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太宰治 荻窪でよく食べに行った蕎麦屋『稲葉屋』

 太宰治は、昭和8年1月に青森検事局に出頭し、左翼運動との絶縁を契約したり、2月には荻窪の天沼三丁目、5月には天沼一丁目に移転などしている。井伏鱒二が荻窪に住んでいることもあり、親交が多くなっていく。
 
 井伏鱒二は、昭和57年11月に荻窪の思い出などを書いた『荻窪風土記』を出している。その中には、太宰が蕎麦屋で酒をちびちび飲みながら蕎麦を食べていたといった内容も記載されている。写真は、太宰や井伏が通った蕎麦屋『稲葉屋』があった通りです。
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よく私は一人で駅の附近を散歩してゐて、南口の稲葉屋で太宰が笊蕎麦を前に、日本酒をちびりちびり飲んでゐるのを見ることがあつた。学校へ行くやうに人には見せて、自分の部屋で習作をするか、ぶらぶら歩くかして日を送る。一人で飲むときには、たいてい同じ店に行つてゐたやうだ。稲葉屋の長つぽそい土間と、古めかしい上り框は好きらしい。片膝を長く上り框に載せ、片足は土間に立ててゐる。または上り框に胡座をかいてゐることがある。私がそれを見て、「どうしたんだ」と訊くと、「天神をきめこんでゐるところです。お蕎麦で一本、立ててゐるんです」と半ばふざけて言つたことがある。こんな冗談を口にすることに興味を持つてゐたやうだ。』(荻窪風土記

 太宰は座るときなど、よく片膝を立てる癖がある。原稿を書くときは、片膝を立て、その膝の上に腕を載せて書くこと癖があったようだ。
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 この通りを歩いていると、『プラザ いなば』と書かれた文字を発見した。どうやら、蕎麦屋自体はないが、『稲葉』という名だけは残っている。
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 『プラザ いなば』として、ビルにその名を留めているみたいです。
 以前に、御嶽の玉川屋という蕎麦屋の記事を書きましたが、太宰は蕎麦が好きだったようでね。私も蕎麦は大好物です。太宰と一緒に日本酒を飲みながら蕎麦を食べてみたかったです。

by dazaiosamuh | 2015-03-11 21:26 | 太宰治 | Comments(0)