遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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そのコモヒを歩いていたら、M薬品問屋の前に来た。私の父の生れた家だ。立ち寄らず、そのままとおり過ぎて、やはりコモヒをまっすぐに歩いて行きながら、どうしようかなあ、と考えた…(中略)…しばらく歩いて、ようやくコモヒも尽きたところで私は廻れ右して、溜息ついて引返した。私は今まで、Mの家に行った事は、いちども無い。木造町へ来た事も無い。或いは私の幼年時代に、誰かに連れられて遊びに来た事はあったかも知れないが、いまの私の記憶には何も残っていない。

 太宰はコモヒをまっすぐそのまま歩いて、父の生家を通りすぎてしまう。太宰は人の家を1人で訪ねるのが苦手なのであった。それは私が太宰治を好きになったきっかけである『人間失格』にも表れている。
そのうえ自分には、「訪問(ヴィジット)」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられていたのです…(中略)…何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、溜息をついて市電に乗り……

 これもまた私にとって太宰に共感した部分で、私も人の家を訪ねるとき、どうしても躊躇して何回も家のまえをウロウロしてしまいます。
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 写真の木造郵便局の周辺一帯が、太宰の父・津島源右衛門こと本名・松木栄三郎の生家があった場所です。
 太宰は自分の突然の訪問に、Mさんがぎょっとして、『こいつ東京を食いつめて、金でも借りに来たんじゃないか』などとMさんが思うのではないかと心配になってしまう。それでも『もう二度と、来る機会はないのだ。恥をかいてもかまわない。はいろう。』と覚悟を決めて店の奥へ声をかける。太宰の心配は杞憂で、Mさんが出て来ると、大変な勢いで床の間の前に座らせ、『二、三分も経たぬうちに、もうお酒が出た。実に、素早かった。「久し振り。久し振り」とMさんはご自分でもぐいぐい飲んで、「木造は何年振りくらいです」
「さあ、もし子供の時に来た事があるとすれば、三十年振りくらいでしょう」
「そうだろうとも、そうだろうとも。さあさ、飲みなさい。木造へ来て遠慮する事はない。よく来た。実に、よく来た」』と太宰を心からもてなすのであった。
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 写真は現在の『まつきや』。誰も住んでおらず、廃墟となっている。かろうじて店の中に『まつきや』と書かれた看板が残っている。すぐ右隣は木造郵便局。
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 いしがみ刊行会が出している郷土文化誌『いしがみ』第17号で、太宰をもてなしたM家の松木尚三郎と太宰のその時のエピソードを、父・母から話を聞いた尚三郎の三男・宏泰の話が載っている。
宏泰さんは、「『津軽』には描かれていないが、父と太宰は酒を酌み交わしているうちに、気がついてみるとお互いの炉の中に数十本の吸いかけの煙草を差し並べていた。似ている変な癖を発見した、いとこ同志はさらに、くしゃみを連発して、これが始まると酒席が終わりなのだと認め合ったと言う。」と記している。別の証言では、酒六~七合くらい飲むとくしゃみが出るという。二人で二升近く飲んだことになる。』と書かれてた。
 太宰の、酒が飽和点に達するとくしゃみが出る話は有名だが、吸いかけの煙草を炉の中で差し並べる癖があることは知らなかった。たしかに変な癖である。
 尚三郎はそして、太宰に木造について書くなら、米の供出高を書くように宣伝を始める。太宰はその時の木造を宣伝する尚三郎との会話を『津軽』の中にエピソードとして入れることによって、約束を果たすのであった。
 そして、『Mさんは、小さい頃から、闊達な気性のひとであった。子供っぽいくりくりした丸い眼に魅力があって、この地方の人たち皆に敬愛せられているようだ。私は、心の中でMさんの仕合せを祈り、なおも引きとめられるのを汗を流して辞去し、午後一時の深浦行きの汽車にやっと間に合う事が出来た。』と感謝の気持を載せて締めくくっている。太宰の心からの感謝であった。

 次回もまた松木家の記事を書きます。


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# by dazaiosamuh | 2017-08-16 13:50 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)