遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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カテゴリ:太宰治( 330 )

 2、3日前から風邪を引いてしまった。熱は出なかったためよかったが、喉が痛い。風邪薬を飲んだが効果なく、なんだか嫌な予感がして病院で診てもらったら、一応インフルではなかったため安堵した。しかし、喉の具合が悪化している。来週せっかく故郷・岩手に帰省するのに、これでは帰省中、引きこもるはめになりそうだ。それと、まだ銀座のバー・ルパンに新年の挨拶にも行っていなかったため、今日仕事帰りに一杯飲んで帰ることにした。ついでにマスターに、風邪に効果抜群の酒でも作ってもらおうと思ったのである。

 マスターに、風邪を引いてしまったので、風邪に効く酒を作ってくれ!! というと、「おお、いいよ!! ちょうどいいもんあるから作ってやるよ」と言ってくれて、出してきたのが、マスター特製のホット・モスコーミュール!!
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 モスコーミュールをホットで飲むのは実は初めてだ。一口飲んだ瞬間に、喉の痛みが和らいだ気がした。思わずマスターに、「これはいいね。風邪なんかすぐ治るよ」と言うと、笑いながら、「治るわけないだろ。それ飲んで風邪が治ったんじゃ、苦労はないよ」のツッコミ。

 風邪を引いているので、一杯だけで帰ろうかと思っていたが、なんだかんだともう一杯何か飲みたく、マスターに、ホット・ウィスキーをお願いすると、ウィスキーよりもあれがいいかもなと呟きながら何やら作ってくれて、出されたのが、ホット・バタード・ラム。
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 ホット・バタード・ラムを飲むのはまるっきり初めてです。ラムをベースにしたカクテルで、角砂糖、ラム、熱湯、バターの順に入れて作るカクテルで、なかなか美味しい。こちらも体がポカポカと温まる。熱湯の代わりにホットミルクを入れる飲み方もあるみたいで、その場合、ホット・バタード・ラム・カウという名前になるらしい。全く知らなかった。
 ホット・バタード・ラムが美味くてグビグビ飲んでいると、隣席の2人組の年配女性が、自分たちが注文して食べていた、クラッカーのおつまみをくれた。それはクラッカーの上に缶詰のいわしがトッピングされ、さらにマスタードで味付けされていたのだが、これが美味いのである。マスタードが良いアクセントになっている。その2人組の女性は私のことを、「お孫さん」と呼び、「はい、お孫さん、もっとあるから食べなさい」と、もう一枚、さらにもう2枚と寄こしてごちそうしてくれました。

ホット・モスコーミュール、ホット・バタード・ラムにいわしのトッピングされたクラッカー。バーに飲みに来て健康的な気分になったのは、初めてで、しかもかなか病み付きになる組み合わせで、新しい発見でした。

 いわしクラッカーを何枚もごちそうになったので、お礼に女性が持ってきていたデジカメで、女性2人とマスターの3人写った記念写真を撮ってあげて、店を出ました。

 今度行ったら、ホット・バタード・ラム・カウを頼んでみようかな!!


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by dazaiosamuh | 2018-01-12 21:49 | 太宰治 | Comments(0)
甲府市のすぐ近くに、湯村という温泉部落があって、そこのお湯が皮膚病に特効を有する由を聞いたので、家内をして毎日、湯村へ通わせることにした。』(美少女)

 太宰が書いた短編『美少女』の舞台となったとされる旅館明治は、湯村温泉旅館協同組合館から徒歩で僅か1,2分先にある。太宰が甲府の湯村温泉郷を始めて訪れたのは昭和14年6月頃だったとされている。この時、旅館明治も初めて訪れたとされる。更に昭和17年2月、旅館明治に滞在して『正義と微笑』を執筆。翌年昭和18年3月には、再び湯村の旅館明治に滞在し、『右大臣実朝』を執筆している。
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『太宰治の宿 明治』とある。こういうのを見ると、太宰ゆかりの地に来たなあ、という実感が更に湧く。
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 旅館の中へ入ると、協同組合館・ゆかりの人物資料室の等身大の太宰治と同じポーズの太宰治がお出迎えしてくれる。
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 すぐ横には太宰治資料室がある。甲府での太宰治に関する資料が多く展示されている。太宰治次女・故津島佑子が旅館明治を訪れた際の記念の直筆サインが飾られていた。日付は1994年2月。大雪の日に訪れたようだ。
 この資料室で、太宰の甲府市でのゆかりの地について、太宰が訪れた場所の住所などもボードに記載されていたり、ガイドブックやパンフレットなどから、多くの情報を得ることができた。
 受付で貰った旅館明治について記載された3つ折りのパンフレットには、当時太宰が旅館明治で執筆した部屋の写真が載っており、『太宰は向って左主屋の一番二番の両室を占拠(?)して執筆していました。現在の「双葉」の間がその室にあたります。今はまわりに建物が出来たために見通しが悪くなってしまいましたが、当時は三方が開けていて、もっとも眺望の良い室でした。執筆は明るい二番の室で行い、床の間のある一番で寝起きしていました。太宰は朝寝坊だったらしいのですが、朝起きると必ず袴を着けて室に居たといいますから説通りかなりハイカラだったわけです。
 当館の者は最初は小説家とは知らず、係の者に聞くと何か書き物をしているとうのでかなり後になってわかったのです。
 たまには散歩に出ましたが訪問者もなく、殆ど一日中部屋に閉じこもって執筆していました。

 訪問者もなく、とあるが昭和17年2月に『正義と微笑』を執筆していた頃、弟子の堤重久が甲府を訪れ、さらに太宰の借りている旅館明治の部屋にまで訪れている。
甲府に着いた。まだ動いてる車窓から、改札口の向側に突立って、漠然とこちらを眺めている、のっぽの太宰さんが見えた。カーキ色の国民服が、幅を利かせてきた時節であったが、太宰さんはまだ、下駄履きの和服姿であった…(中略)…「『正義と微笑』順調のようですね。」「うん、なんていうのかなあ、すらすら、すらすらかけるんだね。そろそろ、おれも、脂ののる年頃になった感じだね」…(中略)…今度はバスに乗って、湯村の旅館にいった。十二、三日前から、太宰さんが仕事をしている宿屋で、湧湯があるとのことだった。二階の、太宰さんが借りている、正面の座敷に入って坐ると、手摺越しに、甲斐の山波が見えた。遠い山は薄蒼く、近い山は濃淡の緑を見せて、三方を取囲んでいた。』(堤重久著 『太宰治との七年間』)

 太宰が旅館明治に宿泊していたことを知る、貴重な証言です。太宰は二部屋を借りていたとのことですが、旅館のパンフレットには『当時の宿泊料金は一泊二円、昼食席料は一円でしたが、太宰は二円五十銭で泊り、帰りには現金で払ったのですから、生活が苦しかったとはいえ、一般の人よりは贅沢ではなかったかと思われます。』とある。二部屋を2円50銭で借りたのか、それとも一部屋につき2円50銭で借りたのか、どちらだったのでしょう。どちらにしても、普通の人よりはやはり贅沢だったようです。

 太宰がこの旅館で執筆した作品は『正義と微笑』『右大臣実朝』の2作品になります。

 次回も旅館明治について書きます。




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by dazaiosamuh | 2018-01-11 17:07 | 太宰治 | Comments(0)
『Easy割烹 峠の茶屋』は現在は無く、残念であった。移転するとのことなので、新しくできたらまた訪ねてみようと思います。
 次に私は、ちょっと距離があるが湯村温泉郷へ向かいました。湯村温泉郷は、地図でみると近そうにみえるが、実際レンタサイクルでもなかなかの距離でした。太宰治の聖地巡りを始めてから、かれこれ5年目となるが、未だに地図上と実際の距離間がよく分からず、苦手です。昔から方向音痴なのです。

 湯村温泉郷には太宰治が実際に逗留し、執筆活動をした『旅館明治』があります。そして付近には湯村温泉旅館協同組合があるため、何か情報や甲府の太宰ゆかりの地図などが手に入るのではと思い、最初に来てみたのでした。
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 湯村温泉旅館協同組合がありましたが、横に太宰治の人物画が…。なんて分かりやすいんだ。
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 ゆかりの人物資料室と書いてあり、さっそく中を拝見させてもらう。
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 資料室は、協同組合の受付の方へも繋がっており、6畳ほどのスペースで、壁に太宰に関する資料が掲載されている。写真には写っていないが、棚があり、太宰だけでなく山梨に関する情報が掲載されたガイドブックなどが陳列されていた。
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 等身大と思われる太宰治がいた。パンフレットには、『湯村温泉郷の、ゆかりの人物資料室で、新婚時代の若き太宰治と、記念撮影をしてみませんか?』と記載されているが、この等身大(実際より少し低いような気が…)の太宰は、1947年(昭和22年)に三鷹で撮影されたもので、心中して果てる僅か1年前の写真で、年齢的にはたしかにこの時は38歳頃で若いが、『新婚時代の若き太宰治』ではない。パンフレットの裏面には太宰の甲府でのゆかりの地が載っているので参考になる。資料室内では、太宰のゆかりの地などが書かれたガイドブック(35p~40p程の冊子 200円)も購入できる。一応全部買っておこうと思ってスタッフに頼んだら、1種類だけ売り切れていて手に入らなかった。もしかしたら観光案内所で手に入るかもしれないというので、仕方がないので、後で観光案内所で手に入れるか、図書館でコピーを取ることにし、資料室を出て、先に『旅館明治』へと向かいました。



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by dazaiosamuh | 2018-01-07 13:02 | 太宰治 | Comments(0)
 新年あけましておめでとうございます。
 久しぶりの聖地めぐりの記事になります。今回は昨年訪れた甲府です。昨年といっても、8月の終り頃なのでかなり間がありますが…。
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 訪れたときは、当然ですが非常に暑く、暑さに弱い私にはなかなか酷な聖地めぐりでした。いつものことですが、レンタサイクルを活用(貸し出しを行っているのは駅ではなく周辺のホテルや旅館でした)

 まず最初に太宰が文学仲間と飲み交わした『峠の茶屋』をオマージュしたお店周辺へ向かいました(本当は最初に山梨県立文学館へ行きましたが割愛します)

 太宰が仲間と飲み交わしたと言われる峠の茶屋は東京ガスの東側にあったとされており、そのお店をオマージュした『Easy割烹 峠の茶屋』があります。
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 東京ガスのすぐ横には道路沿いに『太宰治の散歩道』と親切に説明の看板がありました。『太宰治は太平洋戦争中、水門町29番地(現 朝日一丁目)の美知子夫人実家から甲府駅北口を通り、東京ガス東側にあった『峠の茶屋』に通い、井伏鱒二、田中英光、一瀬稔らと酒を酌み交わし、文学や時勢を語り合った。更に。ここから桜町道踏切を渡り、舞鶴城脇を通って桜町、柳町などの中心街へと繰り出した。
 甲府は、太宰が、活き活きと暮らしたまちである。
 師である井伏を頼って山梨へ来て、そして石原美知子と無事結婚。心機一転、文学に力を注いでいく時期であるため、たしかに甲府は太宰が活き活きと暮らしたまちだ。
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 すぐ横は太宰が通った桜町道踏切だ。この周辺にあった峠の茶屋で文学などを語り合い、この踏切を渡って柳町方面へと繰り出したのだ。踏切の前で、渡るわけでもなく、うろうろきょろきょろしていると、行き交う人たちからじろじろと見られた。たぶん私が線路に飛び込もうとしていると思っているのだろう、しかし、心配は入らない。太宰に想いを馳せているだけなのだ。
 ところで、その肝心の『Easy割烹 峠の茶屋』が見当たらない。HPだとたしかにこの付近にあるはずだ。仕方なくすぐ近くにあるインドカレー屋さんで尋ねてみると、インド人のスタッフが「横にありました。」と片言の日本語で答えました。
 ありました? 過去形だった。嫌な予感がしたが、まだ日本語に不慣れなため、てっきり日本語を間違えたのかと思い、聞き直すと、「いまはありません」とはっきり片言で言い放った。
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 どうやらこの空地に『Easy割烹 峠の茶屋』はあったようです。HPにたしかに載っているが、閉店してしまったようです。あとで再びHPを見ると、小さく赤文字で、移転する旨の内容が記載されていました。その移転もいつになるのか未定のままです。

 ここで何か太宰に関する話が聞けるかと思っていましたが、残念です。


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by dazaiosamuh | 2018-01-02 13:06 | 太宰治 | Comments(0)
 今月、『なぞり書きで楽しむ太宰治』というムック本が発売された。これはタイトルにある通り、太宰の小説をなぞり書きする書き込み式の本で、よくあるボールペン字練習帳や筆ペン字練習帳のようなものだ。普段は太宰の小説を読むだけで、書きながら太宰文学の世界を楽しむとは、思いつかなかった。
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 収録されている作品は、『走れメロス』『富嶽百景』『人間失格』『女生徒』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『満願』『お伽草子』『グッド・バイ』の9作品。しかし、それぞれ部分的に抜粋されており、この本だけでは太宰治の作品を読んだことがない人には理解できない。
 私のような太宰好きで、字の下手な人間には、太宰文学を味わいながらしかも自然に字が上手くなり、一石二鳥だ。
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 さらに、万年筆を持つと、気分はすっかり太宰治だ。なんだか本当に太宰治になった気になる。(万年筆はインクが出なかったため、この後、ボールペンでなぞり書きしました。)
 せっかく着物もあるので、真似て書いてみようかな。
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 それにしても、なぜ私は2冊も買ってしまったのだろう。つい勢いで買ってしまった。1冊1100円(税抜)、2冊で…。結構高い…。まあ太宰の世界に浸れて、しかも字が上手くなるなら安いか。


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by dazaiosamuh | 2017-12-27 10:14 | 太宰治 | Comments(0)
 久しぶりの記事になります。つい最近、書店で何か面白い本がないかと探していると、『有名すぎる文学作品をだいたい10ページぐらいの漫画で読む』という漫画を発見した。
 手に取って見てみると、すでに亡くなられた水木しげるのタッチに似ている。一瞬私は、生前にこんな作品を残していたのかと思い、太宰治の作品も載っていたことから、他のシリーズと一緒に迷わず購入した。
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 しかし、家に帰ってからよく見ると、作者は水木しげるではない。ドリヤス工場著とある。誰だ?誰なんだ! 素人の私にはどうみても水木しげるのタッチとしか思えない。しかもわけの分からないペンネームだ。この作者を少し調べたら、どうやら水木しげるが大好きで、主にパロディ作品を多く描く作家のようだ。
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 そして肝心の内容だが、本のタイトルを読めばだいたい予想できることだとは思うが、やはり、10ページ程度だと内容がよくわからない。分かる作品もあるが、まるで何も伝わってこない作品もある。『人間失格』は、すでに何度も原作を読んでいるから理解できるが、読んだことのない人が読むと、話が唐突過ぎて分からない。
 といっても、本のあとがきに、『中には大幅な省略によりやや強引な筋になっているものもあり、思い入れのある人にとっては不満の残る点もあるかもしれませんが、あくまで未読の方が「読んだ気になれる」という趣旨の企画ですので…』とあるので、あくまで、原作を知らない人が「読んだ気になれる」本なのだ。
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 1作目が『有名すぎる…』で、太宰の外に、中島敦『三月記』、フランツ・カフカ『変身』、宮沢賢治『注文の多い料理店』、魯迅『阿Q正伝』、夏目漱石『三四郎』、芥川龍之介『羅生門』など他にも多数あります。
 2作目が『定番すぎる文学作品をだいたい10ページぐらいの漫画で読む』です。こちらにも太宰治の作品があり『斜陽』が載っていました。
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 3作目が『必修すぎる文学作品を…』で、太宰治『富嶽百景』が載っています。
 とりあえずこのシリーズは、3巻で終了のようです。最初に書いた通り、この本は各作品を10ページ程度でざっと読んだ気になる本なので、この漫画を読んで作品を理解するのではなく、読んで興味が湧いたら、あとでその原作を買って読めばいいかと思います。
 せっかくなら、太宰治の作品を10ページ程度ではなく、水木しげる風のタッチで忠実に作品化してほしいです。
 それにしても、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』はもともと原作が非常に短い作品だが、このシリーズの漫画で読むと、わずか20秒で読み終わる…


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by dazaiosamuh | 2017-12-22 12:26 | 太宰治 | Comments(0)
 2019年に太宰治生誕110年を迎えるが、それに伴い、太宰治名作『斜陽』が映画化するとのこと。2019年秋に公開予定。
『斜陽』の映画といえば、2010年にすでに映画化されているが…、あれは非常に残念な映画となっていた。携帯電話が登場したシーンでは、観るのも嫌になった記憶があります。
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 果たして、2019年に公開される『斜陽』は、太宰治生誕110年にふさわしい作品に出来上がるのか、非常に楽しみだ。すでに失敗例があるわけだから、同じ過ちは、まずないはず。

『人間失格』はすでに映画化されているので、ほかには、太宰の作品の中でも人気の『津軽』も個人的に映画化してもらいたい。まずは2019年の『斜陽』を楽しみに過ごそうと思う。

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by dazaiosamuh | 2017-12-04 20:31 | 太宰治 | Comments(0)
 太宰が鰺ヶ沢のことを『山を背負い、片方はすぐ海の、おそろしくひょろ長い町である。』と書いているが、訪れてみると全くその通りで、町の中心がどこなのかもよくわからない。太宰も『それにしても、この町は長い。海岸に沿うた一本街で、どこ迄行っても、同じような家並みが何の変化もなく、だらだらと続いているのである。私は、一里歩いたような気がした。やっと町のはずれに出て、また引返した。町の中心とうものが無いのである。たいていの町には、その町の中心勢力が、ある箇所にかたまり、町の重しになっていて、その町を素通りする旅人にも、ああ、この辺がクライマックスだな、と感じさせるように出来ているものだが、鯵ヶ沢にはそれが無い。扇のかなめがこわれて、ばらばらに、ほどけている感じだ。
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 私も海岸に沿ってはじまで歩いてみたが、とくに何かあるわけでも無く、ぼーっと海を眺めてすぐに引き返しました。たしか太宰がここにもコモヒがあると書いていたことを思い出し、町中を歩いてみましたが、どこにも見当たりません。
木造町のように、ここにも長い「コモヒ」があるけれども、少し崩れかかっている。木造町のコモヒのような涼しさが無い。その日も、ひどくいい天気だったが、日ざしを避けて、コモヒを歩いていても、へんに息づまるような気持がする。』とたしかに書いています。
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 町中をなんどもうろうろしていると、神社のよこにあるお店の年配のご主人が気さくに話しかけてきてくれたので、この町に昔コモヒがあったはずですがと尋ねると、「そうだったかな、いや、俺は一度もコモヒを見た事もないし、コモヒがあった話も聞いた事がない」とのことであった。太宰が訪れた時にはすでに『少し崩れかかっている』ような状態であったから、もしかしたら太宰が訪れた後に、数年のうちに取り壊されてしまったのかもしれない。また、『木造町のコモヒのような涼しさが無い…(略)…へんに息づまるような気がする。』とあり、コモヒがあってもあまり利用価値がなかったのかもしれない。だから、人々にあまり印象に残らず、記憶からも薄れて、世代にもコモヒがあった話が伝わっていかなかったのかもしれない。

 太宰は鰺ヶ沢でお蕎麦を食べていく。
飲食店が多いようである。昔は、ここは所謂銘酒屋のようなものが、すいぶん発達したところではあるまいかと思われる。今でも、そのなごりか、おそばやが四、五軒、軒をつらねて、今の時代には珍しく「やすんで行きせえ」などと言って道を通る人に呼びかけている。ちょうどお昼だったので、私は、そのおそばやの一軒にはいって、休ませてもらった。おそばに、焼ざかなが二皿ついて、四十銭であった。おそばのおつゆも、まずくなかった。
 私は、その気さくなご主人に、そういえば蕎麦屋を見かけないがどこにありますかと聞くと、なんと、もう一軒も無いという。
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 かろうじて看板のあるお蕎麦屋があるが、すでに廃業している。店もなんだか崩れかかっている。
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 この通りに昔、蕎麦屋がたくさんあったそうだが、今は一軒もない。
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 真ん中の茶色い建物も蕎麦屋だったそうだが、蕎麦屋だけでなく両隣の店も閉店している。町中も人通りがなく、廃れてしまっている。「やすんで行きせえ」などと道行く人々に声をかけて賑わっていたころなど想像できない。蕎麦屋の一軒くらいあるだろうと安易に考えていた私が愚かであった。蕎麦は私の大好物なのだが、仕方がない。

 太宰は『深浦といい鰺ヶ沢といい、これでも私の好きな友人なんかがいて、ああよく来てくれた、と言ってよろこんで迎えてくれて、あちこち案内し説明などしてくれたならば、私はまた、たわいなく、自分の直感を捨て、深浦、鯵ヶ沢こと、津軽の粋である、と感激の筆致でもって書きかねまいものでもないのだから、実際、旅の印象記などあてにならないものである。深浦、鯵ヶ沢の人は、もしこの私の本を読んでも、だから軽く笑って見のがしてほしい。私の印象記は、決して本質的に、君たちの故土を汚すほどの権威も何も持っていないのだから。』と鰺ヶ沢での話を締めくくって町を引きあげ、五所川原へと向かう。

 鰺ヶ沢をみた私の印象は、正直あまりよくない。よくないというより、印象に残らない町であった。太宰の見たもの、食べたものをなるべく共感したいと思って歩いているが、コモヒの跡すらなく、蕎麦屋にいたっては現在一軒も残っていない。ハタハタを食べれる時期に訪れていればまた違った感想を持てたのだろうが、なんだかあまり印象に残らなかった。廃れてしまって寂しい限りであった。

 これで、『津軽』の『五 西海岸』編は終了になります。


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by dazaiosamuh | 2017-11-30 12:07 | 太宰治 | Comments(0)
 だいぶ深浦の記事から間があいてしまいましたが、気を取り直して書いていきます。
 太宰は深浦で兄たちの勢力を思い知った後、ぼんやりと汽車に乗り、鰺ヶ沢へとやってきました。

鰺ヶ沢。私は、深浦からの帰りに、この古い港町に立寄った。この町あたりが、津軽の西海岸の中心で、江戸時代には、ずいぶん栄えた港らしく、津軽の米の大部分はここから積出され、また大阪廻りの和船の発着所でもあったようだし、水産物も豊富で…(中略)…けれども、いまは、人口も四千五百くらい、木造、深浦よりも少ないような具合で、往年の隆々たる勢力を失いかけているようだ。
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 現在の鰺ヶ沢駅。太宰の『津軽』を読むと、あまり派手な町ではないような印象を受ける。駅周辺も殺風景というのか、さっぱりとしている。ただ、私が訪れた時はアジアからの外国人旅行者が大勢いた。観光地として賑わうのは大いに嬉しいことだが、できれば国内の人たちで賑わってほしいものだ。

 ところで、誰でも駅名である鰺ヶ沢と聞くと、鰺が有名なのかなと思うが、太宰もこれに触れている。
鰺ヶ沢というからには、きっと昔の或る時期には、見事な鰺がたくさんとれたところかとも思われるが、私たちの幼年時代には、ここの鰺の話はちっとも聞かず、ただ、ハタハタだけが有名であった。ハタハタは、このごろ東京にも時たま配給されるようであるから、読者もご存じの事と思うが、鰰、または鱩などという字を書いて、鱗の無い五、六寸くらいのさかなで、まあ、海の鮎とでも思っていただいたら大過ないのではあるまいか。

 なるほど、海の鮎だと思えばたしかに分かりやすく想像しやすい。妻・津島美知子が『太宰は箸の使い方が大変上手な人だった。長い指で長い箸のさきだけ使って、ことに魚の食べ方がきれいだった。』と述べていることから、小さい頃から魚に親しみ、また魚を大事に食べる人だったことが分かる。
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西海岸の特産で、秋田地方がむしろ本場のようである。』と書いている通り、秋田でよく獲れる魚で、時期は11月から12月にかけてである。私がここを訪れたのは6月であったから、ハタハタは食べることができなかった。
東京の人たちは、あれを油っこくていやだと言っているようだけれど、私たちには非常に淡泊な味のものに感ぜられる。津軽では、あたらしいハタハタを、そのまま薄醤油で煮て片端から食べて、二十匹、三十匹を平気でたいらげる人は決して珍しくない。ハタハタの会などがあって、一ばん多く食べた人には賞品、などという話もしばしば聞いた。東京へ来るハタハタは古くなっているし、それに料理法も知らないだろうから、ことさらまずいものに感ぜられるのであろう…(中略)…いずれにもせよ、このハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つであるという事には間違いない。私は、そのハタハタに依って、幼年時代から鰺ヶ沢の名を知ってはいたのだが、その町を見るのは、いまがはじめてであった。

 鰺ヶ沢の話の半分がハタハタである。なぜここまでハタハタにこだわるのかと思ったが、『ハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つである』とあるから、津軽の暮し、津軽の風土を理解するうえで、ハタハタはなくてはならないもののようだ。二十匹、三十匹を平気でたいらげる人も珍しくないというが、太宰も魚にうるさく、魚が好きな人であったから、大いにたくさん食べて親しんだことだろう。
 ハタハタは、ちょうど今が時期のようだから、売っているのをみかけたら食べてみようと思います。



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by dazaiosamuh | 2017-11-20 16:15 | 太宰治 | Comments(0)
 知っている人は知っていると思うが、先月、新潮社の関係者宅から太宰治『斜陽』や島崎藤村の小説原稿、石川啄木や菊池寛の手紙など約30点が見つかった。
 太宰治の有名作品『斜陽』は、それまで6枚の所在が不明であったが、そのうちの4枚が今回発見された。『斜陽』は『新潮』で1947年7月号から10月号まで掲載され、今回発見された直筆原稿は、9月号と10月号の冒頭の2枚ずつであった。発見された冒頭原稿は、乱れのない几帳面な字で書かれていたと新聞記事に書かれていた。太田静子から借りた日記をもとに太宰独自の脚色を加え、大事に作品を造り上げたことがうかがえる。残る原稿は2枚。貴重な冒頭の原稿が発見されて何よりだが、残り2枚はたしてどこにあるのだろうか。無事にすべて揃えばいいのだが。
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 資料の一部は、先月新潮社から発売された「『文豪とアルケミスト』文学全集」に掲載されているとのことだ。

 この『斜陽』の直筆原稿が発見されたことは先月のうちに知っていたのだが、この新聞の切り抜きを私の両親がわざわざ実家から送ってきてくれたので、せっかくなので記事に載せることにしました。

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by dazaiosamuh | 2017-11-15 20:36 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)