2014年 06月 16日
太宰治の住んだ町 荻窪紀行 №7 天沼三丁目
『芝の空家に買手が附いたとやらで、私たちは、そのとしの早春に、そこを引き上げなければならなかった。学校を卒業できなかったので、故郷からの仕送りも、相当減額されていた。一層倹約をしなければならぬ。杉並区・天沼三丁目。知人の家の一部屋を借りて住んだ。その人は、新聞社に勤めて居られて、立派な市民であった。それから二年間、共に住み、実に心配をおかけした。』(東京八景)
住所は杉並区天沼三丁目741番地。移り住んだのは昭和8年の2月で、三兄・圭治の友人で「東京日日」社会部記者であった飛島定城と共に暮らした。飛島家が母屋で、太宰と初代は離れに住んだ。
『芝の空家に…』というのは、昭和7年9月から住んでいた芝区白金三光町276番地高木方のことです。
太宰が住んだ天沼の現住所は、天沼三丁目15番地となっています。途中で訪れた碧雲荘とは違って、全く面影を残していません。ただ住宅が立ち並んでいるだけですね。
『H(初代)も、またその新聞社の知人も、来年の卒業を、美しく信じていた。私は、せっぱ詰まった。来る日も来る日も、真黒だった。私は、悪人ではない!人を欺く事は、地獄である。やがて、天沼一丁目。三丁目は通勤に不便のゆえを以て、知人は、そのとしの春に、一丁目の市場の裏に居を移した。荻窪駅の近くである。誘われて私たちも一緒について行き、その家の二階の部屋を借りた。私は毎夜、眠られなかった。安い酒を飲んだ。痰が、やたらに出た。病気かも知れぬと思うのだが、私は、それどころでは無かった…』(東京八景)
天沼三丁目には数ヶ月しか住んでませんし、書籍等にもあまり詳しく書いていませんので、どのような住居だったのかは分かりません。たしかに、実際に歩いてみると、遠いです。大人の足で15分以上なので疲れます。
太宰はこの後、昭和10年に船橋に移り住みます。
今回の荻窪紀行では、まだ訪れていない箇所もありますので、次回に来た時にまた周りたいと思います。碧雲荘は、中々貴重だと思います。いつ取り壊されるか分からないので、太宰好きの方で行っていみたい方は今のうちです。