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太宰治と甲府 №18 塩澤寺・厄除地蔵と黄村先生の山椒魚事件

 甲府の湯村温泉郷にある太宰治が宿泊した旅館明治のさらに少し奥の方へ行くと、塩澤寺(えんたくじ)というお寺がある。厄除地蔵で有名なお寺で、太宰治の短編作品『黄村先生言行録』にも登場する。
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 黄村先生は山椒魚が大好きで、主人公に山椒魚について熱く語り、あげくに一丈でなくても六尺でもいいから見てみたい、などと滅茶苦茶な事を言い出す。
 それから数日後、主人公は甲府の湯村温泉へ、東京に近いわりに安くて静か、という理由からよく訪れる温泉旅館へ旅行に行くのだが、行った時期がちょうど2月のお祭りの日で…。
それは二月の末の事で、毎日大風が吹きすさび、雨戸が振動し障子の破れがハタハタ囁き、夜もよく眠れず、私は落ちつかぬ気持で一日一ぱい炬燵にしがみついて、仕事はなんにも出来ず、腐りきっていたら、こんどは宿のすぐ前の空地に見世物小屋がかかってドンジャンドンジャンの大騒ぎをはじめた。悪い時に私はやって来たのだ。毎年、ちょうどその頃、湯村には、厄除地蔵のお祭りがあるのだ。たいへん御利益のある地蔵様だそうで、信濃、美延のほうからも参詣人が昼も夜もひっきりなしにぞろぞろやって来るのだ。私は地団駄踏んだ。厄除地蔵の祭りが二月の末に湯村にあるという事は聞いて知っていたのに、うっかりしていた。

 主人公はあきらめて、自分もお地蔵様をおまいりすることにし外へ出ると、山椒魚の見世物小屋を発見する。それを見て黄村先生を思い出し、すぐに電文をしたため黄村先生を呼ぶ。先生は主人公の泊まる旅館の部屋に山椒魚の見世物小屋の主人を呼んでもらい、『私は山椒魚を尊敬している。出来る事なら、わが庭の池に迎え入れてそうして朝夕これと相親しみたいと思っている』などと言うが、まるで取り合ってもらえない。そして、『一尺二十円、どうです』と値段交渉に出る。
「まことに伯耆国淀江村の百姓の池から出た山椒魚ならば、身のたけ一丈ある筈だ。それは書物にも出ている事です。一尺二十円、一丈ならば二百円。』
「はばかりながら三尺五寸だ。一丈の山椒魚がこの世に在ると思い込んでいるところが、いじらしいじゃないか。」
「三尺五寸! 小さい。小さすぎる。伯耆国淀江村の…』
「およしなさい。見世物の山椒魚は、どれでもこれでもみんな伯耆国は淀江村から出たという事になっているんだ。昔から、そういう事になっているんだ。小さすぎる? 悪かったね。あれでも、私ら親子三人を感心に養ってくれているんだ。一万円でも手放しゃしない。一尺二十円とは、笑わせやがる。旦那、間が抜けて見えますぜ。」

 見世物小屋の主人は鼻で笑って去っていき、黄村先生はただ馬鹿々々しい失敗をして終わる。

『黄村先生言行録』は、昭和17年11月20日~30日の間に執筆・脱稿し、昭和18年1月1日付発行の『文学界』新年号に発表された。
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 急な石段を上りきると、国宝の本殿がある。当時、塩澤寺までの道は畑が広がっていたという。

『黄村先生言行録』にあるとおり、毎年2月13日から14日にかけて、厄除地蔵尊大祭が行われ、昼12時まで大護摩供を行い、訪れる人々の開運厄除・家内安全をお祈りしている。さらに百余の軒を連ねる露店が、湯村温泉街から石段まで並び、しかも十万人近くの人波に埋め尽くされるため、他に例のない殷賑を極めたお祭りとなるらしい。

 太宰が実際にお祭りに行ったのかは不明。太宰が甲府で生活したのは、寿館が昭和13年11月中旬~昭和14年1月まで。御崎町の新居には昭和14年1月~8月までいた。昭和17年2月9日頃に、湯村温泉の旅館明治に滞在し『正義と微笑』の続きを執筆。翌年の昭和18年3月中旬頃にはまた湯村温泉の旅館明治にて滞在し、途中であった『右大臣実朝』の稿を継いだ。
『黄村先生言行録』の描写などを読むと、祭りに行ったことがあるような印象を私は受けたがどうなのだろうか。
 ちなみにこの黄村先生はシリーズ化しており、他に『花吹雪』『不審庵』がある。
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 塩澤寺には『舞鶴のマツ』があり、山梨県の指定天然記念物になっている。このマツを撮ろうと思いカメラを構えたところ、妙な緊張を強いるような羽音が聞えて来た。嫌な予感がして音のする方へ顔を向けると、スズメバチだった。彼を刺激しないようにまるで自分がお地蔵様になったかのようにじっとその場で身動きせずに固まり、どうにかやり過ごしてからマツの写真を撮り、一目散に階段を駆け下りて、近くに置いていたレンタサイクルにまたがり、その場を急いで去りました。この時は、本当に危なかった。特大サイズのスズメバチが『舞鶴のマツ』のまわりを世話しなく飛んでいた。これでは『雀蜂のマツ』ではないか。危うく刺されるところだった。
 ちなみに『舞鶴のマツ』の由来は、鶴がまるで両翼を広げて舞い上がろうとしている姿に似ていることからその名が付けられた。もしかしたらスズメバチは鶴と一緒に飛んで遊んでいたのかもしれない。




by dazaiosamuh | 2018-05-27 17:09 | 太宰治 | Comments(0)