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津島佑子 土地の記憶、いのちの海

 2016年2月18日、作家・津島佑子が亡くなった。肺癌であった。
 父は、太宰治。1947年に津島修治と津島美知子(旧姓・石原美知子)の間に生れた。彼女が1歳の時に、父・太宰治は、三鷹・玉川上水で山崎富栄と心中した。そのため母子家庭で育った。家族は、母・美知子、6歳上の姉・園子、3歳上の兄・正樹、そして佑子(本名・里子)の4人。兄・正樹はダウン症で、佑子が12歳の時に、正樹は肺炎で亡くなっている。
 去年、訃報を知ったときはショックを受けた。いつかお会いしたいと思っていた矢先に、68歳の若さで亡くなってしまった。
 それから約1年、つい最近、書店で『津島佑子 土地の記憶、いのちの海』という本を発見した。
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 作家・津島佑子の魅力、津島文学の魅力が詰まっており、津島佑子と関わった方々が、思い出や印象に残ったエピソードを載せている。また、津島佑子の長女も母への想いや思い出を載せている。
 そして、津島佑子が6年前の東日本大震災により、津波と原発事故で多くの人の命を失い、また自然に多大な被害をもたらしたことに対して、国にすぐさま声をあげたていたことを知り、非常に感銘を受けた。

五年前、東日本大震災が起きた。津波と原発事故で、多くのものが失われた。人の命だけではない。広大な土地と海が汚染され、失われた。母はすぐに声をあげた。友人たちにメールを送って一緒に声を上げようと呼びかけ、集会やデモに参加した。国が間違った方向に進んでいると思ったとき声を上げるのは、母にとって当たり前のことだった。と、同時に母はこの事故の意味を考え始めた。プルトニウム二三九の半減期である二万四千年という時間は、人間からしてみれば永遠に等しく、喪失することができないという新たな恐怖だった。それは、喪失と再生を繰り返してきた人間の想像力をぶち破った、と母は言う。人間がここまで来てしまったのはなぜだろう。その問いを抱えて、母は歴史を遡った。原発事故を起こしてしまった私たちが見失っていたものを、探さなくてはいけないと思ったのだろう。そこに迷いは感じられなかった。

 津島佑子が、震災による原発事故に対して、集会やデモに参加したりなど、こんなにも真剣に真直ぐに国のことを考えていたとは知りませんでした。人の生き方とは、人間社会とは何か、作家として常に冷静に社会と向き合っていたからこそなのだろう。


by dazaiosamuh | 2017-03-30 20:36 | 太宰治 | Comments(0)