遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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旅館を数歩出ると私は、急に人が変わったように、きょろきょろしはじめた。裏町ばかりを選んで歩いた。雨は、ほとんどやんでいる。道が悪かった。おまけに、暗い。波の音が聞える。けれども、そんなに淋しくない。孤島の感じは無いのである。やはり房州あたりの漁村を歩いているような気持なのである。
 やっと見つけた。軒燈には、「よしつね」と書かれてある。義経でも弁慶でもかまわない。私は、ただ、佐渡の人情を調べたいのである。そこへはいった。


 太宰が泊まった旅館が『本間旅館』であったことは、すでに太宰研究家の長篠康一郎の『太宰治 文学アルバム』で分かってましたが(場所は分かりませんでしたが)、太宰の『佐渡』に登場する『よしつね』等も記載されていました。
よしつね」とは弁慶(両津タクシーの裏)のことで、八郎平町にあったが、経営者は終戦後に東京へ帰ってしまった。
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 写真は、両津タクシーがあった場所です。一応、近くを通りかかったスーツを着た小奇麗な女性に訊ねたところ、やはりここが両津タクシーがあった場所のようです。長篠康一郎が取材した時は経営していたのでしょうが、現在は、『弁慶』どころか両津タクシーもやっておらず、建物が残っているだけの状態です。当然『弁慶』も残っていません。

 死ぬほど淋しいところだと聞いていた佐渡で、太宰は人情を知り、何かしらの旅愁、情緒を感じたい、という期待感を強く持っていた。しかし、何のこともない。感傷に浸るどころか、失望の色が濃くなっていくだけであった。

この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかなのである。佐渡の旅愁は、そこに無かった。料理だけがあった。私は、この料理の山には、うんざりした。

 蟹、鮑、蠣など、次々出される料理にうんざりした太宰は、お酒だけでいいのです、と言い芸者を呼んでもらうが、『小さい女が、はいって来た。君は芸者ですか? と私は、まじめに問いただしたいような気持にもなった』のであった。 『この女のひとの悪口も言うまい。呼んだ奴が、ばかなのだ。

 太宰は出された料理を芸者にもすすめるのであった。太宰は料理に対して、『私は一つの皿の上の料理は、全部たべるか、そうでなければ全然、箸をつけないか、どちらかにきめている』そうだ。
私は目前に、むだな料理の山を眺めて、身を切られる程つらかった。この家の人、全部に忿懣を感じた。無神経だと思った。
「たべなさいよ」私は、しつこく、こだわった。「客の前でたべるのが恥ずかしいのでしたら、僕は帰ってもいいのです。あとで皆で、たべて下さい。もったいないよ」
「いただきます」女は、私の野暮を憫笑するように、くすと笑って馬鹿丁寧にお辞儀をした。けれども箸は、とらなかった。
 すべて、東京の場末の感じである。
「眠くなって来た。帰ります」なんの情緒も無かった。

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 写真は、先ほどの『両津タクシー跡』の裏手で、料亭・弁慶があった場所です。太宰は作品の中で『よしつね』と変名しています。まったく面影も残っていませんし、周辺もあまり人通りがなく寂しい感じがします。

 宿へ帰った太宰は、夜半、ふと眼がさめた。聞こえてくる波の音に、初めて『佐渡』という孤島にいることを実感し始めた。
ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞こえる。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴えてしまって、なかなか眠られなかった。謂わば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈な孤独感をやっと捕えた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。(中略)自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った。

 佐渡の人情を知りたかった太宰は、よしつね(弁慶)に入ったが、『旅愁は、そこに無かった。料理だけ』があった。そして、実感として佐渡を感じたのが、宿屋での床についているときに聞こえてくる、佐渡のどぶんどぶんという波の音だけであった。

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by dazaiosamuh | 2015-05-29 11:34 | 太宰治 | Comments(0)
十年ほど前に、北海道へ渡った事があったけれど、上陸第一歩から興奮した。土の踏み心地が、まるっきり違うのである。土の根が、ばかに大きい感じがした。内地の、土と、その地下構造に於いて全然別種のものだと思った。(中略)私は、佐渡の上陸第一歩に於いても、その土の踏み心地を、こっそりためしてみたのであるが、何という事も無かった。内地のそれと、同じである。これは新潟の続きである、と私は素早く断案を下した。(中略)もうそろそろ佐渡への情熱も消えていた。このまま帰ってもいいと思った。どうしようかと迷っていた。私は、港の暗い広場を、鞄をかかえてうろうろしていたのである。

 太宰は、「だんな」と声を掛けられ、宿の客引きに誘われ宿へと向かって行く。その宿は、『佐渡』では『福田旅館』と書かれてあるが、実際の旅館名は『本間旅館』。ここ佐渡には、『本間』が多い。
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 佐渡・両津に到着した私は、最初に太宰が泊まった本間旅館跡を探すことにし、観光案内所でやさしそうなスタッフの女性に話しかけた。すると、『本間旅館』は現在、『スーパーキング』という名前のスーパーになっているらしい。
「近くまで行けばすぐに分かるから」と言われ、さっそく向かいます。途中、案内板があり、見てみると。
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『スーパーキング』の名前が載っていました。しかし、実際にその付近に行った私は、まごつきました。どこを見渡しても、スーパーなど見当たりません。すでに時刻は、午後3時半を過ぎていました。キョロキョロしながら、道行く人たち数人に「スーパーキングはどこにあるのでしょうか?」と半べそ状態で訊くと、そのうちの1人が、ここだよ、と教えてくれました。その建物を見た私は愕然としました。
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 これがスーパー…。看板がない。『スーパーキング』の看板は、どこにもないではないか。これじゃ初めて来た人が分かる筈がない。しかも入口も分かりにくい。しかし、旅館の面影は少し残っている。
宿へ着いた。あばらやでは無かった。小さい宿屋ではあるが、古い落ちつきがあった。…私の案内された部屋も悪くなかった。部屋に、小さい炉が切ってあった。風呂へはいって鬚を剃り、それから私は、部屋の炉の前に端然と正座した。

 前日、新潟高校で講演を行った太宰は馬鹿に行儀正しくなっていた。女中の前でも、膝を崩さずにいた。

君は、佐渡の生れかね」
「はい」
「内地へ、行って見たいと思うかね」
「いいえ」
「そうだろう」何がそうだろうだか、自分にもわからなかった。ただ、ひどく気取っているのである。また、しばらく会話が、とぎれる。私は、ごはんを四杯たべた。こんなにたくさんたべた事はない。


 どうやら太宰いわく、女中は窮屈がっていたようです。
私は、さむらいのようである。(中略)六時四十分。いまから寝ては、宿の者に軽蔑されるような気がした。さむらいは立ち上り、どてらの上に紺絣の羽織をひっかけ、鞄から財布を取り出し、ちょっとその内容を調べてから、真面目くさって廊下へ出た。のっしのっしと階段を降り、玄関に立ちはだかり、さっきの番頭に下駄と傘を命じ、
「まちを見て来ます」と断定的な口調で言って、旅館を出た。

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『スーパーキング』の横と後ろからの外観になります。やはり、どこにも看板はありません。店内はどんな様子なのか入って見ると、不自然な場所に扉があったりなど、商品棚も窮屈そうに並べられ、初めて入った人も思わず、「おや?以前の建物をそのまま利用しているな」と、すぐに分かります。
 お店は、1階が主に生鮮食品、2階がお菓子や生活用品などになります。手ぶらで店を出るのも気がすすまないため、適当にお菓子を選び、太宰のようにのっしのっしと階段を降り、レジへと向かいました。店員数名に、以前本間旅館であったことを確かめてみると、いつものことですが、「そのように聞いてはいます」との返事でした。
 ただ、この旅館の名残というのが、太宰が宿泊した当時の名残なのかは不明。たぶん幾度か改装等はしていると思うので、そのまま太宰が泊まった当時の名残と考えることにはつなげることはできません。

 太宰はこの『本間旅館』跡周辺をぶらぶら歩いたみたいなので、次回はその記事を書きます。

※追記 H28年9月26日(月)
 ・コメントでいただいた通り、詳細を調べたら、スーパーキングは本間旅館跡ではないようです。もう少し先に進んだ場所で、佐渡市夷62の場所になります。時間が掛かりますが、また後で佐渡市を訪れて踏査したいと思います。ご了承ください。


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by dazaiosamuh | 2015-05-23 13:07 | 太宰治 | Comments(9)
船酔いの気配は無かった。大丈夫だと思ったのである。そう思ったら、寝ているのが、ばかばかしくなって起きてしまった。立ち上ったら、よろめいた。船は、かなり動揺しているのである。壁に凭れ、柱に縋り、きざな千鳥足で船室から出て、船腹の甲板に立った。
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 太宰の真似をして、私も、壁に凭れ、柱に縋り、キザな千鳥足で甲板に出た(太宰が乗った汽船と違って、揺れはあまりないので、ただの馬鹿である)。ほとんどの乗客は船室でくつろぎ、甲板に出ているのは、私と、7,8人の中国人の観光客だけであった。

 太宰は、佐渡島が視界に入ると、『私は目をみはった。きょろきょろしたのである。佐渡は、もうすぐそこに見えている。…(略)…もう、来てしまったのだ。それにしては早すぎる。まだ一時間しか経っていない。』と不安になり、狼狽し始める。
気が気でない。誰かに聞いてみようかと幾度となく思うのだが、若し之が佐渡ヶ島だった場合、佐渡行の汽船に乗り込んでいながら、「あれは何という島ですか」という質問くらい馬鹿げたものは無い。私は、狂人と思われるかも知れない。私はその質問だけは、どうしても敢行できなかった。銀座を歩きながら、ここは大阪ですかという質問と同じくらいに奇妙であろう。
 太宰は、『私ひとりだけが知らない変な事実があるのだ。』と一人で訳が分からなくなっていた。
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 そして、太宰の不安は一気に飛躍し、恐ろしい結論へと向かいそうになる。
誇張では無く、恐怖の感をさえ覚えた。ぞっとしたのである。汽船の真直ぐに進み行く方向、はるか前方に、幽かに蒼く、大陸の影が見える。私は、いやなものを見たような気がした。見ない振りをした。けれども大陸の影は、たしかに水平線上に薄蒼く見えるのだ。満洲ではないかと思った。まさか、と直ぐに打ち消した。私の混乱は、クライマックスに達した。日本の内地ではないかと思った。それでは方角があべこべだ。朝鮮。まさか、とあわてて打ち消した。滅茶苦茶になった。能登半島。それかも知れぬと思った時に、背後の船室は、ざわめきはじめた。
「さあ、もう見えて来ました」という言葉が、私の耳にはいった。
 私は、うんざりした。あの大陸が佐渡なのだ。大きすぎる。北海道とそんなに違わんじゃないかと思った。台湾とは、どうかしら等と真面目に考えた。


『佐渡』の冒頭部分には、『細い雨が降っている』とあり、天気が雨で、視界が悪く、平野の部分が見えにくくなっていたため、島が2つあるように見えていただけだったのです。太宰は甲板で少女と紳士の会話を、『人知れず全身の注意を、その会話に集中』させた。
つまり島の形が、こんなぐあいに」と言って両手で島の形を作って見せて、「こんなぐあいになっていて、汽船がここを走っているので、島が二つあるように見えたのでしょう」
 私は少し背伸びして、その父の手の形を覗いて、ああ、と全く了解した。すべて少女のお陰である。つまり佐渡ヶ島は、「工」の字を倒さにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐で細く結んでいるような状態なのである。大きいほうの山脈地帯は、れいの雲煙模糊の大陸なのである。さきの沈黙の島は、小さいほうの山脈地帯なのである。平野は、低いから全く望見できなかった。そうして、船は、平野の港に到着した。それだけの事なのである。よく出来ていると思った


 満洲、朝鮮じゃなくて良かったですね、太宰さん。いくら何でも考えすぎでしょうが。しかも、理解してからも、『北海道とそんなに違わんじゃないかと思った』などと言っているから呆れる。
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 甲板へ出ると、やたらとウミネコが追っかけてくるな、と思っていたら、中国から来た観光客が、餌をあげていた。
 写真は、ウミネコが、中国人観光客が手に持つ餌(かっぱえびせん)を食べる瞬間を撮っものです。偶然、良い写真が撮れました。
 中国人観光客がやたらとかっぱえびせんを投げるので、船尾の甲板が、かっぱえびせんだらけになっており、苦笑のほかありませんでした。

 なにはともあれ、無事に私も佐渡に到着することができました。
 次回は、ようやく佐渡島の記事を載せていきます。


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by dazaiosamuh | 2015-05-14 23:13 | 太宰治 | Comments(0)
何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。

 太宰は特に明確な理由があるわけでもなく、佐渡汽船に乗り、佐渡へ向かってゆっくりと進んでいった。服装はというと、『私は紺絣の着物、それに袴をつけ、貼柾の安下駄をはいて船尾の甲板に立っていた。マントも着ていない。帽子も、かぶっていない。』のであった。
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 私は太宰と同じ『おけさ丸』に乗り(名称は同じですが、汽船そのものは当然違います)、太宰と同じく船尾の甲板から新潟港を眺めた。写真は、徐々に離れて行く新潟港である。太宰も甲板に出て、離れていく新潟を眺めていた。
船は走っている。信濃川を下っているのだ。するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、やがて遠のく。黒く濡れた防波堤が現われる。その尖端に、白い燈台が立っている。もはや、河口である。これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた。海に出たのである。エンジンの音が、ここぞと強く馬力をかけた。本気になったのである。速力は、十五節。寒い。私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。
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二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイから借りた白い毛布にくるまって寝てしまった。船酔いせぬように神に念じた。船には、まるっきり自信が無かった。心細い限りである。ゆらゆら動く。死んだ振りをしていようと思った。眼をつぶって、じっとしていた。
 私も二等船室でくつろぐことにしました。行きは平日だったこともあり、広々としていて、周りを気にせず寝転がることができた。
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 残念ながら白い毛布ではありませんでした。緑色の毛布で、てっきり無料で貸し出しているのかと思っていたのですが、1枚100円で、券売機で券を購入しカウンターで毛布と交換する仕組みになっていました。横になるとき枕がないので、自分のカバンを枕にして横になっていたのですが、人によっては、もう1枚毛布を借りて、折り畳んで枕にしている人もいました。

何しに佐渡へなど行くのだろう。自分にもわからなかった。

 太宰は自分でもわからないが、佐渡に対して何らかの期待感を持っていた。
佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。前から、気がかりになっていたのである。私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。(中略)いまはまだ、地獄の方角ばかりが、気にかかる。新潟まで行くのならば、佐渡へも立ち寄ろう。立ち寄らなければならぬ。謂わば死に神の手招きに吸い寄せられるように、私は何の理由も無く、佐渡にひかれた。私は、たいへんおセンチなのかも知れない。死ぬほど淋しいところ。それが、よかった。お恥ずかしい事である。

 文の最後に、『死ぬほど淋しいところ。それが、よかった。』と書いていますが、つまり、最初の『佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところ』だと聞いて、『死ぬほど淋しい佐渡』に興味がわき、そして、『私は、たいへんおセンチなのかも知れない。』とありますので、『死ぬほど淋しいところ』と期待する佐渡で、『おセンチ』な感情に浸りたい、という思いもあり、これが、一応の動機となっているのではないでしょうか。
 しかし、一応の動機があっても、次の段落では、『けれども船室の隅に、死んだ振りして寝ころんで、私はつくづく後悔していた。何しに佐渡へ行くのだろう。』とあり、矛盾が生じる。
 また、『私は、まだ、こんなむだな旅行など出来る身分では無いのだ。家の経済を思えば、一銭のむだ使いも出来ぬ筈であるのに、つい、ふとした心のはずみから、こんな、つまらぬ旅行を企てる。』とあり、自己嫌悪が見られるが、『少しも気がすすまないのに、ふいと言い出したら、必ずそれを意地になって実行する。そうしないと、誰かに嘘をついたような気がして、いやである。負けるような気がして、いやである。』と、後ろめたさ、小心からくる理由も書かれている。

 『これは、ばかな旅行だ。なんだって、佐渡なんかへ、行って来なければいけないのだろう。意味がないじゃないか。

 あてのない旅も良いもんだと思いますが、旅の途中で、ここまで自分をボロクソにけなす人も珍しいと思います。
 『おけさ丸』での描写は、あと1回だけ続きます。


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by dazaiosamuh | 2015-05-08 11:46 | 太宰治 | Comments(0)
おけさ丸。総噸数、四百八十八噸。旅客定員、一等、二十名。二等、七十七名。三等、三百二名。賃銀、一等、三円五十銭。二等、二円五十銭。三等、一円五十銭。粁程、六十三粁。新潟出帆、午後二時。佐渡夷着、午後四時四十五分の予定。速力、十五節。何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。』(佐渡

 突然、佐渡汽船・おけさ丸の説明からはじまる『佐渡』は、昭和15年11月17日に、佐渡へ足を踏み入れた際の体験を元に書かれた紀行文で、前日の16日は、旧制新潟高校で講演を行っている。太宰が新潟を訪れ、新潟高校で講演を行ったときの記事は以前にかいてあるので、今回はその続きになります。
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 カーフェリーに乗るのは初めてなので、少しドキドキしますね。
 現在、カーフェリーは4種類、『ときわ丸』『おけさ丸』『あかね』『こがね丸』があり、『あかね』は、今年の4月21日から、直江津~小木航路で就航された、新造高速のカーフェリーになります。
 太宰とほぼ同じルートでゆかりの地をまわるとなると、新潟~両津航路を走る『ときわ丸』か『おけさ丸』で行くことになります。他にもジェットフォイルがあり、こちらは僅か1時間ほどで到着できるのですが、太宰は『おけさ丸』で佐渡へ行ったので、折角なので私も『おけさ丸』に乗りました。当然ですが、太宰が乗った当時の船ではありません。ちなみに、『おけさ丸』『ときわ丸』共に2時間半ほどかかります。
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『佐渡』には、『総噸数、四百八十八噸。旅客定員、一等、二十名。二等、七十七名。三等、三百二名。』と書かれていますが、写真を見ての通り、現在の『おけさ丸』は、総トン数が、5862トンで、約12倍もあります。旅客定員は、一等、二等、三等を合わせても399名なのに対して、現在は最大で1705名を収容できます。ただ大きくなっただけでなく、速力も『十五節(ノット)』から現在は、23.4ノットにあがっています。なので新潟・佐渡の潮風を、よりいっそう肌で感じることができると思います。

 それでは、私も『おけさ丸』で佐渡へ向かおうと思います!!

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by dazaiosamuh | 2015-05-03 21:11 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)