遠い空の向こうへ

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太宰の他に映画等、色々載せれたらいいなと思っています。

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 久しぶりの記事になります。幼い頃から目が弱く、近頃、目を開けているのも辛い状態でしたが、何とか記事を続けていきます。

 木造から深浦へ向かった太宰。『津軽』で途中の千畳敷海岸について書いているが、おそらくは車窓から眺めただけで、海岸へは降りていないと思われます。
 深浦町へ到着した太宰は、『この港町も、千葉の海岸あたりの漁村によく見受けられるような、決して出しゃばろうとせぬつつましい温和な表情、悪く言えばお利巧なちゃっかりした表情をして、旅人を無言で送迎している。つまり旅人に対しては全く無関心のふうを示しているのである。』と町の印象を書いている。しかし、太宰は深浦の欠点を述べているのでは決してなかった。
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 深浦駅。小さな駅舎で、私が来たとき、横柄な駅員が気になったが、まあ長閑な場所である。

そんな表情でもしなければ、人はこの世に生きて行き切れないのではないかとも思っている。これは成長してしまった大人の表情なのかも知れない。何やら自信が、奥底深く沈潜している。津軽の北部に見受けられるような、子供っぽい悪あがきは無い…(中略)…津軽の奥の人たちには、本当のところは、歴史の自信というものがないのだ。まるっきりないのだ。だから、矢鱈に肩をいからして、「かれは賤しきなるものぞ」などと人の悪口ばかり言って、傲慢な姿勢を執らざるを得なくなるのだ。あれが、津軽人の反骨となり、剛情となり、詰屈となり、そうして悲しい孤独の宿命を形成するという事になったのかも知れない。』とここでもやはり太宰特有の自論を展開している。
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 深浦駅を出てすぐ前にある通りは、人が誰も歩いておらず、何だか廃れた寂しい印象を受けた。太宰の『旅人に対しては全く無関心のふうを示している』を肌で感じた気持ちであった。寂しい気持ではあったが、しかし、この雰囲気がまた私には心地よかった。
 太宰はそして『人からおだてられて得た自信なんてなんにもならない。知らん振りして、信じて、しばらく努力を続けていこうではないか。』と言っている。その通りだ。人からおだてられて得た自信なんて、なんにもならないのだ(おだてられるような場面が、まず私にはないが)

 太宰の歩いた深浦を、少しずつ書いていきたいと思います。


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# by dazaiosamuh | 2017-09-19 20:33 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)