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太宰治が愛した鰻を求めて №1 美容院で時間潰し

 先月、私は国分寺駅を訪れた。太宰治が食べた鰻を、今でも当時のタレを守り続けているお店があるという情報をネットで見つけて、是非とも食べたいと思いやって来たのである。

 国分寺駅を出た私は、早速お店に向かおうとしたのだが、駅前で新米美容師のお姉さんに声を掛けられた。なんでも、練習をしたいからカットモデルになってほしいらしい。料金も格安で、カットとパーマで3500円ほどでできるとのこと。掛かる時間を聞いたら、4時間程らしい。丁度私は髪を切ろうと思っていたのと、パーマをかけてみたいと思っていたところだったので、お昼を食べたら行きます、と言い、12時半頃に美容院に行く予約を取った。『若松屋』はランチタイムは11時から13、14時頃までやっているとネットで見つけたので、11時に着くように家を出たのだ。美容師さんから名刺を受取り、あいさつして一先ず目的の『若松屋』へと足を運んだ。
 
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若松屋』は、元々は、太宰がいた当時は三鷹に店を構えていた。先代、小川隆司さん(故人)が1945年秋に三鷹南口近くで始めた屋台の鰻屋だった。三鷹に住んでいた太宰は常連で、隆司さんとも懇意だったらしい。
 さらに、太宰はこの『若松屋』を舞台に、短編小説『メリイクリスマス』や『眉山』を書いている。太宰の死後、隆司さんは若松屋をたたみ、国分寺市に転居した。二代目、雅也さんは81年にすし店『東鮨』を開き、父の勧めで、三鷹時代のタレを再現した鰻料理も出した。10年には、『若松屋』の店名を復活させた。雅也さんは、「太宰さんのおかげで商売を続けていける」と感謝したという。
 しかし、2014年1月26日、雅也さん(58)は急性心筋梗塞で亡くなった。3年前に膀胱癌の手術を受けた雅也さんは、入院前、会社勤めをする次男・祐二さんに鰻の割き方や名物・厚焼き玉子の焼き方を徹底的に仕込んだ。現在は、雅也さんの次男・祐二さんが、3代目として継いでいる。
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『若松屋』は、国分寺駅から徒歩10分以内の場所にあり、看板には、堂々と太宰治ゆかりの店と書いてありました。
 しかし、営業している様子がなく、嫌な予感がした。店頭に貼られている営業時間を見ると、17時から、と書かれていた。やってしまった。時間を間違えた。たしかに此処に来た人のブログ、掲示板に、11時からやっていると書いている人がいたのだ。何度もお店の前をうろうろした。うろうろしたところで早くお店が開くわけでもない。
 
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 私は、近くの小さな川に架かる橋から、下で泳ぐ鯉を眺めながら思案に暮れた。その時、美容師さんが言った、パーマに4時間掛かるという言葉を思い出した。17時までの時間潰しに丁度良いではないか、これしかないとばかりに美容院へと急いだ。

 美容院に到着すると、先ほどのお姉さんが迎えてくれた。事情を話すと、「どうりで早いと思いました」と言われてしまった。店内にあるヘアーカタログから無難なスタイルを選び、早速カットとパーマを掛けてもらった。
 今回はあくまでカットモデルなので、担当の女性は電話対応等の雑務をこなしながらの作業になった。初めてパーマを掛ける自分の姿に吹き出しそうになった。くるくると巻かれた頭を見て、実に滑稽だとすら思った。まだ慣れないせいか、何度も同じ個所を、巻いては解き、巻いては解きを繰り返されて、流石に頭皮が引っ張られて痛かった。引っ張られる度に、私の眉毛は八の字に吊り上がった。その自分の表情を見て尚更吹き出した。
 今日は、鰻重を食べるために朝食を抜いてきたのだ。その方が、美味さが倍増すると思ったからだ。しかも、お昼も食べていない。あと少しの辛抱で鰻重が食べられると思うとよだれが出る。ごくりと唾を飲み込んだ。
 それでも座りっぱなしでお尻も痛かったが、どうやら無事に終わった。

「結構、かかりましたね。」
「す、すみません。何度も巻くのに時間がかかってしまいました。」

 
 傷つけるつもりはなかったが、言ってしまった。
 そして、最後に軽く髪を洗い、ワックスもつけてもらい、少しばかりワクワクしながら鏡で自分の姿を見た。
 
 そこには、まるで別人のアホ面の男が座っていた。提示したカタログのヘアースタイルとは、随分差があった。
「こいつ誰?」そう思った。
 その女性が、上司を連れてきて、「ご希望通りの仕上がりでしょうか?」と聞いてきた。私は、新人のお姉さんのためにならないと分かってはいたが、「はい、大丈夫です。満足しました。」と答えた。お姉さんは、ほっとした様子だった。
 しかし、本来はカットとパーマで1万円は超えることと、相手が新人で、あくまで私はカットモデルとして、練習台であることを引き受けて来たので、「まあいいか」と思った。こうやって美容師の卵たちは腕を磨いていくのだ。少しでも何か手ごたえを感じ取ることができたのなら幸いだ。

 終わってみると、時計の針は17時を近かった。希望の髪型ではなかったが、新人のお姉さんのこれからの期待を胸に、ある意味、清々しい気持ちでお店を後にし、『若松屋』へと向かったのであった。

 
by dazaiosamuh | 2014-04-01 19:02 | 太宰治 | Comments(0)