遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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太宰治と木造 №1 土偶の木造駅

 先月の太宰治生誕祭で青森へ行った際、ついでに太宰が訪れた西海岸を歩いたので、今回から太宰治名作『津軽』の中にある『五 西海岸』を、のんびり書いていこうと思います。

前にも幾度となく述べて来たが、私は津軽に生れ、津軽に育ちながら、今日まで、ほとんど津軽の土地を知っていなかった。津軽の日本海方面の西海岸には、それこそ小学校二、三年の頃の「高山行き」以外、いちども行った事がない。…(中略)…この機会に、津軽の西海岸を廻ってみようという計画も前から私にあったのである。鹿の子川溜池へ遊びに行ったその翌日、私は金木を出発して五所川原に着いたのは、午前十一時頃、五所川原駅で五能線に乗りかえ、十分経つか経たぬかのうちに、木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちょっと見て置きたいと思っていたのだ。降りて見ると、古びた閑散な町である。人口四千余りで、金木町より少ないようだが、町の歴史は古いらしい。精米所の機会の音が、どっどっと、だるげに聞えて来る。どこかの軒下で、鳩が鳴いている。
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 木造駅に到着すると、まず初めてこの土地を訪れた者を驚かせるのは、この巨大な土偶の駅舎である。当然太宰がいた頃にはない。太宰がこれを見たらどのような反応をするのだろうか。一瞬そのユーモアさに驚きつつも、何と反応したらいいのか閉口するかもしれない。とういのも、私がこの反応だったのである。何と感想を述べたらいいのか分からなかった。
 木造駅は1924年(大正13年)10月21日に開業し、1992年(平成4年)8月3日に現在の駅へと建て直された。この土偶は亀ヶ岡遺跡から発掘された遮光器土偶がモチーフで、地元では「シャコちゃん」と呼ばれ親しまれているらしい。以前は列車の発着に合わせて土偶の目を点滅させる『いらっしゃいビーム』をやっていたらしいが、子供が怖がるなどの理由から点滅『いらっしゃいビーム』は行っていないとのことだ。『いらっしゃいビーム』とか……。センスがあるんだかないんだか。しかし、どんな感じで点滅(ビーム)をするのか、一度見てみたかったです。

ここは、私の父が生れた土地なのである。金木の私の家では代々、女ばかりで、たいてい婿養子を迎えている。父はこの町のMという旧家の三男かであったのを、私の家から迎えられて何代目かの当主になったのである。この父は、私の十四の時に死んだのであるから、私はこの父の「人間」に就いては、ほとんど知らないと言わざるを得ない。…(中略)…父が死んでからは、私は現在の長兄に対して父と同様のおっかなさを感じ、またそれゆえ安心して寄りかかってもいたし、父がいないから淋しいなどと思った事はいちども無かったのである。しかし、だんだんとしを取るにつれて、いったい父は、どんな性格の男だったのだろう、などと無礼な忖度をしてみるようになって、東京の草屋に於ける私の仮寝の夢にも、父があらわれ、実は死んだのでなくて或る政治上の意味で姿をかくしていたのだという事がわかり、思い出の父の面影よりは少し老い疲れていて、私はその姿をひどくなつかしく思ったり、夢の話はつまらないが、とにかく、父に対する関心は最近非常に強くなって来たのは事実である。
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 太宰は『津軽』を書くために自分の故郷である津軽を歩くことにしたのだが、木造においては、父・源右衛門の生まれた土地であるため、西海岸の中でも一番見て置きたい場所であった。太宰が木造町を訪れたのは、昭和19年5月25日頃であった。滞在時間は2時間ほどであった。太宰は父のことを『父はこの町のMという旧家の三男かであった』と書いているが、三男ではなく四男である。太宰治の父・津島源右衛門は、太宰が書いているように婿養子として津島家に迎えられた。本名は、松木栄三郎で、西津軽郡木造村の薬種商松木家八代目七右衛門の四男として、明治4年6月17日に生れた。木造新田の開拓に於いて、従事した家柄には木造の松木家の名も含まれていた。父・源右衛門が死没したのは大正12年3月4日、53歳であった。木造を訪れた時、太宰は数え年36歳で、徐々に父・源右衛門が亡くなった年に近づいてきた年齢であった。太宰は年を重ねるに連れて、今の自分と、父の20代、30代、40代の父を比較してみたかったのかもしれない。30代の頃の父はどうだったのか、はたまた小さい頃の父はどんな子供だったのか。小さい頃、父に対して恐怖心ばかりであったが、大人になり冷静に父に対して考えるようになったとき、次第に父がどんな人間であったのか、興味が湧くようになっていた。

 太宰はこの後、父の生まれ育ったM家を訪ね、父の『人間』に触れる。地味で微笑ましい場面で、私は個人的に『津軽』の中でもなかなか好きな場面である。

 それではのんびり書いていこうと思います。


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Commented by tarukosatoko at 2017-07-28 10:45
「いらっしゃいビーム」を思いついて、実際に作った人たちはどういう人たちなのか…会いたいものです。
津軽のおみやげはよくもらいましたが、いまだに津軽に行ったたことがありません。続きを楽しみにしています。
Commented by dazaiosamuh at 2017-07-28 19:53
> tarukosatokoさん、「いらっしゃいビーム」は、一体何がしたくて、何が目的で作ったのかよく分かりません。ただのウケ狙いなのか…、観光客を呼ぶための苦肉の策だったのか…。
興味をひいてもらえるように書こうとは思いますが、いつも通りのただ淡々とした聖地巡りになってしまったので、何とも…。
by dazaiosamuh | 2017-07-24 14:14 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)