉グランデの前を通ろうとしたとき、いつもはただ素通りするだけなのに、店頭のガラス越しから、只ならぬ視線を感じてちらっと目をやると、なんと太宰治のトートバックが展示してあった。
 欲しい、そう思った。しかし、値段を見ると3,800円もする。この日の所持金は7千円。この後書店をまわり欲しい本があった場合、購入できなくなる可能性がある。かと言って、値段にもよるが本を買ってしまうとトートバッグが買えなくなる。私は苦渋の決断を迫られた。その間、トートバックに印刷された、ちょっとキモい顔の太宰治(イラストレーターさん、すいません)が私をじっと見つめている。
 私はその眼差しに負けて、店に入り、商品を手にレジへと進んだ。
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 これが太宰治のトートバックです。この太宰が素通りしようとする私の身体を、まるでメデューサのような眼差しで硬直させ引き止めるのでした。
 肝心の造りはというと、中々丈夫に造られています。内ポケットが2カ所、外に1カ所あります。
 一応、説明があったので載せます。

アートをきっかけに本の良さを再認識してもらいたい”というコンセプトから生まれた、文庫本を持って出かけるのに最適なトートバッグ。お気に入りの本を持って出かけよう。
 世界的に注目されているイラストレーター Sayori Wada とトートバッグ専門ブランド ROOTOTE(ルートート) とのコラボレーション!


 私にはちょっと恥ずかしくて外で使う気がまだ起きません。それと、使うのも勿体ないという気持ちも少なからずあり、現在は部屋に飾っています。
 このトートバックは太宰だけでなく、他にも芥川龍之介、夏目漱石、川端康成があります。全部で4種類です。

 もし好きな作家がいれば、トートバックにその人の本を入れて文学散歩に出るのもいいし、、私のように部屋に飾るのもいいかもしれません。
 おかげでこの日は本を買うことができませんでした。

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by dazaiosamuh | 2015-07-25 16:59 | 太宰治 | Comments(2)
 太宰治の作品は、いくつか映像化している。『黄金風景』もその内の一つで、主人公を向井理、女中のお慶を優香が演じている。本編は僅か26分の作品。

私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。

 主人公はのろくさいことが大っ嫌いな質で、お慶という何をやらせてものろくさい女中をいじめるのであった。お慶はある時は林檎をむくときにぼんやりし、ある時は台所でただ何もせずにつっ立っているだけの時もあった。主人公はその様子を見て、妙に癇にさわり、その都度いびるのであった。
 そしてある日、お慶に絵本に描かれている何百人という兵隊をハサミで切り抜かせた。しかし、学校から帰ってきてもお慶は終わらせることができず、主人公は遂に癇癪をおこし、お慶の肩を蹴った。肩を蹴ったはずなのに、なぜかお慶は頬をおさえ、泣きながら、『親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と言うのであった。
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 年月が経ち、主人公は船橋で細々と執筆し、なかなか芽がでないことに苛立ちながら生活していた。そんなある日、戸籍調べをしに来たお巡りさんが、昔、主人公の村で馬車をやっていた人で、お慶を是非あなたに合わせたいと言ってきた。
 言い知れぬモヤモヤした感情が湧き、主人公は激しく拒否するが、後日、お慶が訪ねてきた。
お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。
 
 幼少期は自分がお坊ちゃんで女中をいじめたが、現在の主人公は侘しい作家で、それとは正反対にお慶は結婚して子供を持ち、幸せそうであった。
 主人公は逃げるようにその場を立ち去り、竹のステッキを振り回しては、雑草を薙ぎ払い、うろうろし、そうして海岸へと辿り着いた。
 そこにはお慶親子三人ののどかな光景が広がっていた。

なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。
「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」
 私はたったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

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 惨めな思いをしている主人公の気持とは裏腹に、夕陽が赤く輝く海岸で家族に主人公の『目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった』優しさを誇らしげに自慢するのであった。
 
 最後は気持ちがポッと暖かくなる終わり方で、観ていて心地がいいです。5,6ページの短編で、映像化しやすかったのもあるのかもしれませんが、なかなか良かった。
 ただ一言、言いたいことは、主人公の幼少時代の時のお慶(優香)と大人になった主人公に会いにきたお慶(優香)が、全く見た目が変わっていないのが少し不自然でした。実際に生家の斜陽館で撮影したみたいですので、観ていて楽しかったです。

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by dazaiosamuh | 2015-07-19 21:43 | 太宰治 | Comments(0)
 相川に着いた太宰は、自分に対して冷たい態度を取る佐渡から一刻も早く帰りたかった。
出来れば、きょうすぐ東京へ帰りたかった。けれども、汽船の都合が悪い。明朝、八時に夷港から、おけさ丸が出る。それまで待たなければ、いけない。佐渡には、もう一つ、小木という町もある筈だ。けれども、小木までには、またバスで、三時間ちかくかかるらしい。もう、どこへも行きたくなかった。用事の無い旅行はするものでない。この相川で一泊する事にきめた。

 バスでの相川から小木へは、約1時間半掛かり、一度乗り換えなくてはなりません。それに、頻繁に走っているわけではないので、乗り遅れると最低1時間は待たなくてはならないので、しっかり時刻表を確認しておかなくてはなりません。
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 ここが小木港です。奥に見えるのが汽船乗り場です。小木港は新潟行きではなく、直江津~小木航路になります。
 帰りの新幹線の都合上、1時間半ほどしか居られなかったのですが、どうしても有名な宿根木集落を見ておきたかったので、自転車をレンタルして宿根木まで行ってきました。電動自転車2時間レンタルで500円です。
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 宿根木集落には電動自転車で約20分ほどで到着。これが有名な三角家(さんかくや)です。前に大人の休日倶楽部の宣伝ポスターで吉永小百合がこの三角家の前に立って写っているポスターがありましたね。とても印象的でした。一番これが見たかったのです。
 ボランティアのスタッフから貰ったパンフレットに、『密集した谷間ではきちんとした屋敷が構えられないこともある。しかしながら工夫を重ねてその地形に合った家を建てた。』とありました。
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 こちらもまた何とも風情がありますね。三角家も含めて、この宿根木集落ではノスタルジックな雰囲気をダイレクトに感じることができます。太宰治が和服で、いつものマントを羽織ってここを歩いていたら、さぞかっこよかっただろうなあ。
 もしまた訪れる時があったら、和服でここを歩きたいですね。
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 小木港へ戻った私は、まだ時間が少し猶予があったので、たらい舟に乗りました。
 デジカメを落とさないようにびくびくしながらの撮影。ひっくり返ったことはありますか? と聞くと、一度もありませんと心強い答えが返ってきて安堵する自分がいました。私も試しに漕いでみたのですが、これがまた思っていた以上に難しい。全然すすまない。それでも「お上手、お上手」とお世辞を言ってくれました。

 太宰は外をぶらぶらし、浜野屋に戻った。
これでよいのかも知れぬ。私は、とうとう佐渡を見てしまったのだ。私は翌朝、五時に起きて電燈の下で朝めしを食べた。六時のバスに乗らなければならぬ。お膳には、料理が四、五品も附いていた。私は味噌汁と、おしんこだけで、ごはんを食べた。他の料理には、一さい箸をつけなかった。
「それは茶わんむしですよ。食べて行きなさい」現実主義の女中さんは、母のような口調で言った。
「そうか」私は茶わんむしの蓋をとった。
 外は、まだ薄暗かった。私は宿屋の前に立ってバスを待った。ぞろぞろと黒い毛布を着た老若男女の列が通る。すべて無言で、せっせと私の眼前を歩いて行く。
「鉱山の人たちだね」私は傍に立っている女中さんに小声で言った。
 女中さんは黙って首肯いた。


『これでよいのかも知れぬ。』と、ちゃっかり生活を営んでいる佐渡に対して、太宰は、ようやく『見てしまった空虚』を改め、自分の佐渡に対する期待感を捨て、現実の佐渡を受け入れることができた瞬間であった。

 太宰は昭和15年11月19日午後1時、佐渡夷発午後4時45分新潟港着で帰路に着いた。
 私は小木から両津まで、途中乗り換えながら2時間かけて両津港まで行き、帰りも太宰と同じく、佐渡汽船・おけさ丸に乗り、佐渡に別れを告げました。
 佐渡の記事はこれでようやく終わりになります。

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by dazaiosamuh | 2015-07-11 12:47 | 太宰治 | Comments(0)
どこか、名所は無いだろうか」
「さあ」女中さんは私の袴を畳みながら、「こんなに寒くなりましたから」
「金山があるでしょう」
「ええ、ことしの九月から誰にも中を見せない事になりました。お昼のお食事は、どういたしましょう」
「たべません。夕食を早めにして下さい」
 私は、どてらに着換え、宿を出て、それからただ歩いた。海岸へ行って見た。何の感慨も無い。山へ登った。金山の一部が見えた。ひどく小規模な感じがした。さらに山路を歩き、時々立ちどまって、日本海を望見した。ずんずん登った。寒くなって来た。いそいで下山した。また、まちを歩いた。やたらに土産物を買った。少しも気持が、はずまない。

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 遥々佐渡へやって来た太宰であったが、『何の感慨』も無かった。
 小説『佐渡』の中で、女中が、『ことしの九月から誰にも中を見せない事になりました。』と言い、『金山の一部が見えた。』とあり、『山へ登った。』『ずんずん登った』と書いていますが、これは、一応太宰は金山の方角へと山を登ったということなのでしょうか。この描写だと、金山には入っていないようですが、太宰の年譜を見ると、『佐渡金山などを見学し…』と書かれている年譜もありました。
 果たして、太宰は本当に金山を見学したのか、しなかったのか、詳細は分かりません。
 折角なので、私は金山を見学することにしました。金山には二つのコース、宗太夫抗コースと道遊抗コースがあります。私は両コースを見て回りました。
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 中は非常に涼しかったのですが、1人だっため、しかも他に見物客がいなかったこともあり、何とも心細く少し怖かったです。水滴の滴り落ちる音が、より一層恐怖心を掻き立てました。
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 これは有名な『道遊の割戸』です。以下、パンフレットから引用。
佐渡金山の象徴
「道遊の割戸」は、佐渡金山の主要鉱脈のひとつ「道遊脈」が地表に露呈した部分を採掘した江戸時代の露頭掘跡で、金山開山当初から開発された最古の採掘跡の一つです。割戸の深さは約74m、幅は約30mにもわたり、山頂から断崖絶壁を成すこのような採掘跡は世界的にも極めて珍しく、国の史跡にも指定されています。


 写真では伝わりにくいですが、なかなかの迫力があります。非常に高さもあり、危険です。当時、少なからず事故で命を落とす人もいたことでしょう。
 
 佐渡、と聞いたら、大抵の人は朱鷺や佐渡金山を思い浮かべると思います。佐渡は今、両津で太宰が泊まった本間旅館跡の裏町などもそうですが、昔と違って観光客も徐々に減ってきています。佐渡にはおいしい海鮮料理もあれば、うまい酒もあり、非常にもったいない。思い切って、佐渡にも太宰治の石碑でも建てたらどうか。いや、『何しに佐渡へ行くのだろう』『何の感慨も無い』などと失礼なことばかり書いているので、それはないか。

 私のような太宰好きなら、もし太宰の石碑があれば必ず訪れるのだが。
 佐渡の記事は、残り1回で終わりになります。太宰が行こうとした小木を載せます。

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by dazaiosamuh | 2015-07-05 21:07 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)