遠い空の向こうへ

tushima.exblog.jp

太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

ブログトップ

<   2015年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 ロープウェイでカチカチ山を登ると、『たぬき茶屋』や『展望台』があることは以前にも書いたが、太宰の『カチカチ山』を紹介する看板もある。
c0316988_19484589.jpg
 この天上山が『カチカチ山』と呼ばれるようになった説について記載されていたので、引用させてもらいます。
小説「カチカチ山」」について
さて「天上山=かちかち山」説はどうしてうまれたのでしょうか?
その謎を紐解く一つの鍵が、作家・太宰治(1909~1948)の存在です。太宰は自信の小説「カチカチ山」(「お伽草紙」収録)の冒頭で、<これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山のあたりでおこなわれた事件であるといふ。>と書いています。実は太宰治、昭和13(1938)年に富士河口湖町御坂峠の天下茶屋に滞留しています。この太宰の記述がこの小説の根拠の一つとなっているようです。


 2年前、天下茶屋を訪れた際は、富士山を拝むことはできなかった。今回リベンジしようと思ったが、冬季は天下茶屋までのバスは運休となっていたため、今回は断念せざるを得なかった。また近いうちに行こうと思います。
 この天上山が『カチカチ山』と呼ばれ、太宰ファンならずとも多くの観光客が訪れるようになったのは、やはり、太宰の影響力を疑わないわけにはいかない。
 そしてもう一つ、ロープウェイとは別のルートで『あじさいハイキングコース』があり、途中のナカバ平には、太宰治文学碑がある。所要時間はおよそ20分~25分。しかし、私が訪れた時は、多少の残雪がありましたが、それでも20分掛からず到着した。
c0316988_19490208.jpg
c0316988_19491363.jpg
 太宰治文学碑には、『カチカチ山』の名言、『惚れたが悪か』が刻まれていた。本来なら、富士山を背景にこの文学碑の写真を撮りたかったのだが、止むを得ない。雪には足跡一つなかった。この雪のため、誰も訪れて来ないようだ。碑は、ひっそりとしていた。私もまた静かにその碑を眺めた。

 私は太宰治が大好きだ。太宰が書く小説も、作家としての太宰治、人間としての太宰治、津島修治。
 私も太宰に言いたい。
『惚れたが悪か』

 天気が良ければ、天上山『カチカチ山』からの富士山、河口湖は絶景に違いない。富士山は寒い時期の方が、はっきりと顔を出してくれることが多いそうだ。
 『カチカチ山』を登ったことのない方は、是非、この機会に登ってみることをお勧めします。

 次回は、『カチカチ山』で太宰が書いた『敷島』について載せます。

[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-26 19:52 | 太宰治 | Comments(0)
狸の不幸は、まだ終わらぬ。作者の私でさえ、書きながら溜息が出るくらいだ。

 今さら言うまでもないが、いよいよ狸の最後を見届ける時が来た。もちろん、柴に火をつけられるのと同様で有名な、泥舟を沈められてしまう場面だ。
 狸は、火傷した箇所だけでなく、全身に仙金膏を塗られ地獄を味わったにも関わらず、『十日も経たぬうちに全快し、食慾は旧の如く旺盛で、色慾などもちょっと出て来て、よせばいいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける』のであった。
 太宰の描く狸は、つくづく下品で気持ちが悪い。
遊びに来ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑う。
「あら!」と兎は言い、ひどく露骨にいやな顔をした。


 しかも、狸は『や、ありがとう。」とお見舞いも何も言われぬくせに、こちらから御礼を述べ』る始末なのだ。
 そして狸は、そこら辺の小虫を拾って食べながら、兎に『こうしてまた二人でのんびり話が出来るんだものなあ。ああ、まるで夢のようだ。』などと、嫌われているとも知らずに自分勝手な話をするのであった。しかし、兎は狸に対する嫌悪と憎悪を増大させるばかりで、瞬時にまたもや悪魔の一計を持ち出す。
ね、あなたはこの河口湖に、そりゃおいしい鮒がうようよしている事をご存じ?」

 狸はたちまち眼を輝かせ、一緒に鮒を捕りに行ってくれることにほくほく顔になる。ここでも、船を漕げるの? との問いに、『その気になりゃ、なあに。』などとまた見苦しい法螺を吹く。兎は、自分が持っている船は小さいから、一緒にもう一隻、船を作りましょう、と言うのだが、狸は図々しくおまえひとりで作ってくれないかと言い、『ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。』のであったが、この瞬間をもって、狸の悲運は決定的になってしまう。
c0316988_20464554.jpg
 波ひとつ無い白い河口湖に出て来た兎と狸。
 狸は、ここでもまた、舟の漕ぎ方において自分は昔名人と言われたものだ、などと見え透いた法螺を言う。挙句の果てに、『きょうはまあ寝転んで拝見という事にしようかな。』と泥舟の底に寝そべり、兎はふんと笑う。
さて兎は、その鸕鷀島(うがしま)の夕景をうっとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極悪人でも、自分がこれから残虐の犯罪を行おうというその直前に於いて、山水の美にうっとり見とれるほどの余裕なんて無いように思われるが、しかし、この十六歳の美しい処女は、眼を細めて島の夕景を鑑賞している。まことに無邪気と悪魔とは紙一重である。

 
 狸を沈めて殺そうとする兎の、直前のこの「おお、いい景色。」という発言には、読んでいて私もゾッとする。狸もとんでもない兎を好きになってしまったものだ。
 そして、狸はついに最後の時を迎えることになる。
c0316988_20462944.jpg
ひゃあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる而して甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかったの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理というものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のような、いや、まるでわからん。お前はおれの女房じゃないか。やあ、沈む。少なくとも沈むという事だけは眼前の真実だ。冗談にしたって、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。…(中略)…白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違いすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あっぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持っている櫂をこっちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまって、あいたたた、何をするんだ、痛いじゃないか、櫂でおれの頭を殴りやがって、よし、そうか、わかった! お前はおれを殺す気だな、それでわかった。」と狸もその死の直前に到って、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかった。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言って、ぐっと沈んでそれっきり。
 兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言った。


 狸を沈める前の『おお、いい景色。』と沈めた後の『おお、ひどい汗。』
 まるで一仕事を終えた肉体労働者のようだ。太宰はこの話の後、『好色の戒めとでもいうものであろうか。』『礼儀作法の教科書でもあろうか。』などと書いているが、自身で、『いやいや、そのように評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまわの際の一言だけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが悪いか。

 と、書いている。
 この太宰版『カチカチ山』は、人間社会の男女を兎と狸を使って、皮肉とユーモラスを混ぜて描いてると思います。
 太宰が言いたいことは、実は最後の数行に書かれていると言える。

女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。

 次回は、『カチカチ山』にある太宰の文学碑を載せます。

[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-22 20:56 | 太宰治 | Comments(0)
 残酷な美少女の兎に火をつけられても、それが兎の仕業とは気が附かなかった狸。しかし、さらに追い打ちをかけるように、家で苦しむ狸のもとへ変装した兎が訪れる。
c0316988_13083998.jpg
 写真は展望台にいた兎で、何か思案に暮れるポーズをとっていますね。不愉快極まりない狸に思い悩んでいるのか、なにか策略を計画中なのか。

ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかもしれねえ。思えば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて来たばかりに、女どもが、かえって遠慮しておれに近寄らない。いったいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらいかと思っているのかも知れねえ。なあに、おれだって決して聖人じゃない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思っているらしく、なかなか誘惑してくれない。こうなればいっそ、大声で叫んで走り狂いたい。おれは女が好きなんだ!…」

 どこまでも哀れで勘違いも甚だしい中年狸ですね。狸がぶつぶつ穴の中で言っていると、表で薬売りの声が聞こえてくる。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に悩むかたはいないか。」
 狸は「やけど」よりも、「色黒」に思わず反応してしまう。そして、表へ出ると、例の兎に似た兎がおり、「似た兎もあるものだ」と訝しむも、「お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行っちゃいけないぜ。」と親切に教える。兎はその親切な忠告のお礼に、お薬代は頂戴いたしません、と言った。
 そして、狸は兎にその薬を見せてくれといい、兎が薬を見せると、素早く、しかも顔に塗り始めた。

少なくともおれの顔は、目鼻立ちは決して悪くないと思うんだ。ただ、この色黒のために気がひけていたんだ。もう大丈夫だ。うわっ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い薬だ。しかし、これくらいの強い薬でなければ、おれの色黒は治らないような気もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしょうめ、こんどあいつが、おれと逢った時、うっとりおれの顔に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、恋わずらいしたって知らないぞ。おれの責任じゃないからな。ああ、ひりひりする。この薬は、たしかに効く。さあ、もうこうなったら、背中にでもどこにでも、からだ一面に塗ってくれ。おれは死んだってかまわん。色白にさえなったら死んだってかまわんのだ。さあ塗ってくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやってくれ。」まことに悲壮な光景になって来た。
c0316988_13084922.jpg
 写真は、『たぬき茶屋』のすぐ横に展開された、薬を塗る兎と涙を流しながら塗られる狸です。どうも太宰の『カチカチ山』の兎と狸とはイメージが私のなかで違います。

けれども、美しく高ぶった処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似ている。平然と立ち上って、狸の火傷にれいの唐辛子をねったものをこってりと塗る。狸はたちまち七転八倒して、
「ううむ、何ともない。この薬は、たしかに効く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだったから、それで婆さんをやっつけたんだ。おれに、とがは無えんだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばっかりに、女にいちども、もてやしなかったんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの悪い思いをして来たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤独だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは悪くないと思うんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐったり失神の有様となる。


 ここまで来ると、流石に中年狸が可哀想に思えてくる。そろそろこの辺で仇討もよしてもいいのではないでしょうか。しかし、太宰が書いた通り、「美しく高ぶった処女の残忍性には限りが無い。」というとおり、まだ執拗な仇討は続くのである。

 私の勝手なイメージだと、太宰の『カチカチ山』の兎は、スタイル抜群で、16歳という年齢から、最近お化粧にも凝り初め、爪にはマニキュア、唇は瑞々しく潤い、しかも綺麗に口紅が塗られている。そして16歳とは似合わぬ妖艶な色気が多少なりとも出ている。簡単に言えば、少し大人びたプライドの高い女子高生のようなものか。
 それに対して狸の方はというと、マナーもへったくれもない、髭が生えっぱなしはもちろんのこと、縦横無尽に生える汚い胸毛、ぶよぶよの下っ腹、全身が油汗でベトベト、食べ物や女を見るや、ニヤニヤし、しかも舌をだして、下品にはあはあ言っている。仕事の才もなく不潔を極めた冴えない中年男だ。
 私が太宰の『カチカチ山』からイメージした16歳の兎と中年狸は、ざっとこんな感じになります。
 皆さんは、太宰版『カチカチ山』を読んで、どんなイメージを持ったのでしょうか。

 次回は、河口湖で泥舟で沈められる場面を書きます。






[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-18 13:13 | 太宰治 | Comments(0)
 ロープウェイを降りて少し上がると、河口湖と富士山を眺めることができる展望台に辿り着く。ここには、『たぬき茶屋』というのがあり、名物たぬき団子を食べることができる。ここで小腹を満たしながら、富士山を眺めるのもいいかもしれません。他にも、カチカチ山のうさぎさんを祀った『うさぎ神社』や、「円」と「縁」を意味した、円の中にかわらけを投げる『かわらけ投げ』、さらには恋愛成就、無病息災の御利益があると言われる『天上の鐘』というパワースポットもある。
 私はここでおみくじを引いたら、見事『大吉』でした。今まで生きて来て『大吉』を引いたことは一度も無かったので、来てよかったです。今年は良い年になりそうな予感がします。
c0316988_20335732.jpg
 美少女の兎と中年の狸はせっせと柴を刈っていた。肝心の狸の働きぶりは、一心不乱どころか、ほとんど半狂乱のようなあさましい有様であった。ただ下品に、ううむ、ううむ、と兎に見てもらいたく、縦横無尽に荒れ狂うのであった。そして狸は自慢げに、ああ、手がひりひりすると言って、手に出来た豆を見せながら、勝手に休憩を始める。以下、『カチカチ山』より。
ぐいとその石油缶ぐらいの大きさのお弁当箱に鼻先を突込んで、むしゃむしゃ、がつがつ、ぺっぺっ、という騒々しい音を立てながら、それこそ一心不乱に食べている。兎はあっけにとられたような顔をして、柴刈りの手を休め、ちょっとそのお弁当箱の中を覗いて、あ! と小さい叫びを挙げ、両手で顔を覆った。何だか知れぬが、そのお弁当箱には、すごいものがはいっていたようである。

 どんな弁当なのでしょうね。作者である太宰本人も分からないような、得体の知れないものが入っていたのでしょう。
 それから狸は、『ああ、食った、眠くなった、どれ一眠り…』と言っては勝手に昼寝を初める。そして、お昼頃おき、兎はお爺さんのもとへ柴を持って行ってあげましょう、と提案し、蛇が出たら怖い、とワザと狸を先頭に歩かせる。
 そして、いよいよここから兎の悪辣な仕打ちが始まっていく。

おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだろう。お前にも、聞えないか?何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「当り前じゃないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかったの?」
「うん。知らなかった。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかったね。しかし、へんな名前だ…」


 この時狸は、『この山で生れて、三十何年かになるけれども…』と口を滑らせる。
まあ! あなたは、もうそんな年なの? こないだ私に十七だなんて教えたくせに、ひどいじゃないの。顔が皺くちゃで、腰も少し曲がっているのに、十七とは、へんだと思っていたんだけど、それにしても、二十も年をかくしているとは思わなかったわ。それじゃあなたは、四十ちかいんでしょう、まあ、ずいぶんね。」
 狸はひどく狼狽し、『いや十七だ、十七。十七なんだ。』などと言い、挙句の果てに、兄の口癖が伝染したんだ、と突拍子もない嘘を言いだし、兎は頗る呆れかえる。
まったく世の中は、これでなかなか複雑なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があったり無かったり。」
「まるで、意味が無いじゃないの。」

c0316988_20334655.jpg
 くだらない滑稽噺をしているうちに、しだいに今度は、火が燃えているような匂いと音に気がつく。
気のせいかなあ。あれあれ、何だか火が燃えているような、パチパチボウボウって音がするじゃないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさっき、ここはカチカチ山だって言った癖に。」
「そうよ、同じ山でも、場所に依って名前が違うのよ。富士山の中腹にも小富士という山があるし、それから大室山だって長尾山だって、みんな富士山と続いている山じゃないの。知らなかったの?」
「うん、知らなかった。そうかなあ、ここがパチパチ山のボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だったが、いや、これは、ばかに暖くなって来た。地震でも起こるんじゃねえだろうか。何だかきょうは薄気味の悪い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きゃあっ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」


 時すでに遅し。狸は悲鳴をあげながら山を駆け下りて行くのでした。この時、狸が「あちちちち」と駆け下りたのが、ロープウェイの眼下に見えた崖らしいです。
 それにしても、後ろから直接じゃないにしても、背負っている物に火をつけるというのは、よくよく考えてみれば相当残酷なことですね。しかし、冷静に考えてみれば、狸も柴が燃えているのに気付いたのならば、気づいた時点で背負っている柴をすぐにおろせば軽傷で済んだのではないでしょうか。(こんなことを言ったらきりがないですが…)

 このあとさらに、薬売りに変装した兎が、狸を更なる地獄に落とすために近づいていく。
 次回は、その場面を書きます。

[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-13 20:42 | 太宰治 | Comments(0)
 太宰の『カチカチ山』の舞台となった天上山へは、『カチカチ山ロープウェイ』か『あじさいハイキングコース』の二通りがあり、三つ峠登山口までは、前者が約3分、後者がおよそ45分程度になる。
 太宰の文学碑があるのは、『あじさいハイキングコース』の中腹のため、そちらから行こうかと迷いましたが、最初はやはり、ゆっくり河口湖を眺めながら進みたかったので、ロープウェイにしました。以下、『カチカチ山』より。

よろこんでくれ! おれは命拾いをしたぞ。爺さんの留守をねらって、あの婆さんを、えい、とばかりにやっつけて逃げて来た。おれは運の強い男さ。」と得意満面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
 兎はぴょんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といったような顔つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いじゃないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかったの?」
「そうか、」と狸は愕然として、「知らなかった。かんべんしてくれ。そうと知っていたら、おれは、狸汁にでも何にでも、なってやったのに。」と、しょんぼりする。

c0316988_21254798.jpg
c0316988_21260128.jpg
 入口を入ると、太宰治を紹介するコーナーが設けられていました。そのうちの1つが上の写真になります。文学碑等が紹介されていますね。
 
 狸汁にされそうになった愚鈍な中年狸は、婆さんを怪我させてしまったことにより、汚れを知らぬ美少女の兎の怒りを買ってしまう。
兎にはもうこの時すでに、狸に対して或る種の復讐を加えてやろうという心が動いている。処女の怒りは辛辣である。殊にも醜悪な魯鈍なものに対しては容赦が無い。
 さらに、しゃべりながらそこら辺にある木の実や昆虫などを食べる、食い意地の張った狸をひどく軽蔑し、『傍へ寄って来ちゃ駄目だって言ったら。くさいじゃないの。もっとあっちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだってね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだってね。』と罵る。ここでまず私は、読んでいて吹き出してしまった。兎はこの狸を下品で汚いと、ひたすら軽蔑する。まるで女子高生が冴えないサラリーマンの親父を軽蔑するかのごとく。

 しかし、兎はなにか策略を思いついたのか、条件付で1度だけ許すことを提案した。『こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、条件があるのよ。あの爺さんは、いまごろはきっとひどく落胆して、山に柴刈りに行く気力も何も無くなっているでしょうから、私たちはその代わりに柴刈りに行ってあげましょうよ。」
「一緒に? お前も一緒に行くのか?」狸の小さい濁った眼は歓喜に燃えた。

 狸が、もし自分が一心不乱に働いたら、自分と仲良くなってくれるか、と言うと『その時のあなたの成績次第でね。もしかしたら、仲よくしてあげるかも知れないわ。と、狸の心をどこまでも弄ぶかのような言葉をかける。一方の狸は、『その口が憎いや。苦労させるぜ、こんちくしょう。おれは、もう、」と言いかけて、這い寄って来た大きい蜘蛛を素早くぺろりと食べ、「おれは、もう、どんなに嬉しいか、いっそ、男泣きに泣いてみたいくらいだ。」と鼻をすすり、嘘泣きをした。

 こうして愚鈍な中年狸は、まんまと兎の誘いに乗り、1回目の仕打ちを受けることになるのであった。
 
c0316988_21261281.jpg
 写真は、ロープウェイから撮った河口湖です。天気は曇りのため、残念ながら富士山は今回も拝むことができませんでした。山々も靄がかかりはっきりとしません。
 記事は私なりに要約して書いているので、太宰の描く狸の下品さや、残虐性を備えた処女の兎の冷酷さが、あまり上手く伝わらないかもしれませんが、ご了承ください。
 次回は、有名な薪が燃える描写を書きたいと思います。

[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-08 21:35 | 太宰治 | Comments(0)
カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑いを容れぬ厳然たる事実のように私には思われる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。

 太宰は、昭和20年3月頃から『お伽草子』の執筆に執りかかった。その中の1つがこの『カチカチ山』である。誰もが昔、小さい頃に両親から『カチカチ山』の絵本を読んでもらったことがあるはず。私もそのひとりだ。しかし、どうやら1番最初の『カチカチ山』は、かなり酷な描き方をされていたらしい。以下、『カチカチ山』からの引用になります。

どうも、物語の発端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなってやしない。狸も、つまらない悪戯をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばっていたなんて段に到ると、まさに陰惨の極度であって、所謂児童読物としては、遺憾ながら発売禁止の憂目に遭わざるを得ないところであろう。現今発行せられているカチカチ山の絵本は、それゆえ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合いに、賢明にごまかしているようである。それはまあ、発売禁止も避けられるし、大いによろしい事であろうが、しかし、たったそれだけの悪戯に対する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。一撃のもとに倒すというような颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶって、なぶって、そうして最後は泥舟でぶくぶくである。その手段は、一から十まで詭計である。これは日本の武士道の作法ではない。(中略)このごろの絵本のように、逃げるついでに婆さんを引掻いて怪我をさせたくらいの事は、狸もその時は必死の努力で、謂わば正当防衛のために無我夢中であがいて、意識せずに婆さんに怪我を与えたのかも知れないし、それはそんなに憎むべき罪でも無いように思われる。
c0316988_18345073.jpg
 狸がその時、ただ無我夢中で逃げるために、必死にもがいて婆さんに傷を負わせたことに対する兎の仕打ちがあまりにも酷すぎる事に、太宰は大きな疑問を持った。いつの日だったか、太宰は娘を井之頭動物園(現在の井の頭自然文化園)に連れて行ったとき、愛着の眼差しで狸を見つめる娘を思い出した。上は、現在の井の頭自然文化園の正面入り口の写真です。

私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまずいが、頭脳もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるようだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の絵本を読んでやったら、
「狸さん、可哀想ね。」
と意外な事を口走った。もっとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覚えで、何を見ても「可哀想」を連発し、以て子に甘い母の称賛を得ようという下心が露骨に見え透いているのであるから、格別おどろくには当らない。或は、この子が、父に連れられて近所の井の頭動物園に行った時、檻の中を絶えずチョコチョコ歩きまわっている狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思い込み、それゆえ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問わず、狸に贔屓していたのかも知れない。いずれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根拠が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としている。どだい、何も、問題にする価値が無い。

c0316988_18350346.jpg
c0316988_18351728.jpg
 しかし、太宰は自分の娘の純粋無垢な「狸さん、可哀想ね。」の一言を聞き、はっとし、小さい子供ならば何とか誤魔化せるが、これが『もっと大きい子供で、武士道とか正々堂々とかの観念を既に教育せられている者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思われはせぬか、これは問題だ』と眉をひそめ、思案に暮れた。上の写真2枚は、井の頭動物園で撮ったものです。寒い季節のため、ほとんどの動物は丸くなって寝ているだけでしたが、狸だけは活発に動いていました。太宰の『カチカチ山』の先入観で、下品な印象を植え付けられていた私でしたが、やはり、改めて実際の狸を見ると、なかなか可愛いですね。太宰の娘の気持ちもよく分かります。

 そして太宰は、自分なりの答えを導きだした。
安心し給え。私もそれに就いて、考えた。そうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だという事がわかった。この兎は男じゃないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。そうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシャ神話には、美しい女神がたくさん出て来るが、その中でも、ヴィナスを除いては、アルテミスという処女神が最も魅力ある女神とせられているようだ。
 太宰は、兎を、十六歳のまだ汚れを知らぬアルテミス型の少女とし、一方、狸の方はというと、
兎が、このアルテミス型の少女だったと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいずれの罪を犯した場合でも、その懲罰が、へんに意地くね悪く、そうして「男らくし」ないのが当然だと、溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であったというに於いては、その悲惨のなり行きは推するに余りがある。』としている。

 こうして太宰は、兎を十六歳の美少女、そして狸を兎に恋する下品で愚鈍な中年男とし、太宰版『カチカチ山』を描きました。

 次回は、『カチカチ山』の舞台となった、河口湖天上山公園『カチカチ山ロープウェイ』に行った際に撮った写真を載せながら、太宰版『カチカチ山』の物語を簡単にですが、展開して記事を書いていこうと思っています。






[PR]
by dazaiosamuh | 2015-02-04 18:51 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)