遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 前回の記事からだいぶ経ってしまいましたが、京都編は今回が最後になります。
 太宰治の一番弟子である堤重久などが京都に住んでいたこともあり(真意はわかりませんが)、太宰は京都への移住を考えていたわけであったが、長篠康一郎は、『太宰治 文学アルバム』の中で、『太宰治の死で、憧れの京都移住は実現しなかったが、もし望みが叶えられていたなら、その永住予定地は、おそらく醍醐寺の近辺であったと推定できる。』としている。詳細な理由は書かれていなかったが、私はその醍醐寺に足を運ぶことにしました。
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 醍醐寺は、京都駅から電車と徒歩で行くことになる。京都駅からJR湖西線・琵琶湖線で山科駅まで5分、山科駅で地下鉄東西線に乗り換え、そのまま醍醐寺駅まで約8分。醍醐寺駅からは、徒歩で12分~15分位でたどり着ける。
 私は京都へほとんど訪れたことがなかったため、金閣寺や清水寺くらいしか知らなかったが、醍醐寺へ到着してみると、敷地面積はかなり広く、しかも、山の頂上まで続いているというから驚きであった。

 醍醐寺にある三宝院は、豊臣秀吉も気に入っていたようで、天下人の庭としても知られているそうです。また、五重塔や清瀧宮本殿、金堂、西大門など、見所があります。
 醍醐寺は、エリアが下醍醐、上醍醐に分けられているのですが、私がいま書いたのは、下醍醐のごく一部になり、上醍醐へは、下醍醐から約1時間も山道を登らなくてはなりません。とすると、下醍醐へ戻ってくるだけで往復2時間は掛ることになるため、私は今回は時間の都合上断念しました。
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 醍醐寺近辺は、清水寺などとは違い閑静な住宅地になっていますし、太宰が過ごしたことのある青森・弘前市にも五重塔があるので、もし太宰がこの近辺で住むことができたら、故郷を想いながら、ゆったりとした気持ちで文筆に励むことができたのではないでしょうか。

 ちなみに、醍醐寺の寺宝類の多くは、国宝、国の重要文化財の指定を受けており、平成6年(1994)には、ユネスコの「世界文化遺産」に登録されいます。
 
 太宰が和服姿で京都を歩けば、まちがいなく、「あら素敵。ちょいとお待ちをお兄さん」と、袖をふりふり、舞妓さんとならんで京都を闊歩していたかもしれませんね。

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by dazaiosamuh | 2015-04-19 12:10 | 太宰治 | Comments(0)
一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輌と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輌ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輌と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走った。時に依って万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜まれたり、または嗚咽でもって不吉な餞を受けるのである。列車番号は一○三。

列車』は、昭和8年2月に連載された作品で、津島修治が初めて『太宰治』の筆名で書いた最初の作品です。
番号からして気味が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。げんに私が此の列車のため、ひどくからい目に遭わされた。』とあるが、昭和5年に太宰は、最初の妻となる小山初代を青森から呼び寄せたり、共産党への関与や、三兄圭治の葬儀のため帰京したり、さらには、銀座のカフェ・ホリウッドで働いていた田辺あつみと鎌倉での心中などがあり、こういった体験などが、『この列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。』となっているのでしょうか。
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 この『列車』に登場するC51型の蒸気機関車は、JR京都駅中央口から徒歩で20分以内で着ける『梅小路蒸気機関車館』で見ることができる。
 他にも様々な蒸気機関車があり、実物を見ると迫力がありますね。太宰がいた時代は、蒸気機関車が当り前の時代だったのですね。
『列車』が発表された昭和8年は、満州事変や上海事変と続き、小林多喜二が虐殺されたのも昭和8年の2月になります。
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 こちらがC51型蒸気機関車です。C51型は、1919年(大正8年)~1928年(昭和3年)の間に289両が製造された中型の旅客用機関車で、1930年(昭和5年)から始まった、超特急「つばめ」をけん引した有名な機関車でもあります。
 私は電車や機関車などには、普段、興味がないのですが、この時ばかりは迫力と魅力に圧倒され、運転席に座って見たり、地面にしゃがみ込んでその大きな車輪をまじまじと凝視したりなど、しかも、ちょうど時間帯が黄昏時だったこともあり、これが太宰が生きた時代に走った機関車なのかと思うと、感慨深いものがありました。

発車まで未だ三分ほど間があった。私は堪らない気持がした。誰だってそうであろうが、見送人にとって、この発車前の三分間ぐらい閉口なものはない。言うべきことは、すっかり言いつくしてあるし、ただむなしく顔を見合せているばかりなのである。』とありますが、今の時代の人には、ハンカチ片手に涙を流しながら見送るというのは、あまり見ない光景ですが、遠くに行ってしまう人を見送るときの気持というのは、書かれている通り、『この発車前の三分間ぐらい閉口なものはない』のではないでしょうか。これは誰でも経験があると思いますし、私もひどく共感しました。そしていざ出発し始めると、すこし切ないような、または微笑をもって、一生懸命に手を振るのです。

『列車』は、僅か数ページしかない短編ですが、筆名太宰治の初の作品ということもあり、色々と考えさせられる作品だと思います。

 京都編は、あと1回で終わりになります。

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by dazaiosamuh | 2015-04-06 19:43 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)