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太宰治生誕祭前日 №2 五所川原・乾橋と岩木川

中畑さんの事は、私も最近、「帰去来」「故郷」など一聯の作品によく書いて置いた筈であるから、ここにはくどく繰り返さないが、私の二十代に於けるかずかずの不仕鱈の後始末を、少しもいやな顔をせず引受けてくれた恩人である。』(津軽

 太宰治を何かと気にかけ、幾度となく救ってくれた恩人というのが中畑慶吉で、私がお会いしたい人物というのは『津軽』にも登場する娘の中畑けいさんだ。
 
 突然の訪問は迷惑かつ無礼だと思いつつも、中畑けいさんの居る自宅へ向かい(自宅付近の写真は控えさせてもらいます)、どうか外出してませんようにと心の中でお祈りしながらチャイムをならすと、家族の女性が出て、事情を話し、どうか一目中畑けいさんとお会いしたい、と熱を入れて訴えると、「今お昼寝中で、あと1時間ぐらいで起きると思いますので、1時間後ぐらいなら大丈夫です。」と言ってくれました。
 私は「はい、是非!! 1時間後にまた来ます!」と言い、その場を後にしました。

 会える!!会えるぞ!! いや、間違いなく会えるわけではないが、一応、約束を取り付けることができた。とりあえずお会いできる目途が立ち時間を有効に使うため、『津軽』でけいさんが太宰を案内した乾橋と岩木川を見に行くことにしました。

中畑さんのひとり娘のけいちゃんと一緒に中畑さんの家を出て、
「僕は岩木川を、ちょっと見たいんだけどな。ここから遠いか」
 すぐそこだという。
「それじゃ、連れてって」
 けいちゃんの案内で五分も歩いたかと思うと、もう大川である。子供の頃、叔母に連れられて、この河原に何度も来た記憶があるが、もっと町から遠かったように覚えている。子供の足には、これくらいの道のりでも、ひどく遠く感ぜられたののであろう。それに私は、家の中にばかりいて、外へ出るのがおっかなくて、外出の時には目まいするほど緊張していたものだから、なおさら遠く思われたのだろう。橋がある。これは、記憶とそんなに違わず、いま見てもやっぱり同じ様に、長い橋だ。』(津軽
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 こちらがその『いま見てもやっぱり同じ様に、長い橋』の『乾橋』です。
いぬいばし、と言ったかしら」
「ええ、そう」
「いぬい、って、どんな字だったかしら。方角の乾だったかな?」
「さあ、そうでしょう」笑っている。
「自身無し、か。どうでもいいや。渡ってみよう」津軽

 橋は五所川原駅からそれほど遠くなく、7、8分ほどで着きます。写真の通り、しっかり『乾橋』とあります。渡ってみると、確かに結構な距離があります。
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私は片手で欄干を撫でながらゆっくり橋を渡って行った。いい景色だ。東京近郊の川では、荒川放水路が一ばん似ている。河原一面の緑の草から陽炎がのぼって、何だか眼がくるめくようだ。そうして岩木川が、両岸のその緑の草を舐めながら、白く光って流れている。』(津軽

 橋は造り直されていますが、同じ場所です。天気が良くてよかったです。岩木川はゆるやかに流れていました。ほのぼのしますね。『そうして岩木川が、両岸のその緑の草を舐めながら、白く光って流れている』、まさにそんな感じです。
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夏には、ここへみんな夕涼みにまいります。他に行くところもないし」
 五所川原の人たちは遊び好きだから、それはずいぶん賑わう事だろうと思った。』(津軽

 私が『津軽』を読んだときの『乾橋』の印象は、交通量がすくなくひっそりとしているものだと想像していたのですが、とても車の数が多く(土曜日だったからかもしれません)、車がなるべく写らないように写真を撮るのが大変でした。

 橋を渡りながら、「あと少しで中畑けいさんに会える、中畑けいさんに会えるのだ!」という思いで興奮し、何だかんだ落ち着かない様子で岩木川を眺めていました。この後、まだ時間に余裕があったので、『津軽』に登場する『招魂堂』を見、時間がちょうど16時を過ぎたのでもう一度、『思い出』の蔵へ向かいました。


by dazaiosamuh | 2016-06-23 18:07 | 太宰治 | Comments(0)