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太宰治と甲府 №8 製糸工場跡 『I can speak』

甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。また、少しずつ仕事をすすめた。
 おひるごろから、ひとりでぼそぼそ仕事をしていると、わかい女の合唱が聞えて来る。私はペンを休めて、耳傾ける。下宿に小路ひとつ距て製糸工場が在るのだ。そこの女工さんたちが、作業しながら、唄うのだ。なかにひとつ、際立っていい声が在って、そいつがリイドして唄うのだ。鶏群の一鶴、そんな感じだ。いい声だな、と思う。お礼を言いたいとさえ思った。工場の塀をよじのぼって、その声の主をひとめ見たいとさえ思った。

 これは『I can speak』という作品で寿館で書かれたものだ。当時甲府には、『市内には大小の製糸工場が点在していて寿館の近くにも、「小路一つ隔てて」かどうかは確かめていないが、製糸工場があって、サナギを煮る匂いを漂わせていた。』(津島美知子(回想の太宰治)』という。

 実際に寿館付近にはどこに製糸工場があったのかというと、山梨県立図書館でコピーしたランデブーという情報誌によると、『寿館の前にあるこの参道の反対側に、製糸工場があった』らしく、さらに、『ここの土地所有者は近藤電気さんで、現在は美咲町に移っています。多分その製糸工場がモデルになっているのではないかと…』と詳細に記載されています。
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 写真は清運寺の参道で、手前方向に清運寺があり、写っていませんが左側手前が寿館があった場所です。そして写真右側の奥の突き当りの角付近に、製糸工場があったとされています。
『I can speak』では、ある夜に主人公が、外から酔漢の男の声を聞く。主人公がその様子をそっと見てみると、どうやら工場の塀越に、2階の窓から顔を出している女工に向かって男が、『ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知っているかい? おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。姉さん。何がおかしいんだ……』などと叫んでいる。
姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。

 妻・美知子は、著書『回想の太宰治』で『製糸工場はみな木造二階建てで通行人にいくつも並んだ窓を見せていた。ここで働く女性たちは通勤で、宿舎の設備のある大規模の工場はなかった。太宰が寿館で書いた”I can speak„の女工さん姉弟の姿と声とは、幻で見、幻で聞いたのであろう。』と、この作品を太宰のフィクションとして認識して書いている。
 しかし、情報誌ランデブーによると、『当時、製糸工場を経営していた近藤電気のおばあちゃんに取材したところ、確かに清運寺の参道を南に下って東西の小道に突き当たる、その右側の角地に、約三百坪の製糸工場と母屋があったという。つまり、寿館の少し斜め南側に確かに製糸工場はあったのである。工場では百人ほどの女工さんが働いており、そのうち三十人ほどが工場の二階にあった宿舎に泊っていた。』とあり、妻・美知子の記憶違いであると思われる。また、『太宰の小説の中に、女工さんたちが歌を歌っていたと書かれているんですが、何か覚えておられますかと質問すると、そうねえ、あの頃、応接間でよくレコードをかけていて、その曲を聴きながら女工さんたちは糸を紡いでいたような思いでがあります、そのことなのでしょうかねえ』と答えられたそうだ。
 このことから、太宰は、『製糸工場で寝泊りして働く女工』、『レコード』などをヒントに、作品『I can speak』を書いたのかもしれない。いや、もしくは本当に塀越しに話す姉弟のその姿を見ていたのかもしれない。
 それにしても、『I can speak』で弟が『偉くならなければ、いけないからな。』と言った台詞は、この甲府で結婚し、強い決意を持った太宰の思いが感じられる。太宰本人の投影に聞えるのは私だけでしょうか。


by dazaiosamuh | 2018-02-26 14:04 | 太宰治 | Comments(0)