遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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太宰治の子守・越野タケ『東京に戻さねばよがった』

 たまに新聞に太宰治の記事が載る。故郷である津軽を舞台に、作品やエピソードを交えた記事になることが多い。
 一昨日の19日の朝日新聞『be』という広告(新聞は普段読まないのでよく分からないが)に太宰の記事が載っていた。会社の同僚が新聞を持ってきてくれたのだ。
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 新聞には大きく『東京に戻さねばよがった』というタイトルが飛び込んできた。読むまでもなく、太宰の幼少時、子守をしていたタケの台詞だということはすぐに分かった。タケは13歳で津島家に奉公にきて、太宰が2歳から8歳までの6年間を太宰の教育係、子守として務めた。

 新聞には太宰とタケの銅像の写真が掲載されている。小説『津軽』でのタケとの感動的な場面が、そのまま銅像として再現されている。タケの話を、一部新聞から抜粋させてもらう。

太宰の情死は、新聞で知った。
「あんまりたまげて涙もなんも出なくてあった。(東京に)戻さねばよがった」
 そう、もらしたという。


 まるで自分の子供のように可愛がり、懸命に子守をした子供が、自分より早く、しかも情死などしたら、さぞ辛かったでしょう。
 太宰とタケの銅像は小泊にある。太宰の妻だった津島美知子の了解を得て、89年にブロンズ像が建てられた。
 まだ私は太宰とタケの銅像を見に訪れたことがない。それどころかまだまだ太宰の故郷を練り歩かねばならない場所は沢山ある。時間はかかるが少しずつ巡って行こうと思います。

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Commented by tarukosatoko at 2016-03-23 11:48
タケさんの銅像があるなんて、知らなかったし、太宰治がなくなったときに、タケさんが何を言ったのかなど、考えたことがなかったのですが、貴重なものを読ませてもらいました。それに、タケさんの雰囲気もこんなだったのかと。こんなふうに偲んでくれる人がいるのは救いのように感じました。
Commented by dazaiosamuh at 2016-03-23 18:10
> tarukosatokoさん、太宰は子守であるタケのことを、幼少時、本当の母親だと勘違いしていた時期がありました。それほど太宰にとってタケとは懐かしく、人生のうちで出会いたい人物の一人でした。タケが太宰の育ての親だったのです。太宰も『自分はこの人の子供だ』と書いていました。
by dazaiosamuh | 2016-03-21 21:07 | 太宰治 | Comments(2)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)