2015年 12月 11日
太宰治の友 織田作之助の大阪 №10 高津宮神社の梅ノ橋
オダサクゆかりの生魂小学校を探すのも少し迷ったが、高津宮も見つけるのに時間が掛かってしまった。今に始まったことではないが、私は地図を見て、地形、距離を目測することが苦手なのだ。現在地と照らし合わせるために、地図を逆さまにしたりすると、文字が逆になるため、頭が混乱するときがたまにある。方向音痴というのは治せないものかしら。
道行く人に尋ねると、あっさり発見することができた。
『高津神社の裏門をくぐると、すぐ梅ノ木橋という橋があります。といっても子供の足で二足か三足、大阪で一番短いというその橋を渡って、すぐ掛りの小綺麗なしもたやが今日から暮す家だと、おきみ婆さんに教えられた時は胸がおどったが、しかし、そこには既に浜子という継母がいた。』(アド・バルーン)
『私を送って行った足で上りこむなり、もう嫌味たっぷりに、――高津神社の境内にある安井稲荷は安井さん(安い産)といって、お産の神さんだのに、この子の母親は安井さんのすぐ傍で生みながら、産の病で死んでしまったとは、何と因果なことか……と、わざとらしく私の生みの母親のことをもちだしたりなどして、浜子の気持を悪くした。』(アド・バルーン)
黒猫というのは少しミステリアスなところがあるような、ないような…。
『アド・バルーン』を書いたのは昭和20年、オダサクが32歳で亡くなる2年前に執筆された。この時点ではまだ太宰治とは出会っていない。出会うのは翌年の昭和21年11月25日の銀座バー・ルパンである。出会ってから、僅か1カ月半後にオダサクは亡くなりました。
もっと長生きしていれば、太宰と長く交流する間柄になっていたはず。早世が惜しまれますね。
この神社も知らなかったですよ。
太宰治は関西に来たことがなかったとのこと、オダサクが生きていてくれたら、太宰治が関西に足跡を残してくれたかもしれないと思うと、残念なことです。
『20世紀旗手』をやっと読み終えました。
この本、なにやら、えらいことになっていましたね。
手紙を集めた話は、おもしろかったです。
『二十世紀旗手』は、副題に「生れて、すみません」の名言がありますね。ファンの中にはこのセリフで共感を得た人も多くいて、実際に6月19日の桜桃忌に参加した際、そのセリフが心に響いたと言っていた方がいました。『HUMAN LOST』は人間失格の原型となった作品で、執筆された場所は、今も残る東京の荻窪にある『碧雲荘』という建物です。実は来年3月までに取り壊される危機に直面してます!
壊さないでほしいですね!どうなってしまうのでしょうか。