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檀一雄、太宰との友情と決別

 先週、実家に帰省した際、父が太宰のことが載っている新聞を取っておいてくれていた。それは、1月14日の読売新聞の記事で、『太宰との友情と決別』という見出しで、『火宅の人』などで知られる作家・檀一雄について記載された記事であった。
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 檀一雄といえば、太宰と作家仲間で、太宰の処女作品集『晩年』の出版にあたって懸命に尽瘁した人でもある。
 記事は壇の作品に触れながら、太宰との作品の資質の違いを問い、二人が全く違う道を進んで行く様子を簡明に書いている。

同じ無頼派文士でも、「火宅の人」の檀は、天然の旅情の赴くまま人を愛し、世界を歩き、”檀流クッキング„で客をもてなし、63歳の生涯を全うしたのに対して、太宰は、震える自意識と向き合い、国内を出ず、旅では酒ばかり、何度も自殺を図り、38歳で心中死した。資質は違う。
 事実、第1作品集「花筐」の出版直後の37年、檀は日中戦争で召集されてから太宰との分岐路を自覚、「私は生者の側に立つ。生命の建立の様相を自分流に見守り、育んでゆくばかりだ」と宣言、「人間失格」に至る太宰治とは異なる道を歩んだ。

 小説は作者自身の生き方や、人生や人間、愛や憎しみなどの感情に対してどう考えているかが自然、作品に表われてくる。太宰は身体の具合から、召集は免れているが、もし経験していれば、その作風も少なからず変わっていたかもしれない。



Commented by tarukosatoko at 2018-01-22 17:07
二人の対比が鮮やかですね。
「震える自意識と向き合い、国内を出ず、旅では酒ばかり、何度も自殺を図り、38歳で心中死した」と2行でまとめられた太宰の人生が、なんとも。戦争に行くという体験をして、作風が変わっていたら、それはそれで、たいへんないいものが出来上がったのではと推測します。
Commented by dazaiosamuh at 2018-01-22 18:18
> tarukosatokoさん、太宰が戦争を経験していたら、その後どんな作品を書いたのでしょうね。ちょっと、想像がつかないです。
by dazaiosamuh | 2018-01-21 11:59 | 太宰治 | Comments(2)